読売新聞が報じた“昭和史スクープ”は歴史的発見か 「東條英機メモ」が語る「昭和天皇」戦争責任の存否(保阪正康)

国内 社会

  • ブックマーク

Advertisement

「東條英機メモ」が語る「昭和天皇」戦争責任の存否――保阪正康(上)

 7月23日付「読売新聞」1面に、ある昭和史のスクープが載った。「湯沢メモ」――開戦前夜、東條英機が語った言葉を内務次官の湯沢三千男がメモに残していたのだ。そこには昭和天皇の「開戦の決意」の言葉も……。昭和史研究の第一人者が読み解くスクープの真相。

 ***

 今年は太平洋戦争が始まってから、78年目に当たる。開戦に至る経緯や道筋の細部は、これまでほとんどが明らかになってきた。

 これから言及する史料は、昭和天皇の真のお気持ちを表したものとされる。それについても、3年前から刊行されている『昭和天皇実録』など幾つかの史料で明らかになっていたことではある。もっとも、その“本心”が的を射ているか否かは、別問題であるのだが。

 この史料とは、今年の7月23日付の読売新聞朝刊に掲載された、ある昭和史のスクープである。

〈聖上陛下ノ御決意ニ基ヅキ全軍一体トシテ大命ヲ奉ジ一糸乱レザル軍規ノ下ニ行動スルコトヲ得タル〉

 昭和16年12月当時、東條内閣で内務次官を務めていた湯沢三千男が、便箋に5枚ほどのメモ類を残していたというのだ。そこには、東條内務大臣(首相と兼任していた)が開戦前夜に湯沢と陸軍次官の木村兵太郎に開戦日の段取りを伝えた後、昭和天皇の「決意」を興奮気味に語ったという内容が書かれていたのである。

 私はかって東條英機という軍人の内面を次代の者として書こうと思い、東條夫人の勝子氏をはじめ、肉親から副官、秘書官、部下の軍人まで100人余の人たちに会った。その体験から、東條という人物の全体像をつかむことができたと考えている。また昭和天皇周辺の関係者にも会い、徹底的に取材してきた自負もある。

 そんな私が今回のこの記事を読んだ率直な感想を、認(したた)めてみようと思う――。

次ページ:一級史料にはほど遠い

前へ 1 2 3 次へ

[1/3ページ]

メールアドレス

利用規約を必ず確認の上、登録ボタンを押してください。