佐藤天彦新名人90分インタビュー(1) あの羽生善治に4連勝!

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 将棋界に激震が走った。羽生善治四冠(45)が名人位を失冠! 第1局の敗戦後、4連勝で名人戦を制したのは佐藤天彦(あまひこ)八段(28)だ。クラシック音楽を好み、個性的なファッションから、棋士仲間やファンは“貴族”と呼ぶ。新名人が、“絶対王者”との激闘を振り返った90分。

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4連勝で名人戦を制したのは佐藤天彦八段(28)

「本当に勝てると感じたのは、羽生さんが投了する直前の一手でした。100手目に僕が3六歩を指した後、これなら相手がセオリー通りに指してきても、ひねって指してきても対応できそうだと感じたのです。そうなることを予想していたのか、羽生さんは97手目で53分間の“大長考”をされました。恐らく、羽生さんもこちらが優勢だと読んだのでしょう。結局、お互いの読み通りに局面が進んだので、ようやく勝利を確信することができました。

 実は、それ以前に気持ちが揺れた瞬間がなかったわけではありません。それは僕が80手目に2五桂馬を指した時でした。すぐに角と桂馬を交換せず、あえて桂馬を捨て駒にしたのです。ここで一歩立ち止まって冷静になれたことが勝利に繋がったのかもしれません。もし、普通に飛車で角を取り、相手に桂馬を渡していれば、その後に“さあ、どうしよう”ということになって、勝つのは大変だったかもしれませんね。

 その後の82手目に飛車で角を取った時、“これは有利な展開に持ち込めるかもしれない”と考えました。しかし、将棋は優勢になった時ほどプレッシャーを感じるもの。このままやれば勝てるという状況は、逆に言えば、“この先の読みを間違えたら逆転負けする。負けたら、ショックが大きい”というプレッシャーを感じさせるものでもあります。

 対局中は、勝つ喜びを味わいたい気持ちがある一方で、負ける辛さも想像してしまう。今回の名人戦は、僕にとって3回目のタイトル戦。王座戦、棋王戦と過去2回は敗退していますから、これで負けると3回連続でタイトル奪取に失敗することになる。周囲の期待も大きかったので、その辛さは容易に想像できました」

 将棋の名人位は、七大タイトルのうち竜王位と並ぶ“最高峰”。七番勝負で、一局の持ち時間各9時間と将棋界最長で2日間にわたる“死闘”である。

 5月30日、山形県天童市内のホテルで行われた第74期名人戦第5局。ここまでの対戦成績は、佐藤天彦八段が1敗のあと3連勝して名人位奪取に“王手”をかけていた。そして2日目の5月31日午後6時44分、羽生善治名人が投了して、“佐藤新名人”が誕生したのだ。

「羽生さんが投了した瞬間、“やったー”という勝った喜びよりも、この大事な七番勝負、勝たなければならない将棋を勝ちで終われた安堵感、負けるかもしれない不安から解放された喜びの方が大きかった。名人位を取った実感は、今もなかなか湧いてきません。どのタイトルにも価値がありますが、やはり名人位は特別なものです。ですが、自分が名人になれた実感が不思議とないのです」

笑顔の佐藤新名人

■7勝7敗の五分

“佐藤新名人”は4勝1敗で名人戦を制したが、4月5、6日に東京・椿山荘で行われた第1局では黒星を喫している。“異変”が起きたのは、長野県松本市のホテルブエナビスタで行われた第2局だった。

「もちろん、初戦に負けたわけですから痛かった。ですが、決して悪い内容の将棋ではなく、意義のある一局でした。そして第2局の終盤戦では、後でわかったのですが、羽生さんがこちらの詰みを見逃していたのです。

 僕にとっては1局目と同じように悪い展開が続き、粘りに粘っている状態で、お互い詰みがわかっていなかった。そこで終盤に羽生さんが、156手目に5四歩と指した時です。その瞬間、僕は相手に詰みがあることに気づきました。7五に桂を打った時には、駒を持つ指が震えました。大変な勝負の最中、ようやく勝ちが見えたことに驚き、興奮で指が震えたのだと思います」

 これまで20代で名人位を獲得したのは大山康晴十五世名人や中原誠十六世名人などで、佐藤新名人は7人目。羽生善治前名人もその1人だが、現役棋士のなかでも圧倒的な強さを誇っている。1996年には史上初の七大タイトル独占を達成し、タイトル獲得回数も94回で歴代1位の記録を更新中。羽生前名人は名人位を失ってもなお棋聖、王座、王位の三冠を保持し、“史上最強”との呼び声も高い。

「羽生さんはどんな対局でも常に全力を出そうと心がけるタイプの棋士ですが、名人戦には特に強い思いを抱かれているようです。今回の名人戦の前夜祭では、“若い世代と戦うが、感慨に浸る余裕はない。30年間積み重ねたものを出していきたい”とコメントされていました。

 今回4連勝したことで、羽生さんとの対戦成績は7勝7敗の五分になりました。それは対戦成績は気になります。将棋界では特別な人ですから、そんな人と戦ってどんな成績を残せるのかは重要です。周囲からは、棋士の実力の指標として見られるので、今後も拮抗した戦績を残したいですね」

■「羽生さんの凄いところは――」

「羽生さんと最初に対戦したのは、4年前の棋王戦挑戦者決定トーナメント。当時、僕はタイトル戦に出たことがありませんでした。格の違いがあり、胸を借りるつもりで対局に挑みましたが、力の差は大きく結果は負け。その後も2連敗して、初めて羽生さんに勝ったのが昨年5月の銀河戦。ちょうど僕がトップ棋士10人で構成されるA級に昇格したばかりで、108手で初勝利を挙げたのです。その時には喜びはなく、今後続く戦いの始まりだと感じました。昨年9月の王座戦でも羽生さんと対戦しましたが、初のタイトル戦は2勝3敗の敗退。相手が羽生さんなので不本意な負けではありませんが、次回こそ雪辱を果たしたいと思いました。

 羽生さんの凄いところは、技術的に高い水準を長年保ち、柔軟な発想ができる点でしょう。多くの棋士は“奇手”と思える手を指す時に“セオリーではないが、ここは踏み込まなくては”と意識するもの。それを当たり前のように指せる思考を持っているのが羽生さんなのです。

 セオリーに頼りすぎると自由な発想が阻害される。セオリーに従いながらも、自由に発想を転換できるのは、羽生さんの持って生まれた資質でしょうか。名人戦第5局でも自陣に隙があるのを承知の上で、攻めの糸口を探し出して指された手があります。口で言うのは簡単ですが、行動に移せる棋士はそれほど多くはありません」

 将棋界で、羽生三冠の強さの秘密は“連敗しない”ことだと言われている。特に、タイトル戦での連敗は少なく、この15年間で羽生三冠に4連勝したのは森内俊之元名人(45)と、竜王位と棋王位を保持し、本誌(「週刊新潮」)「気になる一手」でもお馴染みの渡辺明二冠(32)の2人だけだった。昨年、実力が開花した佐藤新名人は、今回の名人戦で4連勝を果たしてこのリストに名を連ねることになったのだ。

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(2)へつづく

「特集 あの『羽生善治』に4連勝! 将棋界の貴族! 『佐藤天彦』新名人90分インタビュー」より

週刊新潮 2016年6月16日号掲載

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