CIAで「ガラスの天井」を破った女傑の素顔

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 米ワシントンD.C.のアーリントン国立墓地に眠るその日本人女性の名前は、キヨ・ヤマダ。1922年に東京で生まれ、戦後に渡米して軍人と結婚し、国務省に長らく勤めて2010年に他界した――というのは表向きの経歴だ。実際はCIA(米中央情報局)のスパイを養成する語学インストラクターだったのだという。

 この度刊行された山田敏弘さんの『CIAスパイ養成官 キヨ・ヤマダの対日工作』(新潮社)は、そんな彼女の半生を綴ったノンフィクションである。

 一体、キヨ・ヤマダとは何者だったのか。山田氏とドラマ『相棒』(テレビ朝日系列)で知られる脚本家の真野勝成氏が、本書で明らかにされるキヨ・ヤマダの秘密の一端を語った。

日本はソ連・中国のスパイ拠点

真野 僕はインテリジェンス関連の本が大好きなので、本書は“ド真ん中”でした。

 CIAの諜報活動は基本的には表に出てきません。何年か経ってちらほらと漏れ伝わってくるものもありますが、それはウサマ・ビン・ラディン掃討作戦のような大きなオペレーションに限った話です。

 本書はキヨ・ヤマダという日本人の、それも戦前生まれの女性が、渡米したのちにCIAの語学インストラクターになったという話。そもそもCIAに語学インストラクターという人たちがいることに驚きました。

山田 諜報活動において情報収集の核となるのは人と人との付き合いなので、相手に信頼してもらうためには語学が重要になってきます。特に日本では、電話で済まさずにきちんと顔を出したり、手書きのお礼状を送ったりすることが好まれますよね。お辞儀の仕方1つで評価が変わる。そのため、日本語や日本文化を熟知しているネイティブのインストラクターが必要だったのでしょう。

 彼女は46歳でCIAに入局し、77歳まで語学インストラクターを務めました。東西冷戦期には、日本に拠点を置いているソ連や中国のスパイがいたため、彼らの情報を集めるうえでも日本語は重要だったのだと考えられます。

 現在も、日本には在日朝鮮人、在日韓国人が数多く暮らしており、朝鮮総連と韓国民団があるため、朝鮮半島の情報が集まりやすいというメリットがあるようです。

 キヨさんがCIAで仕事をはじめてしばらくは30カ国語が重要言語として教えられていましたが、いまは87カ国語に増えています。

 課題は、ペルシャ語やアラビア語、アフガニスタンで使用されるパシュトゥ語の人材が不足していること。これらの言語を喋れる人は、中東出身のネイティブがほとんどで、必ずと言っていいほど現在も母国との繋がりを有しています。そうなると、CIA側から情報が漏れるリスクがあり、なかなか入局のスクリーニングをパスできないのだそうです。

真野 キヨさんは引退する時にメダルを授与され、表彰までされている。そう考えると、ただの日本語インストラクターではなかったのではないかと思えてなりません。日本語の暗号解読や日本での諜報活動も行っていたのではないか、と。

山田 インストラクターの活動だけでは、なかなかそこまで評価されないのではないかという話ですよね。

他の情報機関より「CIAは喋る方」

真野 テーマがテーマだけに、情報自体が非常に少なかったのでは?

山田 取材を始めてから刊行まで丸3年かかりました。自分がCIAで働いていたことを打ち明けた日本人女性がいる――という話を風の便りに聞いたところから始まったのですが、当初は取材をしようとも思っていませんでした。 そもそも取材なんてできないと思っていたからです。語学インストラクターだったことをどうやって確認するの?と(笑)。

 けれど、アメリカを行ったり来たりしながら、キヨさんと親交のあった人たちを辿っていくうちに、彼女が生前に親しくしていた2人の重要人物とCIAの教え子に行きつくことができた。

真野 アポイントをとるのが大変だったのでは?

山田 アメリカ東海岸の山奥の大学にまで会いに行ったのにすっぽかされたこともありました(笑)。

真野 テロリストの話の方が取材しやすかったかもしれませんね。CIAの人たちも身内より敵の話の方が喋りやすい。

山田 テロリストの話なら敵を倒したアピールになりますが、いまキヨさんのことを話す動機ってなかなかないですよね。でも、インテリジェンス界隈の人たちに言わせると、他の国の諜報機関に比べて「CIAは喋る方」らしい。

一発勝負の緊張感

真野 取材の過程で“恐らくこうなのだろうな”と肌感覚で感じていても、書けないこともあったのではないですか?

