「地下言説」を弄ぶトランプ:「ウクライナ疑惑」もう1つの闇

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 ドナルド・トランプ米大統領に対する下院の弾劾調査が始まった。

 ウォロディミル・ゼレンスキー・ウクライナ大統領との電話会談で、民主党のジョー・バイデン前副大統領と息子のハンター氏についての捜査を要求したことが弾劾相当と、民主党は追及している。その後トランプ大統領は中国にもバイデン氏の捜査を促しており、その行動は世界を驚かせている。ここでは、日本のメディアもほとんど取り上げていないが、ウクライナ大統領との電話会談でのもう1つの重要発言も精査したい。

 それは、「地下言説」とも呼ぶべき根拠のない世界に、トランプ大統領がどっぷり浸っている事実を浮き彫りにするものである。

 元首席戦略官のスティーブン・バノン氏らが率いる「右派ポピュリスト」(もう1つの右翼と呼ばれる「オルト・ライト」とも)の影響下にトランプ大統領は今も置かれ、2020年大統領選では、支持基盤である彼らの言説やフェイクニュースを徹底的に使っていく戦略が見えてくる。

「クラウドストライク」という企業

 トランプ大統領は7月25日、ウクライナのゼレンスキー大統領との電話会談で、2つの要求を行った。1つは、弾劾事案とされるバイデン親子への捜査要求である。そしてもう1つ、「クラウドストライク」(以下、CS社)という企業の名前を挙げて、ロシア疑惑の発端についてウクライナ政府に捜査を要求したのだ。

 CS社は2011年に創設された、米カリフォルニア州のシリコンバレーを本拠地とするサイバーセキュリティー企業である。そのソフトウェアの「ファルコン」は、「ゴールドマン・サックス」や「アマゾン」など多くの大企業が契約している。金正恩(キム・ジョンウン)朝鮮労働党委員長のパロディ映画を製作した「ソニー・ピクチャーズ」がハッキングされた際、米連邦捜査局(FBI)とソニー・ピクチャーズはCS社に調査を依頼してハッキングの鑑識調査を行い、北朝鮮の犯行であると断定し名前を上げた。

 では、トランプ大統領は電話会談でCS社にどう触れたのだろうか。ホワイトハウスの公表した電話会談録を訳してみよう。

〈あなた(ゼレンスキー大統領)には、ウクライナに関するこの全体状況に関して何が起きたのかを突き止めてほしいのだ。彼らはクラウドストライクと言っている。ウクライナには富裕な人がいるだろう。彼らはあのサーバーはウクライナにあると語っているのだ〉

 この発言を解説するとこうなる。

 2016年大統領選では民主党全国委員会(DNC)のサーバーがハッキングされ、ヒラリー・クリントン陣営の内情などが流出。しばらくして内部告発サイト『ウィキリークス』にその内容が掲載された。このハッキングについてはFBIや米中央情報局(CIA)などが、ロシアのハッカーの犯行であると結論づけ、ロシア軍参謀本部情報総局(GRU)幹部ら12人が起訴された。

 CS社は、このDNCのサーバーへのハッキングを最初に調査し、ロシアの犯行であると断定した。FBIやロシア疑惑をめぐるロバート・モラー特別検察官の捜査も、CS社の調査結果を確認した。

 ちなみに米国では、サイバー犯罪の捜査を民間企業が助けることが多い。中国人民解放軍の米企業へのハッキングも、民間企業「マンディアント」が、人民解放軍総参謀部第3部の犯行であると突き止め、起訴に持ち込んだことがある。

荒唐無稽な「邪悪な企て」論

 ロシア疑惑とは、トランプ陣営がこのロシアのハッカーたちに、クリントンを陥れるためにあら捜しを依頼したのではないか、というものだ。つまりトランプ陣営とロシアによる、クリントン陥れの共謀ということである。

