【特集:「建国70周年」の中国】(9)「日本渡航」もある上海「子宮頸がん」HPVワクチン接種の現状

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【筆者:趙天辰・医療インバウンド・医療ツーリズムサービス「光亜」代表】

 あっ、こんなにも活気のある素敵な場所だったのか――。

 これが私の初めての上海に対する印象である。日本で生まれ育った私は、両親が北京出身ということもあって、今まで一度も上海を訪れたことがなかった。すごい都市であると噂には聞いていたが、正直期待はしていなかった。

 しかし、予想以上に青い空、煌びやかなネオンで構成された夜景、幾重にも連なる超高層ビルを見て、上海の成長速度に度肝を抜かれたのであった。労働者もみんな生き生きとしていて、日本の環境に居続けることに危機感すら覚えた。北京よりもはるかに発展しているこの都市は、いかにできたのだろうかと興味を持った。

 9月15~16日、上海で行われた復旦大学の公共衛生学院と「医療ガバナンス研究所」が交流活動を続けてきた共同研究の打ち合わせに、医療ガバナンス研究所の通訳士として参加した。

 今回主に訪問した松江区という地域は、有名観光地の「外灘」(バンド)がある上海の中心から、南西に約35キロ離れた、黄浦江の上流に位置する。

 ちなみに、美味で有名な上海ガニ「大閘蟹(ダージャシェ)」は、この川で採れたものが最高級ブランドとなっている。

 松江区の面積は約600平方キロで、戸籍人口は約69万人であるが、常住人口は約175万人にものぼる。この人口の差は、農村部の市町村から労働力として流れてきたものと考えられる。

 この松江区は「上海の根」という異名を持っており、さかのぼること約700年前、明朝時代の松江府が上海県を設立したことが、世界でも有数の経済都市である今の上海市につながっている。つまり、松江区の歴史が上海の歴史そのものなのである。

 滞在の2日目には、そんな松江区の歴史を知ることができる「広富林文化遺跡」を訪問した。

 15万平方メートルの敷地面積を誇るこの遺跡は、4000年前の新石器時代からのものである。ここからは、4000年以上前の上海建築群や、新石器時代をはじめ、周、漢、宋、元朝などの時期の大量な文物、さらに唯一人骨が保存されている五基の墓などが発見されている。この遺跡の発見によって、この地域の新石器時代末期の空白文化が埋められ、2006年に「広富林文化」が考古学的に命名されたのだ。

 4000年もの歴史的背景はあるものの、観光地として開放されたのは昨年の2018年であるため、公園は実際に歩き回っていてとてもきれいだった。

 園内には、屋根だけ残して水中に建てられた博物館の建物や、音楽に合わせた噴水などもあった。見事に現代施設と古代文明を融合させた造りになっているなと、急速に発展し続けている上海を感じ取ることができた。

 博物館に入ると、新石器時代から近年にかけての上海の様子を蝋人形や音声、文字、光などで再現されていた。中でも、私が小さいころ見ていた中国時代劇に出てくるような学堂(今でいう学校)、薬房、茶房なども身近で見ることができ、まるでタイムトラベルをしているようで非常に楽しかった。中国人として、母国の歴史をもっと学びたいと思った。

 今回、私自身としては初めてこのプロジェクトに参加する機会に恵まれ、医療従事者ではないものの、上海や松江区の医療事情や問題点を詳しく知ることができた。

 人口約175万人いる松江区には8カ所の病院と15カ所の地域医療センターがあり、松江区だけに関していえば、医療水準は日本と変わらないように感じた。

 今回の学術交流において、特に上海の「HPV(ヒトパピローマウイルス。感染すると子宮頸がんを起こす)ワクチン」の現状について興味を持ったので、医療ツーリズムの観点も踏まえて考えを記してみたい。

ネックとなっている「価格の問題」

 松江区の現状として、年間10万人当たりの子宮頸がんの発症率は、2008年から2014年にかけて徐々に増えていき、2014年に約14.00と最大となった。

 また、「尖圭コンジローマ」(HPVなどが原因となるウイルス性性感染症で、生殖器とその周辺に発症するイボ)の年間罹患数は、2013年の約170件以降急激に下がり、2014年には約90件、最新の2018年のデータでは30件弱まで下がった。

