『こころ』はミステリーかボーイズラブか 〈読み巧者10人の私の夏目漱石体験(1)〉

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夏目漱石『こころ』(新潮文庫)

 今年「没後100年」、来年に「生誕150年」を迎える文豪・夏目漱石。作家、俳優から政界のキーマンまで、各界の読み巧者10人が語る「漱石体験」に接すれば、“食わず嫌い”のあなたも、数十年前に“挫折”したあなたも、あの名作に思わず手が伸びるはず!

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 思わせぶりな台詞でも知られる『こころ』は、文豪・夏目漱石の代表作のひとつ。人間のエゴや倫理観のあり様を描いたこの作品は、1914年に出版されて以来、数ある漱石作品の中で最も多くの読者に親しまれてきた。3000タイトル以上が刊行されている新潮文庫の中でも累計発行部数は突出しており、最多の711万部に達している。

「『こころ』は、高校・現代国語の教科書に取り上げられているので知名度は高いのですが、自殺や三角関係を描いた深刻で暗い内容に、苦手意識を持つ読者も少なくないようです。でも、ちょっと視点を変えれば、この作品の見え方はずいぶん変わってくるはずです」

 そう指摘するのは、新潮文庫のベテラン編集者だ。

夏目漱石

「物語は主人公の『私』が、鎌倉の海水浴場で『先生』の姿を見かける場面から始まります。以来、先生が気になって仕方がない私は、先生と親しくなるチャンスを窺い、ようやく数日後、先生が浜辺に落とした眼鏡を拾い上げて、一緒に泳ぐ関係になる……。いうならば、男同士のナンパから物語が始まるんです。最近流行りのBL(ボーイズラブ)小説のつもりで読んでみると、より身近に感じられるのではないでしょうか」

 一方、漱石など文豪たちの食生活を描いた『文人悪食』の著者で、作家の嵐山光三郎さんも、

「前半では、先生は委細を語らずに墓参りに行ったり、謎めいた言葉を口にし、その謎が後半部分で解き明かされていく。『こころ』は一種のミステリー仕立てになっていて、しかも謎の引っ張り方が上手い。高校生がこの作品を読むなら、『先生』の“心の闇”に深入りせず、ミステリーとして読んでも面白いかもしれません」

 わずか10年余で30編以上の名作を残した漱石は、今年12月に没後100年を、来年2月には生誕150年を迎える。全国で漱石への関心が高まる中、神奈川近代文学館では、貴重な原稿・草稿、書簡や漱石自身の書画や遺品を集めた特別展「100年目に出会う 夏目漱石」も開催されている(5月22日まで)。

夏目漱石『坊っちゃん』(新潮文庫)

■「主人公のように」

 さて、漱石作品の“入門編”といえば、愛媛県の中学に赴任した新任教師が繰り広げる人間模様を描いた、『坊っちゃん』を挙げる人も多いだろう。

「愛媛県西条市で生まれ育った私にとって、漱石と言えば近隣の松山市が舞台の『坊っちゃん』です。『赤シャツ』や『山嵐』『マドンナ』といった登場人物の名前は、地元のお菓子や食堂のメニューにも使われていました」

 と言うのは、タレントの眞鍋かをりさんだ。

「中学2年で初めてこの作品を読んだ時は、主人公が道後温泉の浴槽で泳ぐシーンしか記憶に残りませんでした。再読したのは大学4年生の時。大学入学と同時に芸能活動を始めた私は、卒業後は普通に就職するつもりでした。ところが、なかなか内定がもらえずに苦労している友だちの姿を見て、私も進路について悩んでしまったのです」

 その時読んだ『坊っちゃん』では、主人公が自分の正義を頑なに貫く姿が印象的だったという。

「頑固な姿には、こっちが“もう少し大人にならなきゃ”ってハラハラしたくらい。それまでの私は、いつも周囲の空気を読んで他人の都合を優先していました。結局、芸能界に“就職”したのですが、それからは『坊っちゃん』の主人公のように自分を偽らず、自分の生き方や選択を相手に上手く伝えながら、気持ちよく仕事をしたいと考えるようになりました」

夏目漱石『三四郎』(新潮文庫)

■日本の未来を予見していた漱石

 過去に何度も映像化されている『坊っちゃん』だが、同様に映画やテレビドラマに取り上げられてきたのが青春小説の『三四郎』だ。

「漱石作品のお薦めといえば、断然この作品です」

 紀伊國屋書店会長兼社長の高井昌史氏が言う。

「三四郎は立身出世を夢見て熊本の五高から東京帝大に進学したものの、あまり講義にも出ず遊んでいる。汽車に乗り合わせた女と同宿する羽目になった時には何もできず、『あなたは余っ程度胸のない方ですね』と言われたり、美禰子という令嬢に惚れて翻弄されたり。そういうことは今の時代にもあることで、若い読者もきっと自分に当てはめて楽しめるはず。一方で、『これからは日本も段々発展するでしょう』と言う三四郎に対し、広田先生はただ一言、『亡びるね』と答える……等身大の主人公を描きながら、漱石は日本の暗い未来をも予見しているんです」

 これには歴史作家の関裕二氏も同じ意見で、

「当時は日本が日清・日露戦争に勝って、国民が熱狂していた時代。ところが漱石は、イギリスに留学して世界の最先端を目にしていた。彼は日本がイギリスの帝国主義を真似して戦争を繰り返したらどうなるか、ということを見切っていた数少ない日本人の1人だったと思います」

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(2)へ続く

「特集 まもなく没後100年! 生誕150年!『坊っちゃん』に出逢った!『明暗』に学んだ! 読み巧者10人の『私の夏目漱石』体験」より

週刊新潮 2016年4月14日号掲載

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