「戦艦武蔵」轟沈から71年! 1000人が眠る巨艦サルベージにいくら掛かるか?

社会週刊新潮 2015年3月19日号掲載

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 戦後70年の節目に、思わぬ報せが飛び込んできた。1944年10月、米軍に撃沈されたまま不明となっていた帝国海軍の戦艦「武蔵」が、フィリピン領海の海底1000メートルで見つかったのだ。ところが、いざ1000人の乗組員が眠る巨艦を引き揚げるとなると――。

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 日本時間のさる3日、“戦艦武蔵を発見した”とツイッターに投稿したのは、世界有数の大富豪である米マイクロソフト社の共同創業者、ポール・アレン氏(62)であった。

「アレン氏は、太平洋戦争に従軍した父の影響もあり、幼い頃から戦史に興味を持っていた。8年以上前から武蔵の探索を続けており、今回、自身の所有するヨット『オクトパス』をベースに無人海底探査機を操り、2月から最終調査を進めていたのです」(外信部デスク)

 発見場所は、フィリピン中部のシブヤン海の海底l000メートル。自身のツイッターに掲載した写真には船首部分やバルブらしきものも写っており、『開』『主弁取手』などの文字も見てとれる。

 全長263メートル、重量7万3000トン。帝国海軍最後の「大和型戦艦」二番艦として1942年8月に竣工した武蔵は、44年10月24日、ブルネイからレイテ島沖の海戦に向かう途中、米軍の集中攻撃に遭い、シブヤン海に沈んだ。乗員約2400人のうち、亡くなったのはおよそ1000人。以来、その所在は杳(よう)として知れなかった。

「アレン氏は4日、動画も公開しました。そこには46センチ主砲や89式高角砲、カタパルトなども映し出されていました」(前出デスク)

 旧日本軍の艦船に詳しい、呉市海事歴史科学館(大和ミュージアム)の戸高一成館長が言う。

「沈んだ場所が分かっていても、潮流で流され、その範囲は数十キロ四方にわたる可能性もある。私も発見を諦めていたので、アレンさんには『よくぞ見つけてくれました』と言いたいくらいです」

 武蔵には、当時の安定した熟練の技術力が結集されていた。『軍艦武藏』の著がある映画監督の手塚正己氏によれば、

「戦後に応用された技術は数えきれません。船体を組み立てる工法は高層ビル建築に転じ、巨大な冷蔵庫や大量の真水を作る技術なども発達しました。特筆すべきは“メガネ”と呼ばれた15メートル測距儀。当時は世界一の精度を誇る精密光学機器でした。何しろ46センチ砲という世界に類を見ない巨砲が狙うのは、42キロ先。メガネが測った距離や風速、気温などを主砲方位盤という機械に入力し、砲身の方向や角度を正確に定めていったのです」

 それでも、実戦においては、

「長い海軍史の中で、戦艦が主力であった期間自体がさほど長くなく、第二次大戦は、すでに完全な航空戦の時代に突入していました。つまり、大和や武蔵といった最後発の超弩級戦艦が投入される頃には、戦争のあり方がすでに変わってしまったわけで、活躍できずに終わったことは、まさに悲劇だったと言えます」(海軍史研究家の勝目純也氏)

 とはいえ、節目の年にもたらされた“衝撃の一報”には違いない。事態は今後、どのように推移していくのだろうか。

■「大和」でも数百億

 先の戸高館長によれば、

「戦後、日本政府は沈没した軍艦をすべて除籍処分としましたが、所有権は依然、日本にあります。ただし、武蔵はフィリピンの領海に沈んでいるので、あちらの政府とも交渉しなければならないでしょう」

 発見に際しアレン氏は、

〈海軍史上、重要な戦艦を探し当てることができて光栄に思う。武蔵の船体は戦没者の慰霊の場として適切に扱われるべきであり、今後は日本政府と協力していきたい〉

 との談話を発表。フィリピン政府も、国立博物館を中心とした調査チームを立ち上げ、日本政府やアレン氏と協議していく意向をすでに示している。

 ここで、帝国海軍の他の艦船についておさらいしておくと、1943年6月、瀬戸内海で停泊中だった戦艦「陸奥」が突然、爆発を起こして沈没した。謎の事故の犠牲者は1121人にのぼり、その引き揚げ作業は戦後、70年から開始。現在までに遺骨や遺品とあわせ、艦体のおよそ7割が回収されている。

「この時は、艦体に使われた『陸奥鉄』と呼ばれる分厚い鋼材が重用され、民間のサルベージ会社が請け負った引き揚げの費用は、これを売却するなどして賄われたのです」(「陸奥」関係者)

