明治の「知」をめぐるドラマ/『国史大辞典を予約した人々』

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 一冊の無味乾燥な名簿を手がかりに、思わぬ世界が開けてくる。有名無名とりまぜた明治人の「知」への熱気が伝わってくる。なんとも不思議な本である。
 日本史事典の嚆矢といえる吉川弘文館の『国史大辞典』は明治四十一年に刊行された。その前年に配られた『予約者芳名録』をたまたま入手した著者が、掲載された八千八百の人名、団体名をシラミ潰しにして、五年がかりでその名を特定していく。解明できたのは半分弱だが、それでも「知」をめぐる日本各地の小さなドラマの数々が浮かび上がってくる。
 定価二十円の『国史大辞典』を明治三十九年六月までに予約すれば、ほぼ半額で入手できる。それでも当時の教員初任給に相当する額だから、大きな買い物である。そのお得感に釣られた人、こんな事典を待ち望んでいた人、出版の志に賛同し、十年の編纂期間で枯渇した回転資金を提供するという心づもりの人、様々な動機で予約はされたのだろう。
 官立、私立の大学やナンバースクールの旧制高校、いまは東大合格者数を誇る開成、麻布、女子学院などの伝統校が名を連ねるのは予想通りとして、全国で三百六十二の小学校が予約しているのには驚かされる。教育県の長野がトップの五十五校である。中央官庁や裁判所にまじって、佐賀監獄の三部予約も異色である。
 個人名では、資生堂や浅田飴や神谷バーの創業者がいたり、刊行前に亡くなった三菱の岩崎弥之助がいたりする。東京天文台の三代の台長たち、中央気象台の二代の台長たちなど理系学者が文系学者に負けていないのも面白い。

 名簿は府県によって分類されているが、その枠に入らないので目を引くのが「軍艦乗込員」の十五名だ。軍人は合わせて百名近い。海軍省十一人に対し、陸軍参謀本部は三人と、総じて「海高陸低」なのは、理系思考の海軍に国史への関心が強いことをうかがわせる。元連合艦隊司令長官や戦艦三笠の艦長がいたりで、予約者だけで日本海海戦をもう一度やれそうな顔ぶれである。
 与謝野晶子、巌谷小波、佐佐木信綱、長塚節など文学者の名もあるが、意外に少ない。漱石、鴎外も、藤村、花袋もない。歌人が過去に向い、小説家は西欧に学んでいたからだろうか。著者が見つけてきた新聞広告に載る『大英百科全書』購入者として名の出る伊藤博文、新渡戸稲造、団琢磨などの洋行帰りは『国史大辞典』を予約していない。そういう比較もされている。
 小説家では、その父親たちが予約したケースがいくつか発見されている。芥川の実父、太宰治の実家、武田泰淳の父、尾崎一雄の父。それぞれ職業は牛乳業、貸金業、僧侶、宮司である。
 尾崎の父は伊勢の神宮皇学館教授でもあったが、伊勢神宮のある三重県度会郡(『芳名録』の住所表記は郡までしか出ていない)は八十三人という「大票田」である。それにはわけがあって、『国史大辞典』は国学院出身の三人の若き学徒が編集の中心におり、国学院が全面協力をした。神主たちは出版のサポーターとなったのだろう。
 国学院も「大票田」で七十五人が名を連ねる。その中にはおそらく最年少で、予約時には予科在学中、十九歳の折口信夫(釈迢空)がいる。折口は天王寺中学時代にすでに『言海』を精読し、『国歌大観』を読みおえ、上京して上野の図書館で古典籍を読破する男として新聞記事になっていたから(西村亨編『折口信夫事典』による)、『国史大辞典』のもっとも熱心な読者になったのではないか。
 国学院の前身が皇典講究所だった関係か、宮内省内にも予約者が多い。その中で特筆すべきなのは園祥子である。本では十九歳と誤植になっているが、予約時には三十九歳で、明治天皇の側室として二男六女をもうけ、四女が成人する。有職故実への興味なのか、国史への関心なのか、園祥子は要チェックである。
 著者は明治版『国史大辞典』のゆくえも追跡し、全国で五百冊の現存を確認する。『芳名録』まで所蔵していた唯一の図書館は、愛知県西尾市の岩瀬文庫で、実業家の岩瀬弥助が倹約を重ね、無数の良書の収集、公開を目ざした所で、残るべくして残った一冊なのであった。
 著者の病は嵩じて、『国史大辞典』について記述した日記探しを始め、小樽市の教員の日記に、申し込みの記述、貸したらなかなか返ってこない不満の記述を発見する。こうして、『国史大辞典』が「知」のインフラとして各地で重宝され、活用されていく姿までが明らかになっていく。その一方で、大量に予約販売の実績をあげた書店のほとんどが近年廃業していたという事実に愕然とする。
 本の最後には、担当編集者の実家の蔵から明治版『国史大辞典』が出てきて、曾祖父が『芳名録』に載っていることが判明するオマケまでつく。『芳名録』の全貌を勁草書房のホームページで公開すれば、不明の半分強の名前も確定でき、さらなる数奇な本をめぐる物語が各地から寄せられるのではないだろうか。
 本を楽しく読み了え、『国史大辞典』の実物に触れたくなったので、某図書館を訪ねた。分厚い本巻、「清新豪華」と評された色刷り図版が美しい別巻と、百年の時を何物ともせずに輝いている。その別巻に一枚のチラシが糊付けされていた。読んでみると、「意外の遅延を来し御眷顧に背くの罪恐懼措く処を知らず」とあり、発売が一年以上遅れたことを予約者に詫びる文面である。『芳名録』は予約者に刊行を誓い、いましばしの猶予を乞うためのものであった。刊行の遅延が幸いして本書は生まれたのであった。

[評者]平山周吉(雑文家)

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