【元少年A手記出版】18年前と何も変わらない遺族と社会への挑戦――適菜 収(哲学者)

社会週刊新潮 2015年7月2日号掲載

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「我々の世代が抱え込まなければいけない現代社会の闇である」

 オウム事件の時も、こういった類(たぐい)の解説をして事件に意味を付与し、評論したがる訳知り顔の人がいました。重大事件が起きる度に、そういう人たちが現れる。

『絶歌』に関しても、この本に意味を見出そうとする人々が存在しています。しかし、これは倒錯者の自慰行為に付き合うだけの無価値な言動です。

 以前から酒鬼薔薇を崇拝する犯罪者が多く存在していたことから分かるように、彼が手記を出せば模倣犯が出るリスクは当然高まるわけで、どう考えても少年Aの本は社会に対してプラスではなく、マイナスに働きます。そもそも、彼は自己救済のために手記を書いたと認めているので、こういった本を評価したり、買ったり、書かせたりした人間は全て、少年Aの卑劣な自己救済に加担していることになる。

 また、文学的表現を使った文章を評価している識者も見受けられますが、全く理解できません。少年Aが手記で引用している三島由紀夫やドストエフスキーの作品は、彼が逮捕後に読んだものです。事件自体は性的倒錯者が起こした単なる猟奇的殺人であり、それを遡及的に文学的表現で脚色し、それらしい意味を持たせようと肉付けしているに過ぎません。文学で殺人を描くのは問題ありませんが、現実の殺人を文学で糊塗するのは、やはり倒錯以外の何物でもない。

 遺族は彼が世間に向かって何かを発信することを望んでいませんでしたが、彼は手記出版の挙に出た。結果、遺族はもがき苦しんでいます。

 この事態が少年Aにも想像できなかったはずはないのに、あえて本を世に送り出す選択をした。つまり被害者や遺族への「二次的攻撃」と見なすことができます。それを分かった上で出版したということは、この行動が、彼の性的サディズムに繋がっている可能性が否めない。遺族を二重、三重に苦しめることで彼は性的興奮の絶頂の最中にあり、今頃、「してやった」と射精しているかもしれないのです。おぞましいことこの上ない。

 結局、今回の出版は遺族に対する冒涜、社会への挑戦という点において、〈さあゲームの始まりです〉と書いた犯行声明を、淳くんの口に挟んだ18年前の行為と何ら変わらないのではないでしょうか。

 いずれにしても、少年Aの出版の目的は、一に自己救済、二に印税稼ぎ、三に性的サディズムの充足としか考えられない。遺族、世間、社会の常識に対する挑戦であり、『絶歌』ではなく、世の中を騒乱するだけの幼稚で稚拙な「舌禍」と断じるべきです。

「特集 匿名の暗闇から飛んできた毒の矢! 32歳『元少年A』が自己顕示した『14歳の肖像』」より