“はじめは、主人は小保方さんのプレゼンに感心し、すごく優秀だ、と言っていました” 〈「笹井副センター長」未亡人インタビュー(4)〉

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 笹井芳樹氏(享年52)の未亡人が自宅で応じた単独インタビュー。これまで、笹井氏の自殺の「真相」について語ってきたが、今回、ついに小保方晴子氏(32)に言及。理化学研究所のCDB(発生・再生科学総合研究センター)副センター長で、小保方氏の上司の立場にあった笹井氏が、妻に漏らしていた“小保方さん”の評価とは。

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〈笹井先生がお隠れになった。8月5日の朝だった。金星が消えた。私は業火に焼かれ続ける無機物になった〉(小保方氏の手記『あの日』)

 様々な要因が重なり、自殺というエアポケットに落ち込んだ笹井氏。その恩師に対し、小保方氏は「手記」で一貫して尊敬の念を綴り、死を知った時の心境をそう記している。

 では、果たして、論文に次々と疑問が呈される中、指導教官だった笹井氏は、一体、小保方氏をどのように評価していたのだろうか。

「はじめは、主人は小保方さんのプレゼンに感心し、すごく優秀だ、と言っていました。

 研究者なら当たり前だと思いますが、主人はSTAP細胞の発表前も家族にそれについて何も言いませんでした。ただ、前日に『明日大きな発表があるから』と。その頃は副センター長としてものすごい量の仕事をこなしていましたが、やはりSTAPは素晴らしい研究であるので、多忙な中でも充実していましたし、『ネイチャー』に論文が載った時も、喜びに満ちあふれていました。

 はじめの疑惑であった『電気泳動』の画像に加工の痕があった件も、『あれはわからないよ』と、主人は少しも慌てていませんでした。はじめから間違っているという前提で見れば気が付くけど、論文を読む時はそういう目で見ていない。訂正で済ませられるんじゃないか、という気持ちはあったみたいです。その辺りはまだ落ち着いていたんです」(未亡人)

研究者としての適性

 が、状況が一変したのは3月末。小保方氏が作製した細胞が、(山梨大の)若山(照彦)教授が渡した元のマウスと、遺伝子系統が異なることがわかってからだという。すなわち、研究の途中で、別の細胞が混入された可能性を強く示唆するものだった。

「この時には、これはもう致命傷だな、と言っていました。その頃には、論文を引っ込めた方が良い、と感じていたようです。“終わり”を覚悟していました。

 ちょうどその頃でしょうか、主人は、小保方さんについて、『研究者に向いていない』とこぼすようになりました。科学の世界はデータがすべて。証明するものはそれしかない。たとえ悪意のないミスであったとしても、データをそれだけ杜撰に扱うということは、信用できるものは何もなくなってしまう――と非常に驚いていたのです。ユニットリーダーになる時の彼女のプレゼンの素晴らしさと、一方で持つ、極めて杜撰な面のギャップにひどく驚いていました。あの頃になると、主人は小保方さんには『根本的に研究者としての適性がない』と思うようになっていました」(未亡人)

(5)へ続く

週刊新潮 2016年2月11日号掲載

「特集 『あの日』から初めて口を開いた! 黒い割烹着『小保方手記』に『笹井副センター長』未亡人単独インタビュー」より

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