「辺野古基地移設反対」は県民の「総意」ではない――沖縄の不都合な真実

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■本当に「総意」なのか

 昨年末に行われた沖縄県知事選で、米軍の普天間基地の辺野古移設に関して、反対派の翁長雄志氏が、容認派の仲井眞弘多氏を破って当選したことは記憶に新しい。この結果を持って、「沖縄県民の総意は、移設反対だ。政府はそれを真摯に受け止めるべきだ」という声もまた強まっている。特に一部の新聞やテレビでは、このような論調が目立つ。

沖縄の不都合な真実』の著者の一人、篠原章氏によると、沖縄の政治家は保革を問わず「県民の総意」「県民の悲願」といった言葉をよく用いる傾向があるという。また、地元の識者も同様に、「知事選で県民の総意と決意を示そう」といった発言をするのだそうだ。

 しかし、こうした言葉使いそのものに篠原氏は疑問を呈す。

「沖縄以外の知事や国会議員が『総意』などという言葉を使う例はあまり記憶にありません。東京都知事が『東京都民の総意』などと安易に発言したら、多くの都民は反発を覚えて都知事を非難することでしょう。

 ところが、沖縄の政治家にとって『総意』や『悲願』は当たり前の言葉となっているのです。『沖縄はいつも非常時だ』あるいは『沖縄は特別だ』と考えているからこそ、そうした言葉の使用が日常化しているかもしれませんが、140万人もの人口を抱える自治体の指導者がうかつに使う言葉ではないのではないでしょうか」

 篠原氏によれば、今回の県知事選で移設に明確に反対した候補者の合計得票は36万8641票で得票率52.73パーセント。一方で容認派と見なされる候補の合計得票は33万523票で得票率47.27パーセントである。

 これを冷静に見る限り辺野古移設反対が沖縄の「総意」だとは言い難いのではないか、と篠原氏は指摘している。

「選挙で勝利した側の意見を第一とすべきなのは当然でしょうが、反対意見も尊重するというのもまた民主主義の原則であるはずです。『総意』『悲願』といった言葉の使用は、『異論は許さない』という旧時代の風潮を連想させます」

■自費出版を拒絶

「異論は許さない」という風潮に関連して同書で紹介されているのが、「自費出版拒絶問題」である。沖縄在住の又吉康隆氏は、日ごろから「普天間の移設先は辺野古しかない」といった主張をブログで展開していた論客。その又吉氏が自身のブログを一冊にまとめて自費出版をしようとして、地元の出版社に持ち込んだところ、自費出版を断られたのである。

 その理由を尋ねると、出版社からは「基地問題についての主張」が理由であるという答えが返ってきたのだという。自費出版であるにもかかわらず、著者の思想が問題視されて拒否されるというのは極めて異例だろう。

「沖縄では地元の二大紙も基地問題に関してはまったく同じ論調で、他の意見は考慮されません。それに地元のジャーナリズムや出版社も追随するばかりです。

 しかし、『言いたいことを言いたいときに言う』というのが言論の自由であり、市民社会・民主主義の礎であるはずです。自由な言論を封殺するような傾向が沖縄にあるのだとすれば、見過ごしてはならないのではないでしょうか」(篠原氏)

 幸いにも、又吉氏は自ら起ち上げた出版社から自著(『沖縄に内なる民主主義はあるか』)を刊行。同書は県内でベストセラーとなったという。

デイリー新潮編集部

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