「偽装留学生」記事「撤回要求」への反論(下) 「人手不足」と外国人(47)

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 前稿(上)で紹介した神吉宇一・武蔵野大学准教授の私への批判は、果たして正当なものなのか。私は、アカデミズムの専門家に判断を仰ぐことにした。

 まず、一橋大学特別研究員の井上徹氏の論文を審査した安田敏朗・一橋大学大学院言語社会研究科教授に神吉氏のブログの感想を尋ねると、こんな答えが返ってきた。

アカデミズムの反応

〈出井氏の記事の、どこをどう読んだらN1、N2を取得していない留学生を「偽装留学生」と言うことができるのか。出井氏の記述を引用して(つまり、「根拠を示」しつつ)示すべきである。出井氏はそんなことは言っていない。ついでにいえば、「そもそも、ある1つの試験の結果だけで教育成果や学習者、教育機関の良し悪しを議論するのは適切ではない」というのは一般論にすぎず、出井氏の記事の趣旨とは関係ない。ブログ読者をミスリードしているように思われる〉

 続いて、神吉氏の当初のブログに対する井上氏の反論を一橋大・雇用政策研究会のディスカッションペーパーとして採用した同大大学院社会学研究科の倉田良樹・特任教授にも、同じ質問をぶつけてみた。

〈出井さんの記事は、井上論文による学術的なエビデンスをベースに書かれたものです。それを批判するのは自由ですが、その場合、批判する側もまた、より説明力の高い反例(counter example)を挙げるといった、エビデンスに基づく反論を行う、というのが学問の世界の常識だと思います。

 神吉氏は、挙証責任をすべて出井さんに負わせることで、偽装留学生問題の学術的な検討を回避しているのだと思います。ブログ上の発言とはいえ、日本語教育専攻で学位を取得し、現在、日本語教育学会の副会長である方が、学術論争を回避するための姑息な詭弁に走っているのです。「それってダメでしょ」というのが率直な感想です〉

 では、なぜ神吉氏は井上氏との議論を避けているのか。倉田氏の見解は以下の通りだ。

〈マトモに議論に応じたら勝てない、ということを神吉氏自身が確信しているからではないでしょうか。日本語学校の現状については、井上さん以上に神吉氏の方が熟知しているのだと思います。熟知しているからこそ、エビデンスに基づくガチンコの学術論争などしたくないのでしょう〉

 前出・安田氏もこう続ける。

〈たとえ話がかみあわなくても、議論はしてみるものであって、話し合うことで相手が何を問題としているのか、なども分かってくると思うし、そこから建設的な意見交換が可能にもなってくるであろう。そういう柔軟な姿勢をとれないのは、神吉氏が日本語教育学会の重鎮であり、井上氏がそうした組織に属していない人物だからなのではないか。「議論に値しない」と一方的に切り捨てることで、みずからの権威を保ちたいのではないか〉

 安田氏や倉田氏の意見に対し、神吉氏には是非、反論してもらいたいものである。

前代未聞の内部告発

 私の取材先には、現場の日本語教師が数多くいる。その彼らから、偽装留学生の受け入れで急成長を遂げた日本語学校業界、「教育機関」とは到底呼べない学校内部の異常さについて、私は繰り返し聞かされてきた。

 そうした教師たちには、日本語教育学会に所属する人も含まれる。だが、彼らが「異常さ」について、学会など公の場で発言することはない。現状に異を唱えることは、自らの立場自体の否定を意味する。「嫌なら仕事を辞めろ」と言われれば、返す言葉もないだろう。

 だから本音は私のような部外者にしか語れない。堰を切ったように話し続ける姿から、私は常々、彼らが抱える深い葛藤と良心の呵責を感じてきた。

 そんななか、前代未聞の内部告発を行った研究者が井上氏だった。

 井上氏は外資系企業を退職後に日本語教師の道へと進み、一橋大で博士号まで取得した。現在68歳で、大学などで教職に就くような出世欲はない。だからこそ、学会の縛りを受けず、自由な立場で発言ができたのだ。

 博士論文の執筆には苦労も多かったという。論文を執筆しようとすれば、テーマと趣旨を承認する指導教員が必要となる。井上氏の論文では、日本語教育界の現状が批判的に分析されることになる。

 分析対象には日本語学校業界や日本語教育のアカデミズムも含まれるため、同分野の教授には指導を仰ぐことは難しい。

 途方に暮れていた井上氏に手を差し伸べたのが、近代国語史が専門の安田氏であり、労働社会学の倉田氏だった。井上氏が言う。

「私の博士論文は、日本語教育の主流派の方々には到底、受け入れられるものではありません。そんな論文で博士号を取得するなど、安田先生や倉田先生の存在なしには考えられないことです」

