「対米貿易戦争」で中国が密かに進める「IT核弾頭」交渉

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 5月17、18の両日、ワシントンで「米中貿易協議」が開かれた。5月3、4日に行われた北京での1回目に続いてだったが、激化しつつあった貿易戦争を米中とも「一時休戦」するという認識には至ったものの、具体的な合意は見いだせなかった。むしろ、その後の経過を見ると、溝は深まっている感がある。

 協議は米側スティーブン・ムニューチン財務長官、ウィルバー・ロス商務長官、ロバート・ライトハイザー米通商代表部(USTR)代表らに対し、中国側は習近平国家主席の信任厚い劉鶴副首相、易綱中国人民銀行(中央銀行)総裁らで行われた。

 最大の争点は2つ。年3750億ドル(約41兆円)にも及ぶ米国の対中貿易赤字を半分以上の2000億ドル(約21兆円)圧縮を要求する米国に対し、中国側は国営通信機器大手「ZTE」に対する制裁の解除を求めていることだった。が、中国側が米製品の輸入を増やすと表明し、米側も制裁解除を約束はしたが、ともに具体的な内容には踏み込めないまま。協議直後に行われるはずの共同声明発表も翌日にずれ込み、その内容も、数値目標が一切ない「異例」のものだった。

 取り繕って「休戦」とはしたものの、いつまた戦端が開かれるやもしれぬ。危機意識は共有しているようで、その後米中双方は水面下で模索し、とりあえず6月2~4日の日程でロス商務長官が訪中し、3回目の協議に臨むことになった。

 が、米側の中国に対する疑心、不信感は依然強い。ドナルド・トランプ大統領の習近平国家主席への疑念は最近とみに強まっている。6月12日にシンガポールで開催予定だった「米朝首脳会談」突如の中止が世界に衝撃を広げた。そのトランプ大統領の決断の背景に、金正恩朝鮮労働党委員長の2度の訪中による習近平主席との会談がある。とりわけ2回目直後から北朝鮮の態度が豹変した、裏で糸を引いているのは習近平主席ではないかと、大統領自身が疑念と不快感を世界に発信した。「米朝」はその後歩み寄って「6.12」に向け協議を再開したが、米中関係が修復されたわけではない。

 果たして米中貿易戦争「終戦」協議はどうなるのか。6月の「ロス訪中」で具体的な進展に至るのか。

 しかし案の定、火ダネは再燃した。5月29日、ホワイトハウスが「中国は長年、技術移転の強要などで米企業の公正な競争を不可能にしてきた」と、中国を激しく非難する声明文を公表。制裁として、500億ドル(約5.4兆円)分の中国製品に25%の高関税を課すと改めて宣言した。対象品目は6月15日までに公表するという。

 6月2日からの3回目の協議前に「脅し」をかけてきたことは明らか。しかし、脅しをそのまま実行する「予測不可能」なディール(取引)手法こそがトランプ流だ。

 その第3回協議で、実はこれこそ最大の焦点と目されているのが、米側が主張する中国のこの知的財産権侵害。トランプ大統領はすでに今年3月、先の500億ドル制裁措置を表明。反発した中国も同額分の米製品への対抗措置を表明、あたかも大陸間弾道ミサイル(ICBM)撃ち合いの様相だったが、先の第2回協議で互いに矛を収めたはずだった。それを米側が再び突き付けたのだ。

 そのICBMに搭載する現実の核兵器ではないが、それに匹敵する「IT核弾頭」と中国側が呼ぶ「知的財産権」について、この貿易協議と並行して、いままさに水面下の交渉が進行している。

ポイントは「翻案権」

 筆者は2014年12月30日に「『受話器マーク』で中国が仕掛ける対米『著作権』戦争」というレポートをアップした。スマホやタブレット、カーナビなどの「IT機器」を中心に至るところで使われている電話を表わす「受話器マーク」。日本では6種類の図柄が著作権を管轄する文化庁に正式に登録認可されている。その権利を中国政府が取得し、対米貿易戦争の最大武器として活用しようとしている、という内容だ。

