「東京から首都移転」の現実味を「インドネシア遷都計画」で占う

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〈鳴くよウグイス平安京〉

 学生にとっては忘れられない語呂合わせだが、794年に行われた平安遷都は、都市(長岡京)の肥大化や衛生問題も大きな理由だったといわれている。

 インドネシアのジョコ大統領が、ジャカルタから首都を移すと閣議決定したのは4月29日のこと。移転先として候補に挙がっているのは、北側のカリマンタン島(ボルネオ島)のパランカラヤという場所や、東側のスラウェシ島などだ。なぜ、今ごろ大統領は遷都を言い出したのか。

 現地在住のジャーナリスト・大塚智彦氏が言う。

「ジャカルタの人口は約1千万人で、周辺地域を合わせると約3千万人にもなります。ところが、交通インフラが弱いために渋滞は日常茶飯事で、海岸地域は地盤沈下で水浸(みずびた)し。それなのに、人口流入が止まらず、失業者が溢れている。もはや都市としては限界に来ているのです」

 もともとインドネシア政府は、たびたび遷都をブチ上げてきた。1度目はスカルノ政権時代の1957年。その後スハルト政権などでも議論されたが、いずれも立ち消えになった。

「しかし、以前と違うのは、遷都を正式な閣議決定にまで持ち込んだことです。インドネシア政府は2008年に『ビジョン・インドネシア2033』という国家プランを策定していますが、そこに首都移転が盛り込まれている。いわば、閣議決定はジョコ政権の宿題だったわけです」(同)

 だが、大統領が見せた“やる気”と現実は別。遷都となると、政府職員だけで150万人近くが引っ越し、最大約3兆5千億円かかるとの試算もある。現地の日系企業マンによると、

「ジャカルタには日系企業だけで700社あります。それをカリマンタンのジャングルに移すなんて無理。こちらでは大統領選挙が終わったばかりですが、ジョコ大統領が再選しても任期はあと5年。遷都には10年はかかるので、本気で考えているとは思えません」

 振り返れば、日本でも1990年に一極集中を解消するため国会等移転決議が採択されたことがあった。が、石原慎太郎氏が猛反発してうやむやに。

「結局、首都移転は時の政権が強い意志を持って断行しないと、実現できないものなのです」(嘉悦大学の高橋洋一教授)

 安倍政権の任期はあと2年。その前には、参院選と消費税増税も控えている。いまさら「遷都」なんて口にするだけヤボか。

週刊新潮 2019年5月16日号掲載

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