日銀引き受け国債で、巨額の戦費を賄った?

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 戦費は税で調達するにはあまりにも膨大だから、公債の増発によって調達されることが多い。

 表1は、日清戦争以降の臨時軍事費特別会計の公債依存度を示したものだ。

 日露戦争の時にも公債依存度は高かった。この時は、外国からの借り入れが多かった。しかし、第2次世界大戦では、このオプションは使えなかった。

 国内で調達された戦費のほとんどは、日本銀行による国債の直接引き受けで賄われたのである。

 日銀は、国債を買った対価を日銀券というマネーを増発することによって支払う。政府は、そのマネーを兵士の給与や食料・衣料品等の購入、兵器・軍事物資等の購入に充てる。

 1937年から1945年まで公債発行額は、約1500億円である。

 前回見たように、1937年から1944年までの8年間のGNP(国民総生産)の合計は、3603億円だ。だから、国債発行総額は、この間のGNP総額の約4割になる。

 現在はどうか? 2016年度の一般会計の新規国債発行額は34.4兆円で、名目GDP(国内総生産)は539.2兆円だから、国債発行額はGDPの6.4%だ。これと比べれば、戦時中の国債発行額がいかに大きかったかが分かる。

 これがすべて戦費に投入されたのだから、GNPの構成は大きく変わった。

 表2-2にGNPの構成比を示す。個人消費は、1935年にGNPの約3分の2を占めていたが、1944年には約3分の1に圧縮された。その半面で、政府経常購入(このうちのかなりの部分が軍事費)は、1935年にはGNPの6分の1だったが、1944年には3分の1強に増大した。

 通貨が増発されたのだから、通常であれば、これによってインフレが進むはずだ。

 では、実際の物価動向はどうだったか? 1935年から1945年までの10年間で、卸売物価が約3.5倍、小売物価が約3.1倍になっている(表3参照)。この間の平均年率でいえば、それぞれ13.4%と12.0%だ。決して低い値とは言えないが、GNPの約4割もの額の国債を発行したにしては、低い。

 こうなったのは、政府が、食料や生活物資について配給制を敷き、物価を統制したからだ。

負担を戦後に転嫁したわけではない

 以上のことを経済のメカニズムとして見ると、つぎのようなものだった。

 日銀が紙幣を増発して政府から国債を買う。政府はその収入で、軍事費を含めてさまざまな支出を賄う。

 もし物価が自由に変動していたとすれば、物価が上がって、国民の消費財の実質購入量が減少する。その分が政府の支出に回されるわけだ。

 しかし、第2次世界大戦中の日本では、そうしたメカニズムで資源配分が変わったのではない。配給制が敷かれていたので、国民の実質購入量が物理的に限定されていたのだ。

 だから、国民は貯蓄せざるをえなかった。事実、表2-2に見られるように、GNPに対する個人貯蓄の比率は、1935年には13.8%であったが、1944年に27.0%にまで上昇している。

 そして、政府は国民にも「戦時国債」という名の国債を買わせ、貯蓄部分も吸収したのである。

 ところで、「第2次世界大戦の戦費は、戦後のインフレで賄われた」と言われることがある。

 戦時中に買わされた戦時公債は、戦後のインフレでほぼ無価値になった。この時に負担が生じたように見える。確かに、国と国債保有者の関係ではそうだ。

 しかし、国全体としては、戦争の費用をこの時に負担したわけではない。それは、戦時中に、生活を切り詰めることによって負担されたのだ。

 この点が日露戦争の際との違いだ。この時は外債によって戦費のかなりが賄われたので、負担の一部は戦後に転嫁されたことになる。

 この問題は、「国債の負担は将来に転嫁するか?」として、経済学でしばしば論じられるテーマだ。これに関して、国の借金と個人の借金は違うのである。

家計が借金をした場合には、その時点で収入を超える支出が行える。そして、返済時には収入のすべてを使うことはできなくなる。その意味で、負担が将来に転嫁される。

 国債もそれと同じ意味で負担を将来に転嫁すると、多くの人は考えている。しかし、内国債は、国の外から借り入れではなく、国の中での借り入れだ。したがって、国全体で見れば、債務と債権が相殺し合って、帳消しになる。つまり、日本全体として借金を負うわけではない。また、国債償還時には国債所有者が償還金を得るし、利払いも国債所有者の所得になっている。だから、償還や利払い時に資源が日本から国外に流出するわけではなく、国全体として使える資源が減ることにはならない。つまり、国債の負担は、将来に転嫁されない。

「その発行や償還、あるいは利払いが国全体として使える資源量に影響を与えない」という意味において、内国債は家計が外部から借金することとは本質的に異なるのだ。このことは、1950年代に、経済学者の共通認識となっていた。経済学者のアバ・ラーナーは、「国債は、われわれ自身に対する負債である」と表現したが、これが問題の本質を表している。ポール・サミュエルソンは、「大砲や戦車を作る資金を戦時国債で調達したとしても、戦後の国民が負担を負うのではない。負担を負うのは、今の国民だ」と言っている。

 ところで、以上で述べたことは、「国債を発行しても問題が発生しない」ということではない。実は大きな問題がある。国債によって戦費を賄えば、将来における経済全体の生産性を高める支出が削られることになる。「国債の負担」は、資本蓄積に与える影響を通じて、将来世代に影響するのである。

野口悠紀雄
1940年東京生まれ。東京大学工学部卒業後、大蔵省入省。1972年エール大学Ph.D.(経済学博士号)取得。一橋大学教授、東京大学教授などを経て、現在、早稲田大学ファイナンス総合研究所顧問、一橋大学名誉教授。専攻はファイナンス理論。1992年に『バブルの経済学』(日本経済新聞社)で吉野作造賞。ミリオンセラーとなった『「超」整理法』(中公新書)ほか『戦後日本経済史』(新潮社)、『数字は武器になる』(同)、『ブロックチェーン革命』(日本経済新聞社)など著書多数。公式ホームページ『野口悠紀雄Online』【http://www.noguchi.co.jp

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