NHK朝ドラで注目 「村岡花子」の「赤毛のアン」的な人生

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「曲がり角を曲がった先に、何があるのかは分からないの。でもそれはきっと、きっと一番良いものに違いないと思うの」――。こんな主人公の独白で幕を開けたNHKの朝の連ドラ『花子とアン』は、初回(3月31日)視聴率21・8%と好調な滑り出し。主人公のモデル、村岡花子の実像を辿る。

『赤毛のアン』を日本に紹介した、翻訳家にして児童文学作家の村岡花子が75歳で亡くなってから半世紀近くが経過。そんな折に、彼女の評伝『アンのゆりかご―村岡花子の生涯』(新潮文庫)が原案の朝ドラで花子が再注目されている。実際、絵本『ぐりとぐら』の作者である児童文学作家の中川李枝子氏(78)も、

「本が手に入らない戦中、花子さんの童話集『たんぽぽの目』を小学校の先生からプレゼントされ、夢中で読みました。彼女の本は私が児童文学の道を目指す一つのきっかけを作ってくれた。朝ドラが花子さんの人生をしっかりと描いてくれることを期待しています」

 1893年に山梨県甲府市で8人きょうだいの長女として生まれた花子。きょうだいのうち6人が養子などで親元を離れる貧農の家で育った彼女だが、給費生(特待生)として東洋英和女学校に入ると寄宿舎生活を送りながら猛勉強し、後(のち)に『王子と乞食』などの海外児童文学を翻訳。その人生は、孤児院暮らしの少女が名門学校を卒業するまでの成長を描いた、花子訳の『赤毛のアン』を地で行く、逆境を跳ね返す逞しさに満ちていた。

『アンのゆりかご』の著者で花子の孫の村岡恵理さん

「関東大震災、戦争、長男が5歳で病死と、たくさんの不幸が襲い掛かっても希望を捨てず、立ち上がる強さを持っていたのが、村岡花子という人間だったのだと思います」

 こう語るのは、『アンのゆりかご』の著者で花子の孫の村岡恵理さん(46)だ。

「祖母は自分の原稿の多くを出版社から返してもらっていました。大震災と空襲で出版社や印刷所が焼けてしまった経験から、ちゃんと保管しておきさえすれば、いつかは必ず出版できると考えていたのでしょう。目標にまっすぐに辿り着けなくても、回り道ですら、豊かさを生むことがあると考える前向きな人だったのではないでしょうか」

働く現代女性への示唆

 冒頭で紹介したセリフは、こうした花子の「向日性」に由来しているのであろう。恵理さんの姉で翻訳家の村岡美枝さん(54)が続ける。

「執筆の他に講演も抱えて多忙な祖母でしたが、幼い私が書斎を訪ねて『お話しして』と甘えると、必ず赤ずきんの物語などを語り聞かせてくれました。『今、忙しいから』と、断られたことは一度もありません」

 さらに、花子を大叔母に持つ女優の村岡希美さん(43)は、

「多くの女性が良い奥さんになることを求められていた時代に、花子はそれだけでなく、自分で生きていくのに必要な能力を身に付ける意識を忘れなかった。社会進出する女性の先駆けとも言える存在だったのではないでしょうか」

 仕事人である一方で家庭人でもあり、働く現代女性への示唆にも富む花子。彼女と同郷の作家・水木亮氏(71)が改めて魅力を語る。

「東洋英和に入った時、貧しかった花子の着物は周りに比べてみすぼらしく、そこで萎縮してしまい、ひねくれてもおかしくなかったのに、彼女は決して卑屈になることがなかった。この姿勢が『赤毛のアン』などの翻訳にも反映されていて、花子の作品は常に楽しく生きていこうというメッセージに溢れています」

 村岡花子の生涯を通して、華やかな彩りを放つ「桜」の如き人生の明るさに触れてみるのも、この春の一興。

週刊新潮 2014年4月10日号掲載

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