 ちなみに、「国立がん研究センター」の「がん対策情報センター」のデータによると、日本では年間で10万人当たりの子宮頸がんの発症率が11.11である。

 また、松江区が大学生と、小中高生の両親をそれぞれ対象に行った「HPVワクチンの認知度及び接種意欲」のアンケートにおいて、接種意欲の比率は大学生で80%、小中高生の両親で70%と、かなり高い割合を示している。

 しかし、実際の接種率を聞いてみたところ、「HPV9価ワクチン」に関しては日本と同じく1%にも満たないのが現状であった(「価」とは、100種類以上あるHPVの型の何種類を防ぐか示す数値で、「9価」とは9種類を防ぐという意味。ちなみに日本では「9価ワクチン」は未承認)。

 この「意欲」と「接種」の比率の差を形成している要因はいくつかある。

 まず1つ目に、価格の問題である。小中高生の両親を対象に行ったアンケートでは、大多数の人はワクチン接種における自己負担額の最高額の限度を1000元(約1万5000円)以下と答えた。しかし、中国の現状では、3回のHPV9価ワクチンを接種完了するのに最低でも4000元かかってしまう。つまり、自己負担額が高すぎると感じてしまうのである。そのため、中国のワクチン接種政策リストにHPVワクチンを加え、保険適用させることが解決法として挙げられる。

中国人らしい合理的な考え方

 しかし、最も大きな要因は、ワクチンの供給数不足である。

 上海市は2018年10月から、全ての区と地域の287カ所の医療機関でHPV9価ワクチンを接種できることになっている。ところが、ワクチンの数が接種希望者よりもはるかに足りていないというのが現状である。どの施設も、予約待ちとなっているのだ。今回見学させてもらった「上海CDC」(疾病予防センター)のHPV9価ワクチン予約リストも見せてもらったが、100人以上の名前が載っていた。学術発表の時、HPVワクチンの関連発表を行った担当者も、

「中国は海外からのワクチンが入りづらい。中国に不足なく入ってくる頃は、ほかの国が全員接種し終わった頃だよ」

 と苦笑していた。

 実際のところ、中国国内よりも、日本や香港などに行き渡るワクチンの量がはるかに多いとのことだ。さらに、量不足によって、ワクチンを接種できる年齢を16~26歳の間に設定していることも、この年齢制限に当てはまらない人々が打てない原因となっている。

 そのため、中国の人は現在、香港や韓国、日本に渡航してHPVワクチンを打つ人がかなり増加している。

 現に、中国大手通販サイト「淘宝(タオバオ)」などにも、このような医療ツーリズムのプランが載っているくらいだ。費用は、例えば韓国で3回分を打つとすると4200~6000元(約6万4000~9万1000円)と、中国国内ともあまり変わらない値段となっている。中国で手に入らないものは、海外で手に入れる。もっとも中国人らしい合理的な考え方だ。

 彼らが渡航して接種する中で一番不安に思っていることは、きっと言語の不自由さだと私は考える。だから私はこれからも、医療通訳士として、彼らの接種をサポートするようなサービス提供を行っていきたい。診察時のやり取りや宿泊施設など、その1つ1つの不安を無くすことで、より気軽に日本に来られるだろう。たとえば3回しなければならない接種をそれぞれ違う地域ですることで、旅行もできて満足できるだろう。

 上海の医療事情を今回具体的に知れたことによって、いろいろ挑戦したいサービスも増えてきた。

 これからも、日中両国間の医療の国境を少しでも無くせる手助けをしていきたいと、一層想いが強くなった上海の経験であった。

【筆者略歴】

2011年 福島県立相馬高校で東日本大震災を経験。上昌広先生のご支援を頂く。

2017年 東京外国語大学卒業。後、医療通訳として約60人以上の患者を担当。

2019年 医療ガバナンス研究所のスタッフ就任。医療インバウンド・医療ツーリズムサービスを手掛ける有限会社「光亜」代表取締役社長就任。

医療ガバナンス学会
広く一般市民を対象として、医療と社会の間に生じる諸問題をガバナンスという視点から解決し、市民の医療生活の向上に寄与するとともに、啓発活動を行っていくことを目的として設立された「特定非営利活動法人医療ガバナンス研究所」が主催する研究会が「医療ガバナンス学会」である。元東京大学医科学研究所特任教授の上昌広氏が理事長を務め、医療関係者など約5万人が購読するメールマガジン「MRIC(医療ガバナンス学会)」も発行する。「MRICの部屋」では、このメルマガで配信された記事も転載する。

Foresight 2019年10月3日掲載

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