11年目に突入「石原伸晃」がしがみつく自民党都連会長の椅子

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 人は権威や肩書に弱いものである。それだけに、国会議員は肩書やポストに拘るという。総裁候補と呼ばれた自民党の石原伸晃元幹事長(58)もその一人。何しろ、東京都連会長の座に10年以上もしがみついているのだから……。

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石原伸晃

 伸晃氏は当選9回、初当選から25年を迎える。11月12日、その「感謝の集い」が都内のホテルで行われた。

「出席者は1000人以上。大盛況でした」

 と話すのは、ある後援者。

「冒頭、映画『燃えよドラゴン』のテーマ曲が流れると、紋付き袴姿の伸晃さんは、自身が総監督を務める慶大少林寺拳法部の後輩たちに騎馬戦の形で担がれて入場しました。来賓は安倍総理はじめ、錚々たるメンバー。舘ひろしさんのミニコンサートもあった。とにかく派手なパーティーでした」

 さすが、元幹事長である。ところが、都連関係者からは、こんな声も聞こえて来るのだ。

「先月15日、来年で改選を迎える中川雅治参院議員(東京都選出)のパーティーが行われました。この席で、伸晃さんは『私が選対本部長をやります!』と宣言したんです。参院議員の選挙は、たいてい都連会長がやることになっている。伸晃さんは、この12月で都連会長の任期が切れますが、事実上の続投宣言。聞いていた関係者は驚いたそうです」(都連幹部)

 なぜ“続投宣言”に仰天したのか。

「だって彼が都連会長に就任したのは2005年秋ですよ。会長任期は1期2年で、普通は2期4年やったら後進に道を譲るもの。伸晃さんは、5期10年やっているわけで、誰もが長すぎると思っています」(同)

■山崎氏のアドバイス

 伸晃氏が05年、会長に起用された背景は、

「当時、都知事だった伸晃さんの父親、慎太郎さんと都連の関係は良くなかった。そこで、都連は伸晃さんを都連会長にし、都知事とのパイプ役にしたのです。言わば、人質として会長になったようなもの。同時に伸晃さんのお目付け役として、“都議会のドン”として知られる内田茂都議が幹事長になった」(担当記者)

 先の都連幹部も言う。

「09年の都議選で自民党は惨敗。内田さんもバッジを失った。その後、総選挙でも敗れ、自民党は下野した。あの時、伸晃さんは、内田さんを幹事長から外し、自分も都連会長を辞めるつもりでした。ところが、“内田降ろし”に失敗し、それ以降、都連会長を辞める気配は全くありません」

 慎太郎氏も政界から引退し、伸晃氏の役目もとっくに終わっている。

「後任がいないこともあるが、伸晃さんは都連会長の肩書が欲しいんだろうね。12年の総裁選に出た際、福島第一原発をオウム真理教の“サティアン”と呼ぶなど、駄目っぷりが露呈。総裁の目が完全になくなった。党内でも大した役職には就いてないし、彼にとって都連会長は重要な肩書なのです」(同)

 石原派関係者も語る。

「派閥の最高顧問の山崎拓さんは、伸晃さんの置かれている状況に危機感をもっています。今年の総裁選でも伸晃さんに『負けてもいいから出た方がいい』とアドバイスしていた。が、実際、担ごうとした人はゼロ。ホント、情けない話ですね」

 総理・総裁は諦めて、都知事の椅子でも狙いますか。

「ワイド特集 ふとどき者ほどよく眠る」より

週刊新潮 2015年11月26日雪待月増大号掲載

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