 詳細は当該記事をご参照いただきたいが、要点は下記の通り。

(1)この著作権に基づき、所有者がかつてNTTドコモなど携帯キャリア各社やメーカーなどを相手に権利侵害の損害賠償5000億円を求める訴訟を提起。最終的には最高裁判所で権利者の敗訴が確定している。ただし、図案の完全なコピーと言える「複製権」についてのみ判断したが、「翻案権」については判断を示さなかった。

(2)この著作権を買い取りたいと、中国政府筋の代理人である中国人弁護士が権利者に求めてきた。権利者はすでに交渉協議に応じており、中国側の求めに応じ「交渉担保」として、権利の2分の1を中国人弁護士に譲渡した旨の所有権変更登記を文化庁に申請し、正式に登記されている。

(3)この2分の1の所有権に基づき、中国人弁護士は中国において、権利侵害の損害賠償請求訴訟を提起すべく準備をしている。対象とする被告は、米国経済の牽引役であるITの巨人「アップル」。

 この3点のうち(1)に関し、日本の最高裁で敗訴した権利をなぜ中国が欲しがるのかという疑問について補足しよう。

 まず著作権とは、国によって権利が法的に保護されているが、国際的にも、通称「ベルヌ条約」と呼ばれる国際条約(正式名は「文学的及び美術的著作物の保護に関するベルヌ条約」)によって保護されている。このベルヌ条約は「世界貿易機関(WTO)」に加盟している国は批准と遵守の義務がある。つまり、日本で法的に保護されている著作権はWTOに加盟している米国でも中国でも同様に保護の対象となる。

 そしてこれが重要だが、日本の最高裁は、「翻案権」の判断を敢えてしなかった。翻案権とは、厳密な図案の複製でなくとも、図案をもとに発想された、つまり権利が保護されている著作物から「翻案」して作成されたと見なされる場合は権利を侵害していると判断されるもの。これまでも会社や店舗の商号、名称、ロゴやマークなどで争われたケースは多いが、濫用されると対象が無限に広がって社会的経済的に混乱をきたす危惧もあるため、先の最高裁判決では敢えて判断を示さなかったと法曹関係者は指摘している。

 実はそこにこそ、中国にとってのメリット、意義があった。ベルヌ条約でこの著作権は中国でも有効であり、なおかつ日本の最高裁が翻案権の判断を示さなかったため、その判断は、改めて中国の裁判所が認定できるということなのである。

用意されている「訴状」と「判決」

 中国がこれまで世界各国の知的財産権を侵害し続けていることについては、米国ならずとも苦々しく思ってきたことは世界共通の認識だろう。お菓子や生活必需品、家電製品やIT機器、アミューズメントのコンテンツに至るまで、中国では日本をはじめ世界各国の「コピー商品」が大手を振ってまかり通っている。

 背景の1つには、中国の司法制度がある。中国も裁判制度が整備された法治国家ではあるが、最高裁すなわち「最高人民法院」は、中国共産党の指導を受けねばならないことになっている。すなわち中国最高裁の司法判断は中国政府の判断であり、政府の意向に沿わない判決はあり得ない。知財侵害の問題を政府間協議の争点にしなければならない所以である。中国の知財権侵害は民間企業レベルではどうにもならないため、米国も政府として制裁対象にせざるを得ないのだ。

 逆に言えば、知財にかかわる中国国内の司法判断は間違いなく、中国政府のメリットになる判決が用意される。本稿で問題にしている「受話器マーク」も、日本の最高裁が敢えて踏み込まなかった「翻案権」を中国ならば認定し、権利侵害を認めることは確実。何と言っても、それが中国政府の強大な利益になるのだから。

 そして訴状はすでに出来上がっている。冒頭に掲げた写真がそれだ。

 日本の高等裁判所に該当する「北京市高級人民法院」に提出する訴状によると、原告は、もともとの著作権所有者である実業家の徳川高人氏と、2分の1を譲渡された中国人弁護士、王暁濱氏。王氏の詳細な経歴は先に掲げた拙稿を参照いただきたいが、本人も言う通り、まさに中国政府筋の本件にかかわる法的な代理人である。