 井上氏は、神吉氏が今回のブログで批判の対象を筆者に絞っている点について着目する。

「日本語教育のアカデミズムには、メンバー同士は公開の場で互いに議論しないという“暗黙のルール”があるようです。神吉氏は『自分はルールに従うから、お前も従え』とのメッセージを送っているように思われます。もちろん、私に従うつもりはありません。そんなことをすれば、学問の自由を放棄してしまうことになりますから」

主張の違い

 では、神吉氏と井上氏の主張の違いは何なのか。井上氏はこう解説する。

「神吉氏は日本語学校の質保証として、CEFR(ヨーロッパ言語共通参照枠)のA2を主張されています。一方、私はCEFRのA2では不十分で、日本語能力試験のN2以上を求めるべきだという点に尽きると思います」

「CEFRのA2」は、法務省が昨年8月、日本語学校への告示を取り消す基準として導入した(2019年11月25日『「偽装留学生」増やし続ける「文科省」「マスコミ」「学会」の大罪(上)』参照)。

 文部科学省の有識者会議を経て決まったもので、日本語能力試験では「N4相当以上」に当たる。N4は同試験の下から2ランク目で、専門学校以上での日本語の授業についていけるレベルではない。

 新基準では「CEFRのA2」、つまりはN4を卒業時までに取得した留学生が、進学や就職した者と合わせて7割以上であれば、日本語学校の運営は適正とみなされる。

 これを大手紙は、法務省の発表を鵜呑みにして「厳格化」と報じていたが、学校にとっては決して高いハードルではない。

「CEFRのA2」という基準を定めた文科省の有識者会議は、日本語教育を専門とする大学名誉教授や日本語学校経営者などで構成されていた。身内でルールを決めるのだから、甘くなって当然である。

 しかも構成メンバーには、井上論文が「偽装留学生頼み」の「不良校」と分類する学校の経営者まで含まれる。そして神吉氏も、「CEFRのA2」の導入を評価している。

 一方、井上氏は、日本語学校の質を判定する際の基準として「N2以上」を用いた。日本語学校には進学以外の目的を持った留学生もいる。そうした留学生は、論文における分析対象にはしていない。あくまで進学者に限って調査したうえで、N4という基準では日本語学校の質保証にはならないと主張しているのだ。

何を恐れているのか

 神吉氏にしろ、偽装留学生問題への認識はあるようだ。そのことはブログの最後に記したこんな文章からうかがえる。

〈留学の名目で働きにきている学生が多いのも事実です。それをビジネスチャンスと捉えて、ろくな教育もせずに学費だけ稼いでいる日本語学校も現実にあります。そして、それを黙認している政府の無策もあります。これは事実ですし改善しなければならないことです〉

 そのうえで、こう続けてもいる。

〈しかしながら、この現状を改善するために日本語教育の成果をN1、N2で測定するという考えは、ソリューションとしては最悪であるということを改めて強調しておきます〉

 神吉氏は何を恐れ、〈最悪〉とまで書いているのだろうか。

 現在の「CEFRのA2」ではなく、井上氏が基準とする「N2以上」が日本語学校の質を測る基準として採用され、進学者の一定数にN2取得が義務づけられればどうなるか。

 まず、過半数の日本語学校は基準が満たせず、留学生の受け入れを認められなくなるだろう。さらには、専門学校や大学への影響も小さくない。学費さえ払えば、語学力を問わず留学生を受け入れる動きは、日本人の学生不足に直面する一部の専門学校や大学で広まり続けているからだ。

 日本語能力が不十分な留学生に対しては、進学後も語学を教える必要がある。大学などで留学生向けのクラスが設置され、指導する教員への需要が生まれる。つまり、それだけポストが増えるわけだ。日本語教育界にとっては、新たな「利権」だとも言える。

 だが、日本語学校の卒業生が揃ってN2以上を取得して進学すれば、日本語教育は必要なく、教員のポストも増えない。むしろ日本語学校での教育が不十分な方がアカデミズムには好ましい、との見方も成り立つわけだ。

「厳格化」とはいうが

 日本語教育界と表裏一体の関係にある日本語学校業界も、政府が乗り出した「厳格化」に神経を尖らせている。今後、真の意味で「厳格化」が実施されるようなことになれば、業界にとっては大打撃となるからだ。

