「保守党圧勝」の舞台裏「ブレグジット総選挙」現地レポート(下)

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【ロンドン発】 「労働党」党首ジェレミー・コービンが立候補したのは、ロンドン北東部のイズリントン北選挙区である。コービンは、2位の「自由民主党」候補の約4倍にあたる3万4000票あまりを獲得して圧勝した。

コービンの「党首辞任表明」

 しかし、労働党の劣勢はすでに明らかである。演説に立ったコービンは、有権者や支援者、家族らに感謝の言葉を述べた後、「労働党にとっては大変残念な夜だ」と認めた。

 「私たちのマニフェストは大いに評判を得たが、ブレグジットが過度に議論を2分し、通常の政治議論を圧倒してしまった。それが、この国全体の選挙結果に影響したのは間違いない。ただ、社会正義と人々のニーズの問題は再び脚光を浴びるだろう。正義と平等を求める労働党の基本的なメッセージはこれからも有効だ」

 声が通り、抑揚もはっきりしたコービンの演説は、明瞭で聞き心地がいい。ただ、その背後には離脱の是非が争点となりすぎて、労働党が得意とする社会福祉政策で有権者の関心を引きつけられなかった悔しさが浮かんでいるように思えた。

 実際、2017年の総選挙では当初離脱が争点となっていたが、終盤になって国営医療制度「国民保健サービス」(NHS)が突如争点として注目を集め、急激に追い上げた労働党がメイ政権を過半数割れに追い込んだ。労働党がその再現を目指していたのは、間違いなかった。

 しかし、前稿で検証した通り、今回の選挙の争点は終始「ブレグジット」だった。国民保健サービスが市民の関心事だったのは間違いないが、それが争点としては最後まで浮上しなかった。労働党は戦略を間違えたのである。

 コービンの言葉には「こちらが言うことは正しかったが受け入れられなかった」との意識が透けて見える。実際、彼は後日「議論では勝っていた」とも述べた。その意識こそが敗北を招いたのでないか。

 政党の役目は、選挙で勝って権力を握ることである。単に主張を訴えるだけだと、それは政党でなく運動体の論理に他ならない。そう認識した「保守党」は、何が何でも勝ちに行った。労働党は、勝つことよりも大切なものがあると考えた。そこで、すでに勝負はついていた。

 この演説で、コービンは「私が今後の総選挙キャンペーンを率いることはないと、明示しておきたい」とも述べた。これは党首辞任の表明である。同時に、「すぐは辞めない」と言っているようにも聞こえる。実際、党内の反コービン派はそう受け止め、「一刻も早く降りろ」と批判の声を上げ始めた。

 労働党の穏健派や中道系の間では、最左派のコービンとその支持集団「モメンタム」が党内を仕切ってきたことへの反発が強い。これまで抑え込まれてきた彼らの不満は、すでに噴き出していた。

落ちた「英国のラストベルト」

 選挙区ごとの集計が終わるたびに、イングランド北部から中部にかけての労働党「赤い壁」はぼろぼろと崩れた。『BBC』が掲示する英国の地図では、多くの部分が青い色の保守党印で埋められ、そのところどころに何とか踏みとどまった赤い労働党選挙区群が島のように浮いていた。

 その「赤い島」として残るだろうと思われた西ヨークシャー地方のウェークフィールドが保守党の手に落ちたとわかったのは、午前3時38分である。産業革命時に繊維産業や石炭採掘で栄えたものの、その後衰退した地域で、低所得の白人労働者が多く「英国のラストベルト」に近いイメージの街である。

 筆者はこの街を今年3月に訪れ、その様子を2019年3月27日の本欄『ブレグジット考(下)誰が離脱に投票したのか』などで報告した。この街の選挙区は1932年以来労働党が議席を維持する一方で、EU(欧州連合)離脱を巡る国民投票では66.4%もの市民が離脱を支持していた。

 長年の労働党への投票習慣を、ブレグジットをツールにして転換させる――。保守党の戦略は、ここでも実を結んだのだった。

「哀れな脅しに終止符が打たれた」 

 首相のボリス・ジョンソンは、ロンドン西方アクスブリッジ&ライスリップ南選挙区の選出である。ここでは、労働党が対抗馬として立てたイラン系の若手アリ・ミラニが斬新なイメージでそこそこの支持を集め、一部のメディアは「ジョンソンが落選か」と観測情報を伝えた。もっとも、それはしょせん話題の域を出なかった。蓋を開けると、ミラニは37%あまりと健闘したものの、52%以上を押さえたジョンソンが午前3時42分、危なげなく当選を決めた。

 ジョンソンは、赤いネクタイとぼさぼさの髪といういつものスタイルで、当選演説に臨んだ。

 「いただいた信任と多数派の結果によって、少なくともブレグジットをやり遂げられる。ブレグジットの遂行こそが、反論も抵抗もし難い英国民の決定であると、この選挙が証明した。国民投票をもう1度しようなどという哀れな脅しに終止符が打たれた」

