祖母が遺した一冊のノートから始まる旅/『夢を喰らう: キネマの怪人・古海卓二』

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 古海卓二といって即座に作品名が浮かぶ人はよほどの映画通だ。はじめに種明かしをすれば、活動写真の黎明期に活躍した古海卓二、またの名を貘与太平、通称バクヨタは著者の祖父にあたる人。古海の元妻で著者の母方の祖母である女優、紅沢葉子が遺した一冊のノートが、一度も会ったこともない「キネマの怪人」に著者を結びつけた。

 単なるルーツ探しといったものではない。そんなジャンルをはみ出して、ここで描かれる祖父・祖母の青春はおそろしく破天荒で型破りだ。小学校を出て働き始めた古海は、演歌師、新聞記者、浅草オペラの仕掛け人、脚本家と、時代の新しい空気をつかもうと、前のめりに手を伸ばし続ける。大本教の大検挙が話題になるや、一本も映画を撮ったことがないのに、それを題材にひと月で作品を撮り終え映画監督として名乗りをあげる。

 のちに友人となった作家の火野葦平が、古海をモデルにした小説の題を「馬と人参」としたように、鼻先に人参をぶらさげられた馬さながら、生涯、全力で走り続けた。脚本も、オペラの演出も難なくこなし、才人であることは間違いない。「旗本退屈男」のシリーズ第一作も古海の監督作品だ。

 短気でこらえ性がなく、人に頭を下げるのが苦手だった。喧嘩しては次々に映画会社をかわり、独立プロを立ち上げるも失敗に終わる。その先駆性を評価するルポライターの竹中労は、映画史の書き換えをめざした大著『日本映画縦断』のはじめに古海の項を置いた。

 舞台から映画に転じた紅沢も、アナーキーな生き方では負けていない。舞台女優時代に父親のわからない子をみごもり、義侠心から結婚を申し出た古海の妻になるが、まもなく美男俳優岡田時彦と恋に落ちる。いっときは、谷崎潤一郎が『痴人の愛』のナオミのモデルにした義妹、葉山三千子が恋敵だったこともある。

 別れた夫の悪口だけでなく、若き日の性的放縦さや不倫関係にあった岡田への熱い思いまでも、娘が読むであろう自伝的ノートに赤裸々に書き残したという事実に圧倒される。女性でここまで性の遍歴を書いた例は珍しいのではないか。人からどう思われようと自分が生きたいように生きて後悔しないという一点で、この二人はよく似ている。だからこそ夫婦としては長続きしなかったのだろう。

 紅沢は、バクヨタと娘の血縁を疑わせる言葉も残している。だが、新聞社を辞めてフリー記者となった著者の、南米にわたって「ペルー新報」の記者になったり、有名野球選手がアメリカの自宅に侵入して逮捕された際にいあわせたりと、昔の大陸浪人のような仕事ぶりを散見すると、やっぱり祖父バクヨタの血もひいているのではないかと思わされる。

[評者]佐久間文子(文芸ジャーナリスト)

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