日本海軍の知られざる実像/『海軍の日中戦争:アジア太平洋戦争への自滅のシナリオ』

社会 2015年9月号掲載

 一九三七(昭和十二)年八月九日、上海海軍特別陸戦隊の大山勇夫中尉が虹橋飛行場に車で突入、運転手共々、中国の保安隊によって射殺された。この「大山事件」に乗じて海軍軍令部は十一日、宣戦布告に等しい要求を中国側につきつけ、十四日には大規模な渡洋爆撃を開始した。近衛文麿内閣は「暴支膺懲」声明を発表し、支那事変に対する方針を不拡大から拡大へと一変。当時の山本五十六海軍次官は、連日の渡洋爆撃を対米戦に向けての準備期間と捉え、海軍航空隊の充実、錬成に莫大な臨時軍事費を注ぎ込んだ。

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