 「ブレグジットは、何があっても1月31日までに実現させる」

 「この選挙結果は、これまで1度も保守党に投票したことのなかった人々、他の政党に投票していた人々の信頼を私たちが勝ち得たことを意味している。彼らは変化を望んだ。私たちは彼らを見捨てない」

 「ブレグジットを成し遂げよう。ただ、その前に朝飯を食べ遂げよう(笑)」

 締めのユーモアも忘れない。余裕の勝利宣言だった。

 保守党勝利は、すでに2019年12月17日の本欄『ブレグジット決定「ジョンソン首相」歴史的勝利「3つの要因」』で渡邊啓貴教授が指摘した通り、「政局の混乱に決着をつけたい国民の思い」「ジョンソンがEUとの間で実現させた離脱合意」「労働党コービンの選挙戦略の失敗」が理由となっていた。では、ジョンソン側の戦略のどこが勝利に結びついたか。

 最大のポイントは、ナイジェル・ファラージ率いる「ブレグジット党」が、保守党現職の選挙区に候補を立てなかったことである。これで、離脱票が両党の間にばらけることがなく、保守党に一気に流れた。「選挙戦で最も重要な瞬間は、ファラージのこの決定だった」と、『エコノミスト』紙は分析する。

謎が多いファラージの決定

 ブレグジット党は600選挙区に候補者を立てる方針で、準備を進めていた。しかし、11月14日の届け出締め切り直前の11日、前回の総選挙で保守党が勝利した317選挙区で立候補を取りやめると、ファラージが表明した。これが、保守党にとって最大の追い風になったと考えられる。

 ファラージの決定には謎が多い。彼がかつて率いた「連合王国独立党(UKIP)」や現在党首を務めるブレグジット党は、離脱派の支持を幅広く集め、欧州議会選で躍進し、保守党をこれまで散々脅かしてきた。メイ政権末期には、支持率で保守党を上回ったほどだった。従って、この総選挙は党勢拡大のチャンスのはずである。なのに、なぜ降りたのか。

 背景には、ファラージの最大の支援者である英実業家アーロン・バンクスの圧力があったといわれる。バンクスは離脱キャンペーンに深くかかわり、ロシア当局や米大統領ドナルド・トランプとの関係も取りざたされる人物である。今回ファラージに対し、ブレグジットを実現させるために候補者を降ろすよう働きかけたと、複数の英メディアが伝えている。

 結果的にブレグジット党は1議席も取れず、ファラージの影は急速に薄まった。それは、時代のトレンドを反映していたかもしれない。ここ数年、ファラージのように道化師的で明るいものの政権担当能力のないポピュリストは、欧州各国で話題を振りまいた右翼政治家と同様に、政治の表舞台から次第に消えつつある。

 変わって主流に躍り出たのは、ジョンソンに通じるポピュリスト、すなわち権威主義的で政権運営能力のあるハンガリー首相オルバン・ヴィクトル、ポーランド与党「法と正義」党首ヤロスワフ・カチンスキ、米大統領トランプといった根暗なポピュリストなのである。その傾向は、今回の選挙でさらに顕著になったのだった。

流行語「ブレグジットをやり遂げる」

 もう1つのポイントは、ブレグジットを選挙の最大争点に巧みに据えたことだった。

 『エコノミスト』紙によると、英国ではかつて、ミドルクラスや高学歴層が保守党を支持していたが、今彼らは労働党を支援しがちである。逆に保守党は低学歴層や労働者層の支持を得るようになっている。

 実際、今回の総選挙に際してアシュクロフト卿が実施した調査でも、全国読者層調査(NRS)に基づく階級分類で「経営者や上級管理職等」(A)と「中間管理職等」(B)に分類される人々で保守党に投票したのは44%にとどまったのに対し、「熟練技術者等」(C2)に分類される労働者の間では50%に達していた。

 労働者層をさらに引きつけるツールとして使われたのが「ブレグジット」だった。保守党に依然抵抗感を持つ労働者に対し、「ブレグジットの党」であることを前面に出すことで、かつてのサッチャー改革のイメージを払拭したのだった。

 そのために、ジョンソン自身も折あるごとにブレグジットを話題にした。彼はもっとも、その是非について議論するわけではない。保守党のスローガン「ブレグジットをやり遂げる(Get Brexit Done)」を繰り返すだけである。ブレグジット問題に関する研究者チームを率いるロンドン大学キングズカレッジ教授アナン・メノンは『BBC』の討論番組で「矛盾しているのは、首相はブレグジットについて語りたがるのに、口にするのはただ一言『ブレグジットをやり遂げる』ばかり。細部についての論議に関心を示す人は誰もいない」と嘆いた。

