復活のシンクロ 「鬼の井村」の毎日腹筋2500回で離脱者も

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「マーメイドジャパン」メダル奪還!(イメージ)

 お家芸がようやく復活の兆しを見せた。「デュエット」「チーム」ともに銅を獲得したシンクロナイズドスイミング。遠ざかった表彰台の一角を占めるべく猛特訓を課してきたのは、他ならぬ“メダル請負人”井村雅代ヘッドコーチ(66)である。

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 かつて井村HC指導の下、日本チームは84年のロサンゼルス五輪から6大会連続でメダルを獲得してきた。

「アテネ後に勇退した井村さんは06年、中国代表の監督に就任。『裏切者』などと批判されましたが、実績のなかった中国をわずか1年半で鍛え上げ、08年北京五輪では初のメダルをもたらしました」(運動部記者)

 一方の日本はといえば、

「デュエットでは辛うじて銅を獲るものの、種目採用された96年から続いていたチームでのメダル獲得は叶わず。続く12年のロンドンでは、2種目とも5位に沈んだのです」(同)

“敵国”に渡った井村HCを目の敵にしていた日本水泳連盟も、お家芸崩壊を目の当たりにして背に腹は代えられず――。かくして14年2月、日本チームに復帰し、代名詞である“地獄の練習”が再開された。

「1日2500回の腹筋をはじめ、トータル10時間を超える練習が続きました。『泣いていいのは親が死んだ時とメダルを獲った時だけ』と言い渡し、それまで根付いていた“選手の自主性”など粉々に打ち砕き、徹底したスパルタで追い込んでいったのです」(同)

 昨夏の世界選手権では、さっそく8年ぶりのメダルを獲得。が、その数カ月前にはあまりの苛烈さに2名の離脱者が出ていた。

 実際に今回、エースの乾友紀子とデュエットでメダルを獲得した三井梨紗子は、

〈地獄のような日々が報われた〉

 と吐露し、一昨年「やめます」と言い放って離脱しかけた吉田胡桃も、

〈楽しいことなんてほとんどなかったが、井村先生についてきてよかった〉

 これに当の井村HCは、

〈最後までエネルギーのかかる子たちだった〉

 そう締めくくっていた。

■「毎日誰か泣いてる」

 井村門下生で、アトランタから3大会連続でメダルを獲得した武田美保氏は、

「今回の選手たちは、過去最高の練習量をこなしていました。リオに発つ前、先生にお会いして『チームの調子はどうですか』と尋ねたら、『あなたたちの頃と違って今の子は“練習で泣くな”と言っても、毎日誰かが必ず泣いてるわ。そうなると感情的になって言葉を受け入れへんから、私も注意するのを止めるねん』と、こぼしていましたね」

 同じくバルセロナ五輪銅メダリストの奥野史子氏も、

「井村先生の辞書には“妥協”の文字はありません」

 と、自身を振り返り、

「五輪合宿ではアップとして競泳100メートルを10本。これが設定タイムを切れなかったらその分本数を増やし、切れるまでやり直し。そのうち何本泳いだか記憶がなくなり、最後のメインは200メートル10本。ここでもタイムが切れなくて20本になることはザラでした。結局トータルで1万メートルくらい泳ぐのですが、これを終えてようやく、シンクロの練習が始まるのです」

 そうした鍛錬の先には、

「練習を重ねた選手だけが醸し出す“脚の表情”が見えてきます。私たちは、水面から上がれば誰の脚なのか、すぐに分かります」

 というのだ。そして、

「先生は3位のまま黙って甘んじる人ではない。今後4年間は、選手たちが本当の覚悟をもって臨む、シンクロ界の大勝負になります」

“地獄めぐり”の成果は、東京でお目にかかれそうだ。

「ワイド特集 『メダル』の夢の後始末」より

週刊新潮 2016年9月1日号掲載

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