 モラー特別検察官は2年近い捜査の結果、今年5月に「共謀は証拠不十分」と結論づけた。これを受け、ロシア疑惑をめぐる騒動は一段落し、トランプ大統領は「潔白が証明された。事件は終わった」と胸を張った。

 それから2カ月後のゼレンスキー大統領との電話会談で、トランプ大統領はCS社を持ち出し、サーバー、つまりハッキングされたDNCサーバーがウクライナにあるとの見立てを語ったのだ。

 荒唐無稽と誰もが思う。

 だが、DNCへのハッキングはロシアではなく実はウクライナが行ったという言説が、当時から右派ポピュリストのサイトでは流れているのだ。その言説によれば、ロシア疑惑とはトランプ氏の大統領当選を無効にする民主党の邪悪な企みであり、DNCへのハッキングは実はウクライナと民主党の共同作戦だ、というものだ。ロシア犯行説をでっちあげるためにCS社も動員され、ハッキングの最重要証拠であるDNCのサーバーをウクライナに持ちこみ、ウクライナと民主党の犯行の発覚を防いだ、という展開である。

 先述した電話会談録にあるように、トランプ大統領は「ウクライナの富裕な人」という表現をした。これは、CS社がウクライナの政商に操られているという思い込みから発想したものだ。CS社の創設者の1人はロシア生まれの米国人であるのだが、ウクライナ・民主党による邪悪な企て論を補強するために、思い込みが事実に勝ってしまったのだろう。

尋常ではない執着

 この言説からは、いくつもの政治的な文脈が読み取れる。

 まず、ウクライナの親米政権はバラク・オバマ政権が支えてきており、民主党とつながりが深い。対するトランプ大統領は、ウクライナと敵対するロシアのウラジーミル・プーチン大統領と親密である。ロシアのサイトは、DNCハッキングはウクライナ発である、あるいはそもそもハッキング自体なかったとの「フェイクニュース」をこれまでも拡散してきた。

 オバマ政権で、ウクライナを主に担当したのが副大統領のバイデンであり、息子はウクライナのエネルギー企業の役員として巨額の報酬を得た。このためウクライナを非難することはバイデン叩きにつながる。また、トランプ大統領の盟友である元ニューヨーク市長のルドルフ・ジュリアーニ弁護士が、ウクライナの内政に関わっている。

 もっとも、ロシア疑惑を完全否定するこの言説を、米捜査当局もサイバーセキュリティー企業もまったく相手にしていない。もちろんウクライナ政府は全面否定である。

 そんな話になぜトランプ大統領は執着し、捜査まで要求するのだろうか。ウクライナへの4億ドル(約430億円)もの軍事援助について、DNCサーバーの捜索努力とバイデンへの捜査を条件としたことはほぼ間違いない。その執着は尋常ではない。

 米メディアの報道を検証してみると、実はトランプ大統領は2017年4月に『AP通信』のインタビューで、DNCのサーバーがウクライナにあり、CS社が関係していると語っている。今年に入ってからも、お気に入りの『FOXニュース』 のトーク番組で、「FBIは DNCサーバーを押収しないのはなぜだ。ウクライナを調べればいいのに」と語っている。

「情報機関」への異様な敵視

 その執着にはいくつかの理由が考えられるが、すべて2020年大統領選の戦略という観点でとらえるべきだろう。

 まずトランプ大統領は、2016年大統領選挙での勝利に疑義がついていることを今も苦々しく思い、ロシアの介入などなかったと証明したい。米ジャーナリストが執筆した内幕本のいくつかは、トランプ大統領自身も当選を予想していなかった、と記しているから、自らがいまだ米国民の支持を得て大統領職を担っているとの確信がないのだ。

 モラー特別検察官は2年近い捜査の末にトランプ大統領を無罪放免したが、それでは不十分と思っているのだろう。内外の疑念を晴らさなければ、2020年選挙は不利だから、ウクライナと民主党がDNCハッキングの黒幕であるとの説にすがりついているのではないか。

