「ゴッホと一緒に焼いて」の「斉藤了英」は「シャガール」と号泣した

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 バブル時代、猛烈な勢いで海外の資産を買い漁ったジャパンマネー。その象徴的な存在として必ずといっていいほど引き合いに出されるのが「大昭和製紙」の斉藤了英名誉会長(享年79)の逸話だ。おかげで、傲岸不遜な「バブル男」とのイメージがすっかり定着してしまったが、彼は本当に名画を灰にしても良いと考えていたのか。孫の口からは、絵画や画家に対する深い愛情を感じさせるエピソードが次々と語られ……。

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 斉藤氏が率いた大昭和製紙は2001年に日本製紙と事業統合。今も「大昭和」の名を引き継いでいるのは、単体で残った「大昭和紙工産業」だけで、斉藤氏の孫の斉藤了介氏(38)が会長を務めている。

「以前、ある現代アート関係者の立食パーティーに出席した時、私より若い日系アメリカ人に話しかけられた。オークション会社のサザビーズがやっている大学院に通っていた、と言う彼に対し、私は“大昭和の斉藤です”と名乗ったのですが……」

 