山田 相手がイエスかノーかを言わずにニヤッと笑ったことだけから、その意味を判断しないといけない時もありました。突っ込んで聞きたいけれども、相手も敢えてそういう形でボカしているので、時間の無駄にもなりかねない。質問が20個くらいあるのに、まだ10個くらいしか聞けていない、じゃあとりあえず全部聞こう、となってタイムアウトになることもありました。

 CIAの関係者なんてそう何回も会ってはくれないので、普段の取材よりも一発勝負的なことが多い分、緊張感はあった。

 中には2回会ってくれた人もいましたが、見事に話が全くぶれない。ここまでは喋るけれども、これ以上は喋らないというのをきっちり決めて準備してくるのでしょう。

真野 そもそも彼女が元CIAであるということを知らない人もいるので、なぜ山田さんが取材しているのかという前提を曖昧にしたまま話を進めないといけなかった難しさもありますよね。

山田 キヨさんは渡米する前、湘南白百合学園(神奈川県藤沢市)で臨時の英語講師を務めていたのですが、当時の生徒に取材をした時は、「なぜ先生のことを?」と。彼女はもちろんキヨさんの素顔を知らないわけです。こちらも教えていいのか分からない。教えたところで何がどうなるわけでもないのですが、「アメリカでご活躍されて……」と話しました。

 相手によっては彼女がCIAであったことを話さないと取材が進まないので、そういう時はこちらから切り出すのですが、最後まで「彼女が働いていたのは国務省」と言い張る人もいれば、「なんだ、知っていたの⁉」という展開になる人もいました。

某国からいたずら電話

真野 僕はずっと陰謀なんて前時代的なものだと思ってきましたが、この10年くらいでもう1度、世の中の見方が変わった。

 日本でも上の方でごちゃごちゃやっていることがだんだんと表に出てきて、確かな証拠はないけれど、裏で誰かが何かをやっているに違いないということだけは、ぼんやりとみんな分かっている。

 それを「陰謀」と言うのだろうなと。

山田 取材を終えてホテルに泊まり、朝起きるじゃないですか。そうすると、急にこう思えてくるんです。

 昨日、こういう話を聞いたけど、その話を聞くことも、このホテルに泊まることも、何もかもすべて最初から仕組まれていたんじゃないか?と。危うく陰謀論の世界に飲み込まれるところでした(笑)。

真野 そういえば以前、海外からいたずら電話が来ていましたよね?

山田 サイバーセキュリティのイベントで講演をした時に、ある国のセキュリティ会社と情報機関がどう繋がっているかという話をしたのです。その後、いろいろな方と名刺交換をしていたら、1人だけ政府関係者を名乗る怪しい人物がいた。その夜から、毎日19時にスマートフォンにいたずら電話がかかってくるようになりました。

 画面に番号が表示されるでしょ? その国番号が私の取り上げた国のものだったのです。で、出ると切れる。2週間くらい続きました。スクリーンショットも撮っていますよ。

「売国の実態」というリアクション

山田 本書が刊行された後に意外だったのは、「日本を裏切った人ですよね」というリアクションがあったこと。もちろん「売国」という側面をまったく考えなかったわけではありませんが、深く書かなかった。でも、そこに引っかかった人も結構いて、考えさせられました。

真野 結果として売国だったとはいえ、売国が動機ではなかったことは間違いないと思います。

 彼女の場合は生い立ちがとても複雑ですよね。裕福な家庭に生まれながらも、愛情に恵まれなかった。肉親から「切られる」というのは、心が死ぬほどの深いダメージだと思います。

 抑圧から解放され、1人の人間として自立したくてアメリカへ渡ったのに、そこでも「妻」や「主婦」であることを強いられた。そんな彼女に46歳で訪れた転機がCIAへの入局でした。

 それから彼女は水を得た魚のように大活躍します。46歳と言ったら、僕らより年上じゃないですか。46歳で新たなキャリアが始まって77歳まで働くのは凄い。セカンドライフというより、むしろ彼女の人生はそこから始まったと言える。

 結果的に仕事での自立が日本に対する背信行為になってしまったけれども、彼女は国に恨みがあったわけでも、国を裏切りたかったわけでもなく、単に仕事で頑張りたかっただけなのだと思います。

山田 キヨさんは「CIAに入ってやっとアメリカ人になれた」という言葉を残していますし、晩年は「私はCIAでガラスの天井を破ったのよ」というのが口癖でした。やっとCIAで自分の居場所をみつけたという気持ちだったのでしょう。最後に輝ける場所があったというのが救いかなと思います。

真野 表彰というのがいいですよね。お金じゃなくて名誉。組織からの評価って、仕事をしていて一番嬉しい。

衝撃的な夫の「復讐」

山田 本書はCIAに関するノンフィクションと1人の女性の物語という2つの側面がありますが、僕としては後者に軸足を置いています。キヨさんは戦前生まれで、CIAのスパイ養成官という今に生きる女性とはかけ離れた環境にいましたが、現代の女性と同じような悩みを抱えている。