 そして被告は「Apple Computer」(正式には「Apple Inc」)。請求額は「10億人民元」(約170億円)となっている。「事実と理由」という項目にはこうある。

「近年、被告人は当該著作権を使用し、iPhone6s、iPhone6s plus、iPhone7 plusなどのスマートフォンを製造・販売し、不正な利益を得て、事前に原告人の授権許可を取らなかった行為は、原告人の「受話器マーク」著作権の使用権及び報酬権を侵害した」

 提訴の手続き一切を行う王氏が言う。

「すでに北京市高級人民法院では訴状受理の準備ができており、被告の反論如何にかかわらず勝訴判決も用意されています。もちろん、最高人民法院の判決も同じ」

 判決の確定にも、それほど日時を要しないという。

「1000億円」のビッグ・ディール

 では、その後の流れはどうなるのか。先述の通り、王氏はあくまで中国政府筋の代理人という立場で2分の1の権利を取得し、中国での訴訟の原告となった。が、判決が確定したからと言って、即座に請求賠償額170億円が王氏と徳川氏に半分ずつ入るわけではない。

 それ以前にそもそも、2分の1の権利を取得するにあたって、王氏は徳川氏にその権利代を支払っていない。それでも徳川氏が半分とは言え権利譲渡に応じたのはなぜか。

 それは、当初からこの一連の目論見が中国政府主導であり、中国側はあくまでも対米貿易問題の切り札として利用したい思惑があった。だから、被告ではあってもアップル社がターゲットではなく、相手は米国政府。何と言ってもアップルは時価総額で世界に例のない1兆ドル(約110兆円)の大台目前企業であり、米国経済を支えている屋台骨でもある象徴的な存在。しかも、知財問題ではまさに当事者。

 それだけに、訴訟上での請求額こそ170億円だが、この所有権の実質的な価値は、少なくとも中国政府にとっては桁違い。王氏によれば、中国側は徳川氏に1000億円の支払いを視野に入れているという。提訴後は権利は中国のIT企業が買い取り、その額が徳川氏に支払われる形になる。

「守秘契約上まだ社名は言えませんが、そのIT企業はスマホ市場で出荷台数、シェアともに世界の上位にランクされている。米国から制裁を受けている『ZTE』社とともに制裁対象に含まれているため経営的に大打撃を受けており、中国政府の指示でこの著作権を買い取ることは経営面で実利があると考えてのことだと聞いています」(徳川氏)

 1200億ドル(約13兆円)もの負債を抱えているとは言え、アップルは2850億ドル(約32兆円)もの豊富な余剰資金の大半を眠らせていると言われる。そんなアップルにとって170億円でも1000億円でもさしたる額ではないだろうが、中国の最高裁では、懲罰的な意味を込めて請求額以上の「アップルおよび米国に痛痒を感じさせる賠償額」を判決として下す可能性もある。その意味では、中国IT企業が買い取るこの著作権の価値は莫大なものとなり、トランプ風に言えばまさに「ビッグ・ディール」、場合によっては兆円単位のものになる可能性もある。

 ちなみに、すでに用意されているその「支払いスキーム」も興味深い。

 米中貿易協議が行われていた同じタイミングで、日本と太平洋島しょ国16カ国・地域の首脳らが集まった「第8回太平洋・島サミット」が東京で開催されていた(5月18、19日)。その参加国の中で、米国、中国とも深いかかわりのある国が、このスキームに加わっている。来日していた大統領や駐日大使らと中国関係者、そして徳川氏らは、この期間、別個に協議をしている。中国人弁護士の王氏によれば、中国側とその某国大使らは数回、台湾でもこの件で協議を重ねてきたようだ。

 そして中国側は徳川氏に対し、6月初旬の某日に都内で最終的な契約調印をしたい、と申し入れてきた。徳川氏はいまその判断を迫られている。

 果たして6月2~4日に行われる3回目の米中貿易協議はどういう進展を見せるのか。そこで知財案件についてどんな水面下の交渉がなされるか、注目したい。

内木場重人
フォーサイト編集長

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Foresight 2018年6月1日掲載

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