 また武蔵と“姉妹艦”である「大和」は、沖縄に向けて出撃したところ45年4月に鹿児島・坊ノ岬沖で撃沈。2740人が命を落としている。85年夏には、英国の潜水艇を用いて調査が行われ、東シナ海の海底およそ350メートルに横たわる艦体が40年ぶりに発見されたのだった。

「場所は日本の排他的経済水域でした。大和の艦体は“ハの字型”に真っ二つに折れたまま沈んでおり、引き揚げを検討してサルベージ会社に相談したところ、“最低でも数百億円かかる。それもすべてが回収できるわけではない”と言われてしまいました」(戸高館長)

 09年には、大和の“故郷”である呉を中心に引き揚げ計画が立ち上がり、寄付金を集めるべく準備委員会まで設立されたものの、事実上中断したままである。太平洋戦争ではのべ3200隻以上の日本の艦船が沈没し、それに伴う戦没者は35万8000人にのぼる。海底から回収できた遺骨はごくわずかで、その大半がいまだ手つかずのままである。もっとも、

「海軍の人たちからすれば、沈んだ船が墓標です。戦闘中に死者が出ると、基本的には陸には揚げず、水葬を行います。海軍軍人になった時、彼らが最初に教わるのは『海が死に場所である』ということ。戦後も、死後の散骨先に海を選ぶ人が多いのです」(前出・手塚氏)

 実際に遺骨収集事業を展開している厚生労働省に尋ねても、

「私どもは“海はお墓である”と考えております。また遺骨収集のために沈船を引き揚げた前例はありません」(社会・援護局援護企画課外事室)

 と言うのだ。

■“兆単位”は確実に

 が、やはり新発見への興味は尽きない。海難事故に詳しい村上誠弁護士は、

「遺骨の所有権はもちろんご遺族にあり、そのご心情が一番重要だと思います」

 そう前置きしながら、

「費用や時間はともかく、技術的には不可能ではないと思います。今や世界中で海底資源を探して3000~5000メートル潜っている時代。えひめ丸がハワイ沖に沈んだ時、米軍は600メートル以上の海底から遺体を収容しました。また海難事故では、タコや深海魚が肉を食べてしまっても骨は残っていることが多い。l000メートルの海底といえど、水温は低く、保存状態は思ったほど悪くないはずです」

 そうした点を勘案した上で、さるサルベージ関係者はこう言うのだ。

「かりに武蔵を引き揚げるとなれば、途方もない作業になります。水深1000メートルとなると、遠隔操作でロボットを下ろし、アームを用いるのでしょう。70年の陸奥の時は40メートルという浅瀬でしたが、850トンの主砲塔を引き揚げる際、ワイヤが切れたことがあった。大和や武蔵の主砲は一基3000トン弱と言われているから、ケタが違います」

 先の戸高館長も、以下のように指摘する。

「武蔵の中央の防御板の厚さは41センチ。深い海底で溶断するのは大変です。全長260メートルの艦体を浮き上がらせるには、下部から空気を入れて浮上させるしかないと思いますが、あくまで机上の話であって、現実となると……」

 肝心の費用も、天文学的数字となるのは必至である。

「12年1月、イタリアで大型客船『コスタ・コンコルディア号』が座礁しました。武蔵よりやや大きい全長290メートル、重さ11万4000トンの船ですが、横転した船体を起こして港まで曳航し、14年7月から2年かけて解体することとなりました。この撤去費用が総額2050億円と見られている。解体費を含むとはいえ、地上作業でさえこの額です。武蔵のケースは、兆単位の出費となるのは疑いようがありません」(前出サルベージ関係者)

“慰霊の場に”と表明しているアレン氏の総資産は175億ドル(約2兆1000億円)。オクトパス号の維持費だけで年間24億円と言われているが、そんな“選択”は、おいそれとできまい。

 撃沈された当日、主砲幹部で弾道計算の任に就いていた、元乗組員の稲川清氏(88)が言う。

「あの日は朝から空襲が始まりましたが、私のいた発令所からは外の様子がまったく見えず、別の部署から情報を入れてもらって何発も主砲を撃ちました。絶対に沈まないと自信を持って乗り組んでいたのです」

 が、まもなく総員退去の命令が出る。

「私は軍刀を取りに戻る途中、艦尾からスルスルと振り落とされてしまった。その後、はるか彼方で艦が爆発する音が2発聞こえて、それが最後です。戦闘で死んだ者は同じ班にはおりませんでしたが、沈没の際、三十数人が亡くなりました。私も何時間、海に漂っていたか覚えておらず、最後は駆逐艦『清霜』に助けられました。だから、あの大きな武蔵をもう一度見たい。難しいのでしょうが、引き揚げてほしいなあ、と思うのです」

 海底には、損得を超えた万感の思いが眠っているのだ。

「特集 「戦艦武蔵」轟沈から71年! 1000人が眠る巨艦サルベージにいくら掛かるか?」より