【ノーベル賞】「大村博士」受賞は「巨大製薬企業」荒稼ぎへの警鐘――里見清一(臨床医)

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「この決定には、何らかのメッセージが込められているのでは」――。北里大学特別栄誉教授の大村智博士によるノーベル医学・生理学賞受賞の一報に接した時、こうした思いが胸中に去来したと言うのは、臨床医で、『医者と患者のコミュニケーション論』(新潮新書)の著者、里見清一氏である。慶事が警鐘を鳴らす、巨大製薬企業(メガファーマ)の荒稼ぎの実態と、日本医療制度の暗澹たる未来とは。

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 今般の大村先生の受賞は大変すばらしく、同じ日本国民として誇りに思う。と同時に、私の脳裏にはいろんな感慨が浮かんだ。その一つが、「なぜ大村先生への授与は、今年だったんだろう」という疑問だ。むろん先生の受賞にケチをつける気など毛頭ない。偉大な功績を考えれば、当然の栄誉で、むしろ受賞が遅すぎたとすら思うほどである。私が少し意外に感じたのは、近年、ノーベル医学・生理学賞は、京都大学iPS細胞研究所所長の山中伸弥教授をはじめ、最新の画期的な研究成果を挙げた人に対して贈られるのがトレンドになっていたからだ。だからこそ、逆に大村先生への授与にあたり、深謀をめぐらせた選考委員がいたのではないかと推察したのである。それが何かを解き明かすには、まず先生の業績の真価に触れる必要がある。

 米医薬品大手のメルク社と共同研究を進めた大村先生は1974年、伊東のゴルフ場近くの土壌からある微生物を採取。これをもとに、家畜の寄生虫に非常に有用な殺虫効果を示す、動物薬としての「イベルメクチン」を開発した。

 その数年後、今回の共同受賞者であるウィリアム・キャンベル氏が、イベルメクチンは、失明など重篤な眼病を引き起こすオンコセルカ症など、寄生虫による人間の疾病にも薬効があるのではないかと提唱し、開発が検討された。しかし、この研究に対しては、社内で慎重論が多かったという。なにしろヒトでの治験(臨床試験)には1億ドルもの費用がかかると見られていた。その開発費用を回収できる見通しは立たない。線虫症のリスクに晒されているのは、アフリカをはじめ、貧困に喘ぐ国の人々が中心なのである。彼らには、薬を買うだけの余裕などない。配布をすると、横流しされるリスクもある。

 それでも開発推進を決定したメルク社は、まずアメリカ政府に薬を購入してもらい、米国発のプロジェクトとして、アフリカなど、この薬剤を必要とする国々に無料配布するプランを考案した。しかし、政府の同意は得られず、あえなく断念。次にWHO(世界保健機関)に同様の提案を行ったが、ここでも要望は却下されてしまった。やむを得ず、同社は自己資金でプロジェクトを進める決意を固めたのである。

 結果、88年からオンコセルカ症蔓延国への薬の無償提供が始まった。現在も年間3億人がこの薬の恩恵に浴していることは、あまたの報道でご承知の通りだ。

 つまり、メルク社は完全に人道支援のためだけに、儲け度外視で薬の開発と無償提供を行ってきたのである。ちなみに、このプロジェクト実現のため、同社が大村先生に求めたのが、ヒト用イベルメクチンに関する特許の放棄だった。それを大村先生が快諾したからこそ、この人道プロジェクトは成功したのである。

■「寝耳に水」の医療制度崩壊!?

 一方で、大村、キャンベル両氏の受賞が発表されたのと丁度同じ頃、アメリカでメルク社の「キートゥルーダ」という最新の抗がん剤(免疫療法剤)の肺がん使用への認可が下りた。有用な新薬の開発は歓迎すべきことではあるが、それとは裏腹に近年、がん新薬の薬価の高騰が顕著になっている。2015年の米国臨床腫瘍学会(ASCO)での報告によると、驚くなかれ、この「キートゥルーダ」、体重75キロの患者が使おうとすれば、1年間にかかる薬価は実に100万ドルにも上るのだという。こうした薬価高騰は、メルク社の医薬品に限った話ではなく、世界の医薬品売上げランキングに名を連ねるようなメガファーマ全体に見られる傾向なのである。

 がんの新薬は、一定のペースで認可され続けている。これもASCOの報告を引用すると、月当たりの平均薬価は、80年代前半が430ドルだったのに対し、2010年代前半は9905ドルと、この間、20倍以上に暴騰したことになる。もちろん、製薬会社にも言い分がある。新薬開発には膨大なコストがかかるうえ、いつも成功するわけではない。むしろ大半が失敗に終わる。だからこそ完成薬にそうした開発費用を上乗せしないと採算が取れないという論理だ。

 しかし、それにしてもがんの薬価はあまりに高くなりすぎた。その凄まじさゆえ、この数年で問題提起を行う医療関係者の声が急速に高まった。コスト計算がご法度な風潮のある米国内においてすら、ASCOでの発表のように、異を唱える医療従事者が出てきたのだ。

 このような薬価高騰の悪弊が注目され始めた今、大村先生やかつてのメルク社の取り組みに対して、ノーベル賞が授与されたことには、あるメッセージ性が秘められているのではないか、というのが私の憶測である。すなわち選考委員たちの中に、次のような意見を持つ人がいたのではあるまいか。

「これ以上、先進国の市場の論理で薬価設定を行うのはやめろ。メルク社も、かつては儲けを度外視した人道支援を行っていたじゃないか」

 ところで、この薬価の暴騰が各国にもたらす影響は、保険制度の内容によって異なる。国民皆保険制度のある日本は大変だ。しかも高額な医薬品に対しては、「高額医療負担制度」による還付も受けられる。だから大部分は公費負担である。

 そんな中、肺がんなど多くのがんに効用が認められる大型新薬「オプジーボ」(小野薬品工業が開発)が、日本で承認されつつある。この薬は「キートゥルーダ」と同様の作用を示す免疫療法剤だが、負けずに値段が高く、体重60キロの肺がん患者が1年間使用すれば、3500万円もの費用がかかると計算されている。日本に肺がん患者はおよそ10万人いる。仮にその半分が使用すると仮定しても、1兆7500億円!

 たった一種類の薬を一種類の疾患へ使用するだけで2兆円近くを費消するのだ。現在、日本の国家予算は約100兆円、医療費は約40兆円というのを考えても、とんでもない数字である。もちろんこれで終わりではない。こういうのが次々と出て来るのである。

 新薬や新しい治療法が登場するのは結構なことだが、一方でそれを何の計画性もなく承認し続けていれば、日本の医療制度の未来がどういうものになるか、誰の目にも明らかだろう。早晩、崩壊する。それは突然、消失する。その時、「寝耳に水」と泣いても、後の祭りだ。

 今回の大村先生のノーベル賞受賞をただ喜ぶだけではなく、背景にあるメッセージを読み取っていただきたい。そのうえで、これを機に我が国の医療制度の現状と未来について問題意識を持たれる方が増えることを願わずにはいられない。

「特集 『ノーベル賞』受賞の光と影と舞台裏」より

週刊新潮 2015年10月22日号掲載