 次に、「ディープステート」との戦いの構図を描くことで、右派ポピュリストの支持を固められる。「ディープステート」とは、選挙を経ない官僚が動かす国家形態を呼ぶ。長年行政府に巣くう官僚機構が権力を握り、民主選挙によって選ばれた政治家を巧みに操作して、民意を骨抜きにしているという論に基づくものだ。そのポピュリズムの響きは、左右両派に共通する。

 トランプ大統領は官僚たちの中でも、情報機関に対して敵意を燃やしている。ロシア疑惑を最初に捜査したのは、当時FBI長官のジェームズ・コミー氏であり、そのコミー氏を解任したら、今度は先輩のFBI長官だったモラー氏が特別検察官として、弾劾を視野に入れて捜査の指揮をとった。

 今回のゼレンスキー大統領との会話もCIA職員が内部告発したもので、弾劾調査に発展した。情報機関が何度も、異端のポピュリストである自分を潰そうと戦いを挑んでいるという構図である。DNCハッキングの「真相」は、米国とウクライナの情報機関同士が合同で仕組んだ「クーデター」であるとの論も、トランプ支持派のサイトでは流れているほどだ。

闇と醜い展開

 そしてトランプ大統領のこの一連の言動には、バノン氏らが率いる右派ポピュリストの心情を掻き立てる狙いがある。彼らを投票に向かわせ、バイデン氏であれエリザベス・ウォーレン氏であれ、民主党候補を攻撃し貶める材料となる。バノン氏は2016年大統領選の頃から、トランプ政権の目的の1つに「行政国家の解体」を挙げてきた。行政国家とは「ディープステート」の別称である。

 トランプ大統領が本当に、DNCハッキングがウクライナ発であると信じているのかどうかは疑わしい。だがあえてウクライナ大統領との電話会談録を公表したのは、右派ポピュリストの「怒りボタン」を押す狙いがあるのではないか。

 電話会談録の公表を受けて、右派のトークラジオホストとして絶大な人気を誇るラッシュ・リンボーは、「重大な展開だ」と喜んでいる。「CS社が我々の会話に戻ってきた」との右派の書き込みもある。CS社、ウクライナ、クリントン、バイデンなどは、トランプ支持者を沸き立たせるキーワードであるのだ。

 DNCのサーバーは今もワシントンのDNC本部にあるし、かつてCS社でDNCサーバーを調べた技術者は、「常軌を逸している。ウクライナ大統領はこんな話を聞いて驚嘆したに違いない」と述べているのだが、火消しにはなっていない。

 2016年の大統領選では、クリントン氏がワシントン郊外のピザ店を根城にする児童買春組織の元締めである、というフェイクニュースが拡散し、実態を確かめに来たという男がピザ店で発砲するという騒動も起きた。米情報機関―ウクライナ情報機関―民主党の連携によるトランプ追い落としという絵図は、ピザ店のフェイクニュースよりはるかに深い層に響く。

 バノン氏は今年3月の私とのインタビュー(2019年3月22日『ポピュリズムと地政学:バノン思想の「今」を探る』)で、2020年の選挙は「南北戦争のような、醜いものになる」と語っていた。地下層でひそかに語られるような異端の言説が、大統領同士の公式会談で取り上げられる。それだけでも来年の大統領選の闇と醜い展開を予想させる。

杉田弘毅
共同通信社特別編集委員。1957年生まれ。一橋大学法学部を卒業後、共同通信社に入社。テヘラン支局長、ワシントン特派員、ワシントン支局長、編集委員室長、論説委員長などを経て現職。安倍ジャーナリスト・フェローシップ選考委員、東京-北京フォーラム実行委員、早稲田大学大学院アジア太平洋研究科講師なども務める。著書に『検証 非核の選択』(岩波書店)、『アメリカはなぜ変われるのか』(ちくま新書)、『入門 トランプ政権』(共同通信社)、『「ポスト・グローバル時代」の地政学』(新潮選書)など。

Foresight 2019年10月10日掲載

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