2兆円の制裁金では済まない「VW」大爆発のクライシス

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 巷間流布しているイメージと違いすぎるから衝撃も一入(ひとしお)である。まじめな自動車造りの象徴と目されてきたフォルクスワーゲン(VW)の、あからさまな不正。アメリカだけで2兆円超の制裁金を科されそうだが、大爆発の余波は、その程度では到底すまないという。

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まじめの代名詞が……

 VW製の自動車について書かれた過去の記事を繙(ひもと)くと、3つの形容がやたらと目立つ。「まじめ」で「質実剛健」で「信頼性」が高いというのだ。

 9月28日に発売されたドイツの週刊誌「シュピーゲル」の表紙は、そんなVWの象徴たる黄色い「ビートル」で飾られていたが、しかし、ただならぬ雰囲気なのである。シルクハットにタキシード姿の黒ずくめの男性が、左右から3人ずつ車を棺のように担ぎ、その屋根には白い花束が置かれている。そして「自殺」という大きな文字。「まじめ」だったVWは自殺してしまった、ということか。

 実際、その描写は、的を外れているとは言えなさそうだ。シグマ・キャピタルのチーフエコノミスト、田代秀敏氏が言う。

「VWの売りは言うまでもなく品質ですが、今回の不正で、これまで何十年もかけて築いてきた品質への信頼を、一気に失ったわけです。また、VWには部品や周辺機器をあつかう膨大な数の下請け会社が連なっているため、広範囲に甚大な影響が出るでしょう。そのうえドイツはヨーロッパ経済の中心で、もっと言えばドイツの独り勝ち状態でしたから、そのドイツが揺らげば、ヨーロッパ経済も大きく揺らぎます」

 すると自殺どころか、ドイツ経済、ひいてはヨーロッパ経済に対する自爆テロの様相すら呈しかねないというのである。

 ともあれ、ここでVWが行っていた不正の内容を振り返っておきたい。対象になったのはディーゼル車で、アメリカ環境保護局(EPA)が課している厳しい排ガス試験をクリアするために、VWは試験のときだけ有害物質の排出量を抑えるソフトウェアを搭載し、普段走るときは、多いときで規準の40倍もの窒素酸化物(NOx)を排出していた、というのだ。

 背景には、ディーゼル車が抱えるやっかいな問題があったようで、自動車ジャーナリストが解説する。

「ガソリン車には燃料と空気の理想値があり、その通りに配合すると排ガスがきれいになる。一方、ディーゼル車はPM、すなわち黒煙などの微粒子や、NOxを排出するから面倒。PMをフィルターで集塵し、NOxは尿素水を注入したり、特殊な触媒を使ったりして還元しなければなりません。つまり、二重三重の浄化装置が必要になります」

 最近、“クリーンディーゼル”なる言葉をよく耳にするが、クリーンなディーゼル車を実現するのは大変だというのだ。そこへもってきてアメリカ、特にカリフォルニア州の排ガス規制は難関で、なかでもNOxの規制は厳しかった。

「NOxは一酸化窒素、二酸化窒素、亜酸化窒素などの総称で、ディーゼル車から排出される90%以上は一酸化窒素。人体にはさほど影響しませんが、アメリカが極力発生させないようにしている光化学スモッグの原因になります」

 そう語る自動車評論家の国沢光宏氏によれば、不正のバックボーンには、VWが近年尽力している燃費性能の追求があるという。

「燃費を良くすべく燃料を薄くして燃やすと、酸素が燃え残ってNOxが多く出る。一方、燃料を濃くして燃やすと、NOxの排出は減るかわりに燃費は悪くなる。燃費が良くNOxの排出量は少ない、というのは技術的に非常に難しい。だからVWは苦し紛れに不正を行ったんです」

 ちなみに、ホンダや日産は、アメリカの規制をクリアできなかったという。要は、VWも潔く断念すればよかったのだが、そうしなかったわけは、蓮舫参議院議員のあの言葉にヒントがあるという。すなわち、

「自動車産業はグローバルな巨大産業で、本質的に数の論理で勝負が決まる。だから“世界一”という称号には非常に大きな力があり、1位と2位とでは全然違う。今回の不正は、世界市場でトヨタを猛追するVWの焦りによって引き起こされた事件だと思います」(自動車業界に詳しいジャーナリストの小宮和行氏)

■お家騒動に振り回され

 そして、1位になるための拡大路線を急ぎすぎたあまり、ワナにはまったと説くのは、経済ジャーナリストの片山修氏である。

「2007年にマーチィン・ヴィンターコーン氏が社長に就任すると、当時は年間販売台数が500万台程度でしたが、18年までに1000万台に引き上げる目標を立てた。そしてポルシェやベントレー、ランボルギーニなどを次々と買収して拡大路線を突き進み、昨年、4年前倒しで1000万台を達成し、わずかにトヨタを抜いたのです」

 だが、世界でバランスよく、というわけにはいかなかったという。

「現在、自動車の二大市場は中国と北米で、VWは中国では年間360万台を販売してトップ。一方、北米では、ヒトラーが作らせた会社という来歴もあって人気がなく、40万台しか売れていませんが、北米で売れなければ世界一の達成は難しい。そこで、販売を最優先し、安全や品質を後回しにしたのです」(同)