 そんな危機感を象徴する発言が、最近になって業界幹部から目立つ。

 今年1月24日、文化庁が「日本語教育推進関係者会議」を開いた。神吉氏がメンバーの会議である。他にも同分野“主流派”の学者、日本語学校経営者らが名を連ねている。

 その席で、日本語学校団体幹部から、昨年創設された外国人労働者のための在留資格「特定技能」と留学生の関係について、興味深い要請があった。

 発言したのは、一般社団法人「全国日本語学校連合会」理事長で、日本語学校を経営する荒木幹光氏だ。

 以下、文化庁が公開している資料(「日本語教育推進関係者会議(第2回)議事次第」)から原文のまま記しておく。

〈「技能実習2号」と「留学」の取り扱いは、甚だバランスを失する基本方針と思料しますので、「留学」の在留資格者が「特定技能」への変更は、日本語教育機関を修了後、特定技能の在留資格の変更をしていただきますよう制度の改正を強く要望いたしますので、よろしくお取り計らい願います〉

 実習生として来日した外国人は、「技能実習2号」が満了するまでの3年間は在留資格を「特定技能」に移行できない。

 だが留学生の場合は、日本語学校を卒業しなくても、職種ごとに設けられた試験に合格すれば資格の変更は可能だ。この規定には、出稼ぎ目的の留学生を特定技能に移行させ、労働者として明確に位置づけたい政府の意図があったと思われる。

 しかし日本語学校業界としては、留学生に次々と特定技能の資格を取得されては困る。中途退学する留学生が相次げば学費収入は減り、学校経営にも影響が出てしまうからだ。そこで制度の改正を要請したのだと見られる。

 だが、そもそも日本語学校に在籍する留学生は、卒業しなくても専門学校や大学への進学、また企業への就職も認められている。進学や就職はできるのに、特定技能だけには移行してはならないというのは、理屈が通らない。

 前出・一橋大大学院の倉田特任教授もこう指摘する。

「日本語学校が実質的には労働ブローカー化していることを前提にして、その利権を守るための陳情を行っているのだと解釈できます。『関係者会議』とは労働ブローカー関係者会議となっているのではないでしょうか」

 文化庁が開く、しかも「日本語教育」というマイナー分野の会議で、何が話し合われ、どんな要請があったかなど、業界関係者以外は誰も気にはしない。会議には現状に批判的な専門家は加われず、外部の検証すら受けることもないのだから、業界寄りの規定変更だっていくらでもできてしまう。

建設的な議論を

 本連載で繰り返し述べているように、偽装留学生はブローカー経由で取得に必要な書類を捏造し、多額の借金を背負い入国する。

 そして日本政府は、本来ビザの発給対象にならない外国人を「留学生」として受け入れ、底辺労働者として都合よく利用してきた。留学生に認められる「週28時間以内」のアルバイトでは、学費の支払いと借金返済ができないとわかってのことである。

 こうした醜悪なシステムに対し、大手メディア、そして日本語教育界からも批判の声は上がらない。偽装留学生の受け入れで人手不足を凌いでいる産業界のみならず、メディアやアカデミズムまでもがステークホルダーの一部と化しているからだ。

 そんな実態を前に、井上氏はアカデミズム内部から告発を行った。その井上氏や私に対し、アカデミズムを代表する立場にある神吉氏が不当な批判を仕掛けてきた。日本語学校業界はもちろん、アカデミズムにも自浄作用がないことは明らかだ。

 政府の政策担当者に1つ提案をしておきたい。

「日本語教育推進関係者会議」を始め、日本語教育や留学生の受け入れ政策に関わる政府の会議はいくつかある。そうした会議に外部有識者として招かれるのは、決まって現状肯定派の学者か業界幹部と決まっている。そこにせいぜい、タレントなどの著名人が招かれる程度だ。

 これは日本語教育などに限らず、政府系の会議には共通する話だが、こんなことでは業界にとってお手盛りの政策しかつくられない。

 そこに是非、現状に問題意識を抱く研究者も加えてもらいたい。

「一橋大特別研究員」の井上氏では権威が足りないというのなら、安田教授や倉田特任教授のような骨のある学者も存在する。決してアカデミズムに人材がいないわけではないのだ。

 批判に耳を傾け、建設的な議論を重ねてこそ、政策は磨かれていく。神吉氏のような“主流派”の学者までもが政府は〈無策〉だと述べている。優秀な官僚の方々であれば、現場の「異常さ」は嫌というほど実感しているに違いない。

出井康博
1965年、岡山県生れ。ジャーナリスト。早稲田大学政治経済学部卒。英字紙『日経ウィークリー』記者、米国黒人問題専門のシンクタンク「政治経済研究ジョイント・センター」(ワシントンDC)を経てフリーに。著書に、本サイト連載を大幅加筆した『ルポ ニッポン絶望工場」(講談社+α新書)、『長寿大国の虚構 外国人介護士の現場を追う』(新潮社)、『松下政経塾とは何か』(新潮新書)など。最新刊は『移民クライシス 偽装留学生、奴隷労働の最前線』(角川新書)

Foresight 2020年3月4日掲載

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