コーヒー研究の果てに1万坪の土地を購入 「イグノーベル賞」を受賞した日本人学者の実に凄い研究(1)

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 イグノーベル賞といえば、くだらないという意味の「Ignoble」とノーベル賞をかけた「裏ノーベル賞」と言うべきもの。その受賞者が普段から手がけている研究は、実に凄いものばかりである。科学ジャーナリストの緑慎也氏が日本人受賞者の素顔に迫った。

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 2003年に化学賞を受賞した金沢大学名誉教授の廣瀬幸雄(74)の専門は破壊工学。飛行機事故の原因となるような金属疲労の研究で業績を上げる一方、「コーヒー博士」の顔も持つ。おいしい一杯を求め、日本中の喫茶店をめぐり、世界の豆産地をたずね、研究をつづけてきた。自分で豆を栽培し、焙煎機も数台製作した。

 金沢大で会うと、廣瀬は40年の研究成果をつめこんだ新型焙煎機の解説をしてくれた。

「お湯を沸かすと蒸気が出ます。その蒸気をIH調理器と同じ方法で加熱すると、瞬間的に500℃まで上がる。これで豆を焙煎します」

 蒸気で豆をローストするとはどういうことか。お湯から出てくる白い煙を蒸気と思っている人もいるかもしれないが、あれは湯気。湯気の実体は、蒸気が外気に触れ、冷えて液化した水滴だ。蒸気は無色透明だから目には見えない。廣瀬の焙煎機で使うのは、通常100℃の蒸気をさらに加熱した「過熱蒸気」。過熱蒸気を炉の中に通して豆にあてると、豆に含まれる水分が蒸発して、ローストされるのだ。

 飛ばされた水分の代わりに、豆の中に水素を封じ込めるのがこの焙煎機のポイント。これが、おいしさの秘訣だという。

「古い豆で淹れたコーヒーがまずいのは『酸化』が進んでいるから。水素は『酸化』の逆、『還元』作用を持っているから、水素入りコーヒーは味が落ちにくい。しかも、がんを引き起こすと言われる活性酸素を水素が還元してくれるから、がん予防効果も期待できます」

 実際、飲んでみると、フルーティーでまろやかな印象を受けた。後味はほのかに甘く、苦みが残らない。

 私の「遊び場」にお連れしましよう、と言われ、金沢大から車で10分ほどのところにある廣瀬の研究施設に行った。26年前、わざわざ1万坪の土地を山の上に購入し、建設したコーヒー研究基地だ。いくらコーヒー好きとは言え、ここまでするのは度を越している。さすがイグノーベル賞受賞者。「自分は『コーヒー博士』というより『コーヒー馬鹿』」と廣瀬は言う。

 敷地内には、廣瀬のコーヒー学の教え子が経営する喫茶店がある。そこでドリップパックの「水素コーヒー」(ビタルコーヒー)をいただいてから研究基地へ向かった。

 そこには、焙煎機の他に、廣瀬のアイデアの結晶が所狭しと並んでいた。「森光子も愛した山中温泉石」なる、直径2センチほどの石が置いてある。これは何?

「私は温泉も好きで、全国の温泉地を回ってきました。森光子さんもよく訪れた加賀市の山中温泉は、なぜか入ると疲れが取れるので調べてみたんです。すると、お湯に含まれる水素の割合が非常に高かった。普通は100ppb(ppbは10億分率)にも届かないのに、『菊の湯』の源泉の場合、604ppbもあった。そこで山中温泉の鉱石をもとに作りました。この小石を水に入れるだけで、簡単に水素水ができます。飲んでもいいし、お風呂にも使えます」

 趣味の研究ばかりでもない。東日本大震災で出た廃棄物を超高温処理する装置の試作機もあった。海水を浴びた漁網などは塩素を含むため、一般焼却炉で燃やすと有毒物質ダイオキシンを発生させてしまう。廣瀬は、水素と酸素の混合ガスを燃焼させ、1500~2000℃で排ガスを無害化する技術を発明。企業と共同研究で作った装置は、2012年に環境省の採択を受け、宮城県女川町に設置された。

「人が気にしないことが引っかかって、自分で試さないと気が済まない」のは幼い頃からの性分だという。イグノーベル賞の対象になった「ハトに嫌われた銅像の化学的考察」では、学生時代以来の疑問、兼六園の日本武尊像はなぜハトやカラスの糞まみれにならないのかを探った。コーヒー探求も、30代前半の頃、大学付近の喫茶店で飲んでいた、胃には優しいが味はイマイチなコーヒーに疑問を持ったのがきっかけだった。

 思いついたことを書きとめるノートは毎年100冊を超える。数々の発明は、20年以上つづけたこの習慣の賜物だという。ふとした疑問を温め、粘り強く考えつづける。それが廣瀬の研究スタイルだ。

 科学ジャーナリスト 緑慎也

「特別読物 笑える『イグノーベル賞』を受賞した日本人学者の実に凄い研究」より

週刊新潮 2015年1月15日迎春増大号掲載

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