大空眞弓「“バッサリ切ってください”って先生に言ったの」 がんに打ち克った5人の著名人(4)

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 以下に紹介する女性は、一度ならず幾たびか、がんに打ち克った“サバイバー”である。

 大空眞弓さん(75)。58年に新東宝からデビューし、『愛と死をみつめて』で不治の病に冒されるヒロインを演じ、一世を風靡した女優である。

 彼女は、乳がん一度に胃がん二度、食道がんも一度経験しており、“多重がん”の半生を歩んできた。

 最初に患ったのは乳がんで58歳のときだったが、「ついに来たか」という心持ちで、これを迎えている。

「近親者にがん患者が多いんですよ。姉が29歳で亡くなったのは胃がんですし、母は肝臓がんで他界。父は直接の死因ではないけれど、胃がんに一度かかっています。がん家系のようなので、いつか自分もがんになるだろうと思って、それまで年に2回は人間ドックでチェックしてもらっていたのです」

 大空さんの乳がんは5センチ弱で、浸潤性の粘液がん。担当医には「タチの悪くないがんだ」と言われた。

 心の準備はできていたから治療法にも迷いはない。乳房を温存する方法もあったが、そうしなかった。

「テレビドラマの撮影が入っておりまして、受けた仕事を降りると関係者に迷惑がかかるでしょ。それは避けたかった。温存療法はあとで放射線治療が必要になって入院期間が長くなる。あくまで撮影の合間を縫って手術から退院まで済ませたかったので、無理でした。それにもうヌードを撮る歳でもないし。だから“バッサリ切ってください”って先生に言ったの。そしたら腕のいい方で、鮮やかで、“畳職人のようね”と言っちゃった」

 終始あっけらかんと話す大空さんだが、女優としての矜持を見せたのは、手術の翌月に控えていた、宮尾登美子原作『藏』の舞台について語ったときだった。

「もし手術をしたことがわかっていると、私に思いっきり飛び込んでくるシーンでも相手は遠慮するでしょ。そもそも『藏』は再演ですから、芝居の型というものができているわけです。手術したからとヘンに手加減したら芝居自体がかわってしまう。だから、主演の沢口靖子さんと古谷一行さんのおふたりにだけは絶対内緒にしてもらいました」

 乳がんを経てからも検診を継続していたおかげで、3年後の01年には胃がんが、翌年も別の胃がんが見つかった。幸い、どちらも初期だったので内視鏡で切除できた。

 加えて、その翌年には食道がんが見つかる。食道周辺の狭くない範囲にがんが広がっていたが、自覚症状はなかった。医師らは、取り残しがないよう、内視鏡で5回に分けて分割切除を試み、治癒へと導いた。

 3年連続でがんを発見し、いずれも負担の少ない手術で済んだ。この経験から確信したことがある。

「モグラ叩きですよ。がんには症状がなく、進行が早いのもある。それに対抗するには、こまめに検診を受けて、見つかったらできるだけ早く叩いてしまうのがいちばん。私みたいな多重がんでさえ、なんとかいままで生き延びてきたんですから」

 検診を受けるモチベーションになっているのは、イケメン主治医の存在だとか。

「俳優のジョニー・デップに似た、いい男なの。そのほうが楽しいじゃない」

 昔のようにブランデーを毎晩1本空けることはないが、いまも毎日缶ビール2本でのどを潤すという。

「先生には“1本”と申告しているけれど」

「特別読物 がんに打ち克った5人の著名人 Part2――西所正道(ノンフィクション・ライター)」より

大空眞弓 女優
1940年生まれ。58年に新東宝から映画『坊ちゃん天国』でデビュー。90年、菊田一夫賞受賞。東京・赤坂の生まれである。

西所正道(にしどころ・まさみち)
1961年奈良県生まれ。著書に『そのツラさは、病気です』、近著に、がんを契機に地獄絵に着手した画家を描いた『絵描き 中島潔 地獄絵一〇〇〇日』がある。

週刊新潮 2015年12月10日号掲載

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