 しかし、このスローガンはわかりやすいことこの上なく、社会に広く定着した。今年英国の「新語・流行語」大賞だろう。離脱派は2016年の国民投票で「主権を取り戻す(Take Back Control)」というスローガンを流行らせたが、それに続くヒット作だった。

 「主権を取り戻す」の考案者は、「英国のラスプーチン」の異名を取る首相首席特別顧問ドミニク・カミングスだといわれている。「ブレグジットをやり遂げる」も、彼が考えついたのかもしれない。

 ただ、今回の選挙戦を取り仕切ったのは、カミングスではなかったという。

 政治報道専門サイト『ポリティコ・ユーロップ』によると、政府の業務で手いっぱいのカミングスは包括的な戦略やキャンペーンの核心だけにかかわり、選挙戦そのものは豪州から招いた選挙プロの若手アイザック・レヴィードが統括した。レヴィードは2019年5月豪州総選挙で与党「保守連合」の選挙戦に陣営ナンバー2として参画し、劣勢が伝えられた保守連合を逆転勝利に導いた立役者である。

 選挙期間中、陣営はジョンソンに対するインタビューを極力絞り、『BBC』の著名な司会者アンドリュー・ニールの要請も避け続けた。インタビューに応じて細部を突っ込まれると、ボロが出るかもしれない。スローガンを叫んでいるだけの状態が、保守党にとっては一番よかったのだろう。ある意味ずる賢い戦略が、勝利の基盤を築いたのだった。

「自由民主党」党首の落選

 総選挙で失敗したのは、労働党に限らない。EU残留を前面に掲げた「自由民主党」もまた、惨敗した。その象徴が、午前3時45分に明らかになった党首ジョー・スウィンソンの落選である。

 スコットランド・グラスゴー北西ダンバートンシャー東選挙区から立候補したスウィンソンは、「スコットランド国民党」候補にわずか149票差で苦杯をなめた。前回に比べ国民党が6.8ポイント伸ばしたのに対し、スウィンソンは3.8ポイント失い、逆転を許したのだった。

 自由民主党は、残留を明確に打ち出す第3政党として、選挙前は躍進が期待された。39歳2児の母のスウィンソンは、今年の7月に党首に就任したばかりで、経験の薄さが逆に、当初は斬新だと見なされた。しかし、「私は次期首相になる」などと非現実的な言動を繰り返し、しばらくすると人気は急落した。野党が勝つには選挙協力が不可欠だが、そのための調整を担う人材も党にいなかった。

 EU残留系NGO「ベスト・フォー・ブリテン」の選挙前の試算によると、30%の選挙区で野党が候補者調整をできていたら、保守党を十分打ち負かせるはずだった。しかし、そのような動きはほとんど芽生えなかった。投票前日になって、苦戦する自由民主党の候補2人が相次いで労働党候補への投票を呼びかけたが、遅すぎる営みである。

 一言で表現すると、野党は準備不足だった。にもかかわらず、ジョンソンの解散の呼びかけに応じてしまったのが、そもそもの間違いだった。

 最終結果は以下の通りだった。冒頭の出口調査と比べても、大きな差異はない。

▼保守党 365議席
▼労働党 203議席
▼スコットランド国民党 48議席
▼自由民主党 11議席
▼民主統一党 8議席
▼その他 15議席

米英ロシアに通じる枢軸

 米大統領トランプがジョンソンの勝利を祝うツイートをしたのも、この13日のことだった。トランプは「米国と英国は今や、大々的な自由貿易を展開できる」と述べた。ここに、米英さらにはロシアにも通じる枢軸が完成したといえる。

 トランプは選挙戦終盤の12月2日から4日にかけて、北大西洋条約機構(NATO)創設70周年記念首脳会議に出席するために訪英していた。その際には当然ジョンソンとも会ったのだが、首脳会談の形は取らなかった。米大統領が訪問先の首脳と会談をしないのは異例である。これは、トランプが余計なことを言い出して選挙戦に影響するのをジョンソンが避けたのだろうと推測できる。

 保守党陣営は、ここでも抜け目がなかった。総選挙は基本的に労働党の敗北だったが、それを演出できた保守党の勝利であるのも、また間違いないのだった。(了)

国末憲人
1963年岡山県生まれ。85年大阪大学卒業。87年パリ第2大学新聞研究所を中退し朝日新聞社に入社。パリ支局長、論説委員、GLOBE編集長を経て、現在は朝日新聞ヨーロッパ総局長。著書に『自爆テロリストの正体』『サルコジ』『ミシュラン 三つ星と世界戦略』(いずれも新潮社)、『ポピュリズムに蝕まれるフランス』『イラク戦争の深淵』『巨大「実験国家」EUは生き残れるのか?』(いずれも草思社)、『ユネスコ「無形文化遺産」』(平凡社)、『ポピュリズム化する世界』(プレジデント社)など多数。新著に『テロリストの誕生 イスラム過激派テロの虚像と実像』(草思社)がある。

Foresight 2019年12月20日掲載

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