 だが、VWはなぜディーゼル車にこだわったのだろうか。片山氏が続ける。

「トヨタやホンダがハイブリッド車や電気自動車、燃料電池車を開発するなかで、VWは環境対応車に後れをとり、クリーンディーゼルで戦うしかなかった」

 それにしても、こうした強引な販売拡大は、「質実剛健」という言葉とそぐわないが、もうひとつVWのイメージと異なるのは、経営陣の傲慢さだろう。経営評論家の高木敏行氏は、

「私は、今回の不正の根本的な原因のひとつは、社内のお家騒動にあると思う」

 と語るが、まず、その構造について、『ドイツ同族大企業』の著書がある横浜国大名誉教授の吉森賢氏に解説を願うと、

「VWは同族企業で、ポルシェ創業者長男の家系であるポルシェ家と、長女の家系であるピエヒ家が、一種の株主連合を結成しており、ポルシェ自動車持株SEを通じて、VWの50%の議決権を保有、支配しています。その大株主のひとりが、この4月までVWの監査役会長を務めていたフェルディナント・ピエヒ氏です。私生活では4人の女性と結婚し、10人以上の子供がいるこの人物は、自分に楯突く人間はどんどん辞めさせて、その数は3ダースにのぼるともいわれます」

 このピエヒ氏はポルシェ家と抗争を繰り広げ、今回の不正を受けて会長職を辞任したヴィンターコーン氏とも、最後は争って追い出されたのだが、

「こうしてお家騒動に振り回されてきたVWグループは、そもそも複雑な経営体制にある。VWグループの中でも、VWブランドは国民車なので営業利益率が低く、一方、アウディやポルシェは高い。頻発する権力争いのはざまで、VWの利益率を維持するために、技術開発よりも、楽に販売を拡大しようとする傾向があったのではないか」

 と高木氏。ちなみに2013年には、VWブランドは470万台を販売し、営業利益は3994億円だったが、アウディは3分の1以下の135万台で、2倍近い6941億円の営業利益を上げ、ポルシェに至っては、30分の1の16万台で、利益はVWとほぼ同じ3559億円。

 VW車の排ガス対策にコストをかけたくない、という事情が垣間見えるが、しかし、経営陣にコスト意識があったとは思えないのだ。ヴィンターコーン前会長は、ドイツ在住の作家、川口マーン惠美さんによれば、

「報道では、14年の年収は1600万ユーロ(約20億円)で、会長職の契約は来年まであるから、今年も来年も報酬を要求しているといい、退職金は80億円とも書かれている。こんな事件を起こしながら、危機感がないんでしょうか」

 不正発覚後、かつてVWと提携していたスズキが所有するVW株を売り抜いていたが、ジャーナリストの永井隆氏は言う。

「スズキはVWと提携を解消してホッとしていると思います。鈴木修会長は“(その前に提携していた)GMは、おおらかなアメリカのおじさんだったけど、VWはドイツの厳格なおじさんだ”と言っていた。VWはスズキを子会社のように扱おうとし、独立を重んじる鈴木会長は反発したのです」

■2兆円の何倍もの額

 なにやら、聞けば聞くほどに、「驕れるもの久しからず」と言いたくなる逸話が繰り出されるが、この不正の影響は、はたしてどこまでおよぶのだろうか。

「NOxさえ抑えられれば、ディーゼルはガソリンエンジンと比べ、二酸化炭素の排出量も少なく、燃費もいい。VWはNOxの問題をクリアしたからこそ、消費者から“環境にやさしい”と受け止められていたのに、その肝心の技術でこんな不正をしていたのだから、完全なペテン師ですよ」

 と永井氏。たしかに、現実には環境に負荷がかかる自動車を、世界に1100万台もばら撒いていたとは、ペテンどころではない。そのツケについて、先の川口マーンさんはこう語る。

「アメリカでの制裁金は180億ドル(約2兆2000億円)といいますが、これはタンカーが事故でオイルを流出させるなど、ミスを犯した場合の金額。VWは故意に不正を行っていたのだから、この額で収まるはずがありません。そのうえ刑事訴追になり、集団訴訟でもすごい金額を請求され、2兆円どころか、その何倍もの額になるはずです」

 ドイツ連邦自動車局もVWの法務部に、この問題をどのように解決するか、計画書を10月7日までに提出するように求め、

「従わない場合、VWの関連モデルの承認を取り消すと言っている。そうなれば、VW車は販売ばかりか、移動さえできなくなりますが、ドイツ国内に280万台あるVWのディーゼル車のオーナーは今、走らせることを躊躇しています」(同)

 走らせると罪悪感を覚え、罪人になったような気になる、のだそうだ。

 むろん、それはVW車がまるで売れなくなることと直結している。佃モビリティ総研の佃義夫代表は、

「フォルクスワーゲンは日本語に訳せば国民車。BMWやベンツと比べ、その生い立ちから国と密接な関係があるし、メルケル首相も、ドイツ全体の問題として危惧していると表明している。危機が訪れても、国策としてフォローするはず」

