「時代の子」太宰に根深く潜む主題/『作家太宰治の誕生』

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 こんな歳になって、青春文学そのものである太宰治なぞを読み返す酔狂を起こすとは、思いもしなかった。その原因は、斉藤利彦の『作家太宰治の誕生』を読んだからである。

 自意識とか反抗とかいったものは、とっくの昔に卒業(それとも中退だろうか)したはずの当方としては、作家論とか文学論の対象としてのダザイにも、「上司幾太(情死、生きた)」(『人間失格』)の波乱万丈にも興味はない。本書のアプローチは、教育学者らしく当時の文部省や学校の資料を駆使し、昭和史の大海の中に、太宰治=津島修治という一人の過敏におののく青年を置き、「官権」の巨視的な目を最大限に活用して、「時代の子」を追っている。

 その際のキーワードが「天皇」と「帝大」である。「近代日本を生きた知的青年たちの多くにとって、何らかの形で(それが否定的な形であるにせよ)向き合わざるを得なかった主題」がこの二つであり、「時代と生身で対峙してきた」太宰の中に根深く潜む主題だったというのだ。立花隆は『天皇と東大』というタイトルで、成功と失敗の日本近代史を描いたが、期せずして、その関心の焦点は共通している。

 処女作「思ひ出」(『晩年』)でまず語られる三歳の太宰の記憶は、「叔母は、てんしさまがお隠れになつたのだ、と私に教へて、生き神様、と言ひ添へた」という明治天皇崩御である。青森県有数の地主であり金融資本家である津島家で、幼い太宰に大きな影響を与えた二人――祖母と父の天皇との距離の近さがまず確認され、その父は最晩年に多額納税者として「天皇による勅任議員である」貴族院議員にまでのぼりつめる。もし父がもっと生きていれば、成績のよかった期待の息子である太宰は、華族(貴族)の子弟が通う学習院に入れられていた――。

 学習院入学が実現していたら、太宰のズーズー弁が恰好のいじめの対象になって、さらにひねくれた太宰治になっていそうだが、この空想は楽しい。太宰が激しい憎悪で攻撃した「小説の神様」志賀直哉は学習院の大先輩となり、太宰を忌み嫌った三島由紀夫が後輩として控えている。志賀、太宰、三島は三人とも、華族でなく平民だが、父親のステータスで比較すれば、太宰がもっとも「貴族」に近いという逆転が起こるからだ。没落貴族を描いた『斜陽』の評価も微妙に変わっていたことだろう。

 太宰は芥川賞落選作家として文壇に出た時、東京日日新聞に書いた「もの思う葦」で、「私は生れたときに、一ばん出世していた。亡父は貴族院議員であった。父は牛乳で顔を洗っていた」と幼稚っぽく誇っていた。

 敗戦直後の『パンドラの匣』で、「いまこそ二重橋の前に立って、天皇陛下万歳! を叫びたい」と登場人物に言わせ、『斜陽』では、「陛下もこんど解放されたんですもの」という言葉が出てくる。斉藤は青森中学時代の同人誌での「オレは実は皇室が懐しくつてたまらない人々の中の一人なのだ」という言葉から、後年の小説の中の言葉までを手がかりに、「時に絶対的帰依ともとれる表白」が露出する太宰の天皇観を探っているが、ここはもっと分析を進めてほしかったところである。

 一方、「帝大」についてはどうか。相馬正一などの虱つぶしの伝記研究があって、新たな資料発掘などなさそうだが、斉藤は自身の本来のフィールドである教育関係資料という搦め手から、津島修治に迫っていく。旧制中学四年修了で弘前高等学校に入学した時の調書では、性質は「温厚篤実至誠事ニアタル」、才幹は「組長トシテ職責ヲ果セリ」、操行は「優良」という、中学の校長が太鼓判を押す典型的優等生であった。「家庭調査票」でわかる津島家の突出した直接国税納額など、残された書類から「撰ばれてあることの恍惚と不安」がまだ本格化する前の肖像が見えてくる。

 左翼非合法運動に傾斜していく弘前高校、東京帝大時代の姿を生々しく伝えるのは、警察、特高によって作られ、逐一学校側に報告されていた「調書」である。治安維持法が強化され、内務省と文部省との間で、学生たちの思想対策のため、秘密情報は共有されていた。それらの書類の中で、津島修治が頻繁に発売禁止となるプロレタリア文学運動の雑誌「戦旗」を秘かに購読し(ちょうど、「蟹工船」や「太陽のない街」が連載されていた)、処分こそ免れるものの要注意人物だったことがわかる。帝大入学後には、郷里にいる中学生の甥に「左翼出版物を貸与」し、「社会革命の必然性」を説明し、「社会科学研究会を結成」させている事実も掴まれている。太宰の住居は非合法活動のアジトとなり、二度の警察留置の後に、非合法活動から離脱する。東京帝大も六年目に除籍となる。

 戦前の地方エリートの最優秀層からの逸脱の軌跡を背景に置いて、太宰の作品を読み直した本書は、その逸脱を「天皇」「帝大」からの「解放」と見ている。その「解放」がさらなる桎梏を生んでいくことが、太宰文学の面白さなのかもしれない。太宰の作品を何十年ぶりに読むと、未練たらしく「天皇」や「帝大」への思いが言及されていることに気づく。

 貴族の娘が山出しの女中のような言葉を使うと『斜陽』を否定した志賀直哉に対して、徹底的に毒づいた絶筆『如是我聞』ではこう反撃する。「或る新聞の座談会で、宮さまが、『斜陽を愛読している、身につまされるから』とおっしゃっていた。それで、いいじゃないか。おまえたち成金の奴(やっこ)の知るところでない」

[評者]平山周吉(雑文家)

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