「小泉進次郎」が落語雑誌に登場 評論家曰く“彼は落語の本質がわかってないね”

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洒落のわからない男

 演芸評論家の吉川潮氏に、進次郎氏のエセーの感想を伺うと、

「そんなに『仲蔵』が好きなら、落語じゃなく、講談を聴きに行ったほうがいいね。僕はね、落語ファンと言いながら人情噺好きという人を、本質的に信用できないと思っているから。進次郎さんは政界の落語ファンとして落語議連を作ったりして、ずいぶん熱心だと思っていたけど、結局、議連作ったのも選挙の応援に噺家を呼ぼうという魂胆でもあるのかと疑っちゃうよ。彼は落語の本質がわかってないね。落語の本質は滑稽話にある。家元(立川談志師匠)の言った“業の肯定” こそが落語だからね」

 人間の弱さ、ズルさ、物欲、色欲、金銭欲、出世欲……など全部ひっくるめて、それも人間だと認めて笑い飛ばすのが落語というわけである。

「忠臣蔵なら、討ち入りに行かずに逃げちゃったほうの侍を主人公にするのが落語です。だけど進次郎さんは、それとは真逆の業を否定した出世譚が好きだという。落語の入口を間違えちゃったかね。それにしても、何で仲蔵なんだろう。だって、進次郎のオヤジは総理を務めた純一郎なんだから、彼は政界のサラブレッドでしょ。彼は仲蔵に敵視されていた側の人間なわけです。それを好きというのは、どういうつもりなんだろうね」(吉川氏)

 進次郎氏、この噺のどこがいいかといえば、

〈……仲蔵に見習うべきプロフェッショナリズム。聴くたびに「仲蔵ほど自分はやっているか?」って問われている気がします。だから何回も仲蔵を聴く。常に自分への戒めになっています〉

 道徳の授業か坊主の説教と勘違いしていないか? 寄席で正座でもして見ていそうだ。挙げ句の果てに、締めの言葉は大仰だ。

〈……落語が成立するというのは、民主主義が機能している一つの表れです。落語議員連盟の皆でまた落語を聴きに行こうかな。〉

「洒落のわからない男だね。昔はね、昭和の名人・古今亭志ん生の廓話『お直し』に文部大臣から芸術祭賞が授与されて、あの志ん生をして『なんとも粋な大臣がいたもので……』と言わしめたこともあった。進次郎さんも落語ファンを自認するなら、廓話とまでは言わないまでも、せめて『選挙演説が上手いと言われますけど、実は落語の“間”が役に立った』とか、もうちょっと気の利いたことが言えないのかね。状況判断ができない奴のことをバカと言いますけど、これじゃ編集者は苦労しただろうね」(同)

 ひょっとして進次郎氏、人気があるのに端役しか与えられていない仲蔵に、自分を重ね合わせてる? だったら、さっさと主役に躍り出てみたらどう?

週刊新潮WEB取材班

2019年4月23日掲載

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