「日本が核を持たないから君たちも持つな」という説得は可能なのか 『カエルの楽園』の教訓

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日本共産党書記長の北朝鮮説得術

「もし襲われたら、どうするの?」

「襲われたって争いにはなりません」

「どうして?」

「ぼくらが争わなければ、争いにはならないからです」

 これは百田尚樹氏のベストセラー『カエルの楽園』の一節だ。「カエルを信じろ」「カエルと争うな」「争うための力を持つな」の「三戒」を持つ、ツチガエルに対して、アマガエルが「それで国が守れるのか」という素朴な疑問をぶつけた時の会話である。

 こちらが争おうとしなければ、争いは起きない――こうした教えは幼稚園や小学校では大切なのかもしれないが、国際政治を舞台とした場合には、あまりに無邪気すぎる、というのが常識だろう。

「しんぶん赤旗」によれば、日本共産党の小池晃書記局長は、13日、西日本新聞主催の政経懇話会に出席した際、核兵器禁止条約にふれ、こう語ったという。

「日本も核を持たないし、使わないから北朝鮮も放棄しろと迫ることが一番説得力を持つし、世界の流れのなかで北朝鮮を包囲することが必要だ」

 要するに、「ぼくらが持たなければ、きみたちも持たなくていいだろ」

 まるで楽園のカエルそのものの発想なのである。

 もちろん、「なるほど、そうだな。持つのはやめよう」と思う可能性はゼロではないのかもしれない。しかし、一方で「へえ、おまえらが持たないなら好都合だ。おれたちは持つよ」と考える可能性は大、というかその思考法で北朝鮮は進んできたと考えるほうが自然だろう。そもそも北朝鮮は日本を見つめて核武装を進めているわけではない。

 小池書記局長の発言を、素晴らしい理想主義と捉えるか、頭の中が「カエルの楽園」だと捉えるか。その受け止め方は人それぞれだろう。

リアリストたれ

 百田氏は、新著『戦争と平和』の中で、同じように「平和」を求めながらも、まったく別の考えになる根本には「リアリスト」と「ロマンチスト」の違いがある、と指摘している(以下、引用は同書より)。

「ここに異なった憲法を持つ二つの国があったとしましょう。その一つはこういう憲法です。

『私たちは決して侵略戦争をしない。しかしもし他国から侵略されたら徹底して戦う』

 もう一つの国の憲法はこうです。

『私たちは決して侵略戦争はしない。他国から侵略されても抵抗しない』

 さて、どちらの国がより戦争を回避できる可能性が高いでしょうか」

 前者が「リアリスト」で後者が「ロマンチスト」の立場である。三戒を信奉するカエルはもちろん後者だ。百田氏は続ける。

「『戦争は嫌だから、戦争はしない』と主張するだけで戦争が起こらないなら、こんな楽な話はありません。世界の国からとっくの昔に戦争はなくなっているでしょう。

 リアリストの典型的な国はスイスです。『永世中立』を宣言し、200年も戦争をしていないにもかかわらず、今も国民皆兵で強大な軍事力を持ち続けているのは、万が一の有事に備えてのことなのです。

 その対極のロマンチストの典型は、かつての(非武装中立を宣言した)ルクセンブルクです。しかし20世紀に起こった2度の大戦争で国土を蹂躙されたルクセンブルクは、今やリアリストになりました」

 残念なことだが、歴史を冷静に見た場合、「こちらが争わなければ、争いは起きない」という保証は存在しない。百田氏は、日本人、なかでもこれからを背負う若い人に「リアリスト」が増えることを心から願う、と述べている。

デイリー新潮編集部

2017年9月20日掲載

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