 アメリカで暮らしている女性に話を聞くと、まだ壁があると言います。日本でもだいぶ意識が変わってきましたが、女性の生き方というものについて書ければいいなという思いもありました。

 こんなことを男が言うのもどうかと思いますが、女性にとって子どもをつくらないと決めてからの人生というのは、また違うのではないかと思うのです。

 キヨさんは子どもを持つことを望んでいましたが、夫の反対に遭って叶いませんでした。女性の方がいろいろな選択をしなければならない分、切実ですよね。

真野 キヨさんが弟のように可愛がっていた方に、「家族になって欲しい」と手紙を書いた気持ち、少し分かるんです。

 僕は最近、父と愛犬を亡くし、結婚もしていないので、本当に独り。そうなると、友人の子どもが可愛くて仕方がない。友人にしてみたら「可愛がってくれてありがとう」ということになるのだけれども、僕にしてみれば、子どもたちにいただいたものをお返ししているだけ。ある意味、一線を越えた愛情になってしまう。

 またキヨさんの結婚相手がね……。旦那に軍人としての信頼があったからCIAに入れたわけですが、あんなのを選んじゃって……。

山田 キヨさんは夫に先立たれた後、遺品を整理していて、衝撃的なメモを見つけます。実は夫があちこちで女遊びをしていたことを知るのですが、そういうものをどうして書き残すのかな?という感じですよね。キヨさんが読むことは明らかなのに。

真野 どうもキヨさんが働き出してから2人のパワーバランスが変わったように思います。その「復讐」だったのかもしれませんね。

諜報活動の過渡期

山田 キヨさんの時代といまとではまったく諜報活動の手法が違います。一番の違いはやはりテクノロジーですよね。

 どこかの諜報機関が「真野勝成という人物は反体制的で危険だ」と判断したら、一切真野さんの前に姿を見せずに、真野さんが気づかぬうちに、すべての情報を盗めると思いますよ。

 スマートフォンに侵入すれば、尾行なんてリスキーなことをしなくても位置情報を追えますし、銀行口座の情報も手に入る。情報は抜き放題です。

 言語の習得についても、これからは自動翻訳ツールがあります。

真野 自動翻訳はもう少し頑張って欲しいところです!

 僕、海外小説が好きなので、訳本が刊行されていない好きな作家の新作をざっくり訳してもらって自分で読もうと思ったら、負担が大きすぎたみたいで、日本語の形になっていない(笑)。

山田 やはり情報を日本語から英語に訳すのはひと手間かかるので、日本語を使っている方が安全かもしれませんね(笑)。

 でもCIAの人は「スマホを持っている時点でプライバシーも何もない」と言います。実は、それって中国の価値観なんです。プライバシーなどないという前提を受け入れている。

 いまは技術の面でも価値観の面でも、諜報活動が過渡期にあります。

中国の価値観が「ノーマル」に

真野 今後はアメリカから中国へ覇権が移り、いわゆる「世界皇帝」が習近平になりますか?(笑)

山田 中国という国は世界の価値観を変えるくらいの国になっていく可能性があります。

 サイバーセキュリティの分野では、中国政府は1980年代後半から「これからは情報戦争だ」と先を見据えていましたが、なかなか芽が出なかった。そこから中国は投資と人材育成に力を注いで、ようやく実ってきている。

 凄まじい監視社会です。監視カメラの映像をAI(人工知能)で解析する「Skynet」(天網工程)や「Sharp Eyes」(雪亮工程)というプロジェクトが進められ、顔認証の技術を強化していますし、もちろんインターネットも監視されている。横断歩道の信号無視をなくすために、赤信号で渡った人物の身元を顔認証で特定する、という取り組みまで行われている。

 しかも、それで暴動が起きたりしないのが中国です。嫌な人は国を出るので、残っている14億人は「プライバシーなどない」という価値観を共有していると言える。

 もしかすると、いつか彼らの価値観の方が「勝っている」とされ、世界の「ノーマル」になる日が来るかもしれません。

虚飾や誇張のない「本当」の面白さ

真野 本書は、今まで誰にも知られていなかった秘密を山田さんが掘り起こしているわけですが、虚飾や誇張なく書いてくださるので、本当に信じられる情報を楽しむことができる1冊になっています。

 それに加え題材が題材なので、インテリジェンスに興味がある方にとっても面白いですし、女性が読んでも共感できるのではないかと思いますので、幅広い層に読んでいただきたいなと思います。

山田 最初の動機は、日米の歴史の1ページにキヨ・ヤマダという女性がいたのだということを単純に伝えたかったのですが、取材をしていくうちに、女性が生きていくうえでの苦悩は当時も今の時代も重なる部分があり、生き方を探していくというのはみなさん一緒なのではないかと感じました。

 そういうところに共感したり、自分にあてはめて考えたりするきっかけになればいいなと思っています。

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Foresight 2019年9月20日掲載

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