「高倉健」のお骨を口に入れ“アチチ”と火傷した「東映会長」

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 高倉健(享年83)の逝去から1年が経ち、少しずつ密葬の様子が関係者から語られ始めてきた。昨年11月12日に東京・代々幡(よよはた)斎場で営まれたその場に列席が許されたのは、島谷能成・東宝社長、岡田裕介・東映会長、田中節夫・元警察庁長官、老川祥一・読売新聞最高顧問、降旗康男監督の5名。健さんの妹である敏子さん(80)や甥・姪などには伝えられておらず、“身内”と呼べるのは血のつながらない“養女”のみだった。

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 列席者に当日のことを問うと、押し並べて、「ノーコメント」(老川氏)などといった対応をするものの、

「彼らのなかには健さんに“娘”がいたことをそれまで知らなかった人もいたし、“なぜ自分が呼ばれたのだろうか”と戸惑いを隠せない者もあり、ある種、独特の空気が流れていました」(芸能関係者)

 これを聞いた映画関係者によると、

「そもそも監督以外は、健さんと縁が深いとは言えない方々。『近親者』と事務所が言うのなら、たとえば、健さんが弟分として可愛がった(小林)稔侍さんが入っていないというのはなぜか。あるいは、岡田さんは健さんと絶縁状態だったんですから、そんな席に呼ばれるはずがありませんよ」

 映画評論家の白井佳夫氏によると、岡田会長の父・茂氏の時代に話はさかのぼる。

「岡田茂は、“不良性感度の高い映画をつくる”としてヤクザ映画路線を推進した。ただ、70年代半ばを過ぎると世の中の波長と合わなくなっていく。それを肌で感じた高倉健は任侠路線から離れたいと主張して岡田茂と衝突、76年に東映を退社するに至ったのです」

 健さんは99年の『鉄道員(ぽっぽや)』で久々に東映映画へ“復帰”を果たしたが、

「あくまでも例外で、今の裕介会長の代になっても両者の確執が氷解することはなかった」(先の映画関係者)

■健さんを“再現”

 さて、密葬列席でようやく和解できたという思いが募っていた岡田会長に、“見せ場”がやってくるのは火葬後のことだ。

「岡田さんがお骨を口にしようとして、“アチチ”となったんですよ。健さんは母親が亡くなった際に映画『あ・うん』の撮影中で、葬儀に間に合わなかった。撮影終了後、遺骨と対面した健さんは骨をかじって“これで一緒にいられる”と言った。それを岡田さんは“再現”しようとこころみたわけです」

 とは、事情を知る民放幹部。実際に健さんも、こんな内容を自著に綴っている。

〈仏壇の骨箱を開け、母の骨を見ていた。急に無性に別れたくなくなって、骨をバリバリかじってしまった〉

 岡田会長の場合は、十分に骨が冷えていない“フライング”だったのか、はたまた異色の密葬を盛り上げようとピエロ役を買って出たのか、ともあれ会長に尋ねたところ、

「そのような事実はない」

 と仰る。もしかすると、“まだ許しちゃいないから手を出すと火傷するよ”というどこかからの声だったかもしれないが、それにしても肩に力が入り過ぎた“芝居”には違いない。

「特集 文化勲章受章者の旅立ちの秘密 没後1年で語られ始めた『高倉健』密葬の光景」

週刊新潮 2015年11月19日号掲載

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