宮内庁記者たちが胸騒ぎを覚えて……老いを告白された「天皇陛下」絶句15秒間の異変

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 時に饒舌(じょうぜつ)よりも沈黙が、雄弁に「何か」を物語ることがある――。82歳になられた天皇陛下が、お誕生日記者会見で突如、絶句される一幕があった。この「アクシデント」は何を意味しているのか。自ら老いに言及された陛下にとっての、「戦後70年の年」の検証。

 ***

「今年は先の大戦が終結して、70年という節目の年にあたります」

 皇居内の「石橋の間」で、天皇陛下はゆっくりと、そして聞く者の胸に染み入る独特のトーンで話されていた。

「この戦争においては、軍人以外の人々も含め誠に多くの人命が失われました」

 戦後70年の掉尾(とうび)にあたり、先の大戦での犠牲者に対する陛下の深い思いが、改めてひしひしと伝わってくる。次のお言葉が待たれた。

「……」

 襟を正す約20人の「聴衆」。

「……」

 静寂が時と場を支配する。

「……」

 続くお言葉がなかなか発せられず、聴衆の間に気まずさが漂う。

「……平和であったならば、社会のさまざまな分野で有意義な人生を送ったであろう人々が……」

「失われました」から「平和」に辿り着くまでの時間は、ゆうに10秒を超え15秒ほどに達した。聴衆は、否応なく陛下の「異変」を感じざるを得なかった──。

 2015年12月23日、天皇陛下は82歳のお誕生日を迎えられた。それに伴い恒例となっている記者会見が開かれたのだが、そのなかのワンシーンが「沈黙の15秒」だった。

「今回の会見は、天皇陛下がご高齢であることを再認識させられるものとなりました」

 お誕生日会見に出席した聴衆の1人である宮内庁の記者会に所属する記者は、こう感想を漏らす。そして、

「絶句された以外にも、陛下のお歳を感じさせる場面が見られました」

 と、「不安」を口にするのだった。その詳細に入る前に、まずは天皇陛下にとっての「2015年」を振り返っておく。

 お誕生日会見での陛下のお言葉を持ち出すまでもなく、2015年とは、すなわち戦後70年の節目の年であった。天皇ならびに皇后両陛下におかれては、それは同時に慰霊の年であることも意味していた。そのハイライトのひとつは、4月のパラオご訪問だったと言えよう。

「戦後60年の年にサイパンを訪れた両陛下にとって、以来、パラオでの慰霊は文字通りの悲願でした」

 こう解説するのは宮内庁関係者だ。

「昭和天皇が崩御されて以降、両陛下は先代が足を運ぶことのできなかった沖縄や海外での慰霊が、ご自分たちの任務であるとの強い覚悟を持たれていた。したがって、30度を超える酷暑で、しかも海上保安庁の巡視船にお泊りになるという過酷な条件にも拘(かかわ)らず、パラオご訪問を決行されました。あまりの暑さに、同行者の中には脱水症状を訴える人までいましたが、陛下は長袖を着られ、慰霊の献花などに臨まれました」

 このような旅が、両陛下のお身体に負担とならないはずはないが、周囲の懸念をよせつけないほどに、天皇皇后の慰霊の旅への思い入れは強かった。

「新年も、1月26日から5日間の日程でフィリピンを訪れることが決まっています。しかし、傘寿を超えた両陛下にとって、サイパンに続くフィリピンご訪問が楽なものであるわけがない。本当にお身体は大丈夫なのだろうかと心配していたところでした」(同)

 そうした矢先に迎えたのが、お誕生日会見だった。

「陛下は我々記者のほうを向かれ、用意していた紙に再び目を落とされたのですが、どこまで読んだか、次はどこから読むべきなのかが分からなくなってしまい、絶句されたように見えました」(前出記者)

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