“自分の声はわからない”“全体を見れば…” セクハラ次官が重ねた苦しいゴマカシ

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全体を見る必要すらない

 当初、女性記者が名乗り出ないと踏んで、セクハラを「キャバ嬢相手の言葉遊び」にすり替えて乗り切ろうとしたら、手を挙げられて目論見が崩れた。さすがに会話の全公開はなかろうということで、今度は「全体を見ればセクハラではない」に転じた。「自分の声かどうかわからない」がどこかへ行ってしまったのは、やはり苦しい嘘だったからだろう。

 セクハラ問題に明るい板倉由実弁護士は、こう手厳しい。

「週刊新潮には、かなり具体的に次官のセクハラが書かれているので、“全体を見ればセクハラに該当しない”という弁解が理解不能です。全体を見る必要すらなく、その言葉自体がセクハラだと思います。発言の主が全くセクハラだと思っていなかったり、女性だって一緒に楽しんでいただろうと考えてしまう。そういう思考回路の人がトップに立てるというのは、社会全体の問題意識のレベルを象徴しているのかなとも感じました。とはいえ本件は、民間の会社なら、懲戒解雇に相当する事案だと思います」

週刊新潮 2018年5月3・10日号掲載

特集「さらばセクハラの王 『福田次官』は恥を知ったか」より

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