 と見るが、莫大な制裁金を科されたうえに、製品が売れずに行き詰った企業を国が支えるのに、どれほどのコストがかかることか。

 そして、事はVWの問題にとどまらない可能性があるという。技術ジャーナリストの鶴原吉郎氏が説く。

「ヨーロッパで、ディーゼル車の販売が全体として落ち込むのではないか。今売られているクリーンディーゼル車の大半が、実走行では基準値を超えるガスを排出している。実際に走るときは試験走行の条件と異なるからですが、多かれ少なかれ、有害物質が基準値を超えて排出されているという事実が、今回の不正を機に明るみに出れば、“ディーゼルはクリーンではない”と思われてしまう恐れがあります」

 第一生命経済研究所主席エコノミストの永濱利廣氏が継いで言う。

「他の自動車メーカーにまでクリーンディーゼルの不正が波及すれば、自動車産業という屋台骨が傷ついたドイツ経済は、相当深刻なダメージを受け、ひいてはユーロ圏全体の経済に、無視できない影響を与える可能性もあります」

■日本の“燃費偽装”に

 なにしろドイツの経済規模は、ユーロ圏全体の28・6%にもおよぶのだ。イギリス在住のジャーナリスト、木村正人氏は、

「影響はまず周辺の中東欧諸国に現れるでしょう。たとえば、ベルリンの壁崩壊の2年後にVWが工場を設けたスロヴァキアは、人ロ1000人当たりの自動車生産量が164台で世界一。ドイツの独り勝ちは、EU拡大で得られた東欧の賃金の安い労働力に支えられている。VWの経営が傾けば、こういう労働力から切り捨てるはずです」

 と指摘。そうなれば、ドイツが表明している80万人の難民受け入れなど、到底不可能だろう。また、「財界」主幹の村田博文氏は、

「破綻したギリシャから頼られ、難民問題も抱えているドイツですが、それどころではなくなる。独り勝ちのドイツが轟沈すればEUは共倒れします」

 と語るが、EUへの影響に止まれば、日本にとっては「対岸の火事」と思われるかもしれない。しかし、

「中国でVW車の売上げが激減すると、それをきっかけに中国経済が奈落の底に落ち、日本も大きなとばっちりを食らいますよ」

 と村田氏。前出の田代氏が、補ってこう語る。

「実は、VWはドイツ本国よりも中国での生産台数のほうが多く、19年までに総額約3兆円を投資し、生産台数を2倍にすると宣言していました。中国の生産力を使って世界制覇を目論んでいたわけで、そんな中でVWの経営が揺らげば巨額投資もできなくなり、中国経済への影響は大きい」

 ニッセイ基礎研究所経済研究部シニアエコノミストの上野剛志氏も、

「中国経済はすでに減速中で、そこにEU経済までダメになると、日本の景気にとって下方圧力になる」

 と言うし、今後、影響がジワジワとおよぶのが恐ろしい。では、日本への直接的な影響はどうか。

「VWは利益率が低いから、もう値下げなどできないのが現状。不正事件で売れなくなっても、値下げはほとんどできず、売上げ減に拍車がかかるはず。ブランドイメージは失墜し、中古車の相場は半値くらいになってしまうでしょう」

 そう語るのは前出の自動車ジャーナリスト。とはいえ、そんな影響はVW車オーナーでなければ受けず、

「日本のメーカーにはプラスになる」(ロータス投資研究所の中西文行代表)

 という声もあるが、

「日本のメーカーは、VW同様、自分たちのパンドラの箱も開けられるんじゃないかと、戦々恐々です。日本のどのメーカーにも“グレーゾーン”があって、たとえば燃費を計測する際は、専門ドライバーに、普通は出せないような数値を出させたり、コンピューターが燃費試験を察知し、最適な燃費を出せるソフトを使ったりしている。VWの不正が“燃費の偽装”におよぶ可能性があるのです」

 と、再び自動車ジャーナリスト氏。今回の不正発覚のタイミングに首をかしげるのは、田代氏である。

「習近平国家主席の訪米中だったのはできすぎ。アメリカはVWはどうでもよく、一方、テスラのほか、アップルやグーグルも開発に乗り出すなど、電気自動車に力を入れている。今、中国の田舎でも電気自動車が普及しはじめ、そんな中、習主席に中国が組むべきはVWではなく、アップルやグーグルですよ、と示したのではないでしょうか」

 それはともかくとしても、VWの不正は、日本のメーカーに計り知れぬ影響を与えかねないという。

「結局、トヨタをはじめあらゆる内燃機関型の自動車メーカーが疑われ、かつてテレビのブラウン管が液晶にとって代わられたように、電気型へと自動車産業全体の流れを変える歴史の歯車を、何倍も速く回すことになりうると思う」(同)

 異国の一企業内の、最初は小さな出来心が、われわれの歴史さえをも動かしかねないというのである。

週刊新潮 2015年10月8日号掲載

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