元横綱「輪島さん」逝去 遺した“黄金の左”と“豪遊”伝説

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 亡くなった輪島大士(ひろし)さんのライバルの一人は、1972年九月場所後、大関に同時昇進した貴ノ花だった。先だって日本相撲協会を去った貴乃花の父である。輪島は大関4場所目で全勝優勝、初土俵から僅か3年半で横綱に駆け上がった。時に25歳。学生相撲出身の横綱はいまだ彼一人だ。

「大鵬と柏戸の引退後、人気に陰りが出てきた角界に現れたスター力士が輪島でした。彼の得意手は、“黄金の左”から繰り出される下手投げ。相手の右脇にぐっと入り込み、一気に左手を差す。バランスを崩した相手を土俵内で倒す豪快さに、日本中が興奮したんです」(スポーツ紙古参記者)

 輪島を追いかけるように横綱になったのが、もう一人の宿敵、北の湖だった。

「輪湖(りんこ)時代を築き上げた2人の取組は、がっぷりではなく、左の相四つで互いに力を出し尽くす、濃厚なものでした。北の湖は現役時、『輪島が相手だと自分の相撲が取れない』と語り、ライバルとして意識していたようです」(同)

 借金問題で角界を去った後は、プロレスラーやアメフトの監督、タレント業など転変した。

「銀座・六本木での豪遊ぶりは有名です。ネオン街からの請求書が段ボールで届いたなんて伝説も」(同)

 北の湖が3年前に先立った折、輪島は下咽頭癌を患い、声を失っていたが、文書で弔いの言葉を送っている。〈俺はもう少し頑張る。よく頑張ったね、お疲れさまと言いたい〉――。

 その年、2人は本誌(「週刊新潮」)で最初で最後の対談を行っていた。実は現役時代は喋る事が一度もなかった、と話す2人。長い時間が関係を変化させ、〈また理事長に会いたいよ。きょうはありがとう。元気で。また会おう〉という輪島のメッセージに、〈こちらこそ、どうもありがとうございました。お元気で〉と北の湖が応えて対談を終えていた。

 その後、再会の夢は叶わなかった。泉下で相撲談義に花を咲かせているに違いない。享年70。

週刊新潮 2018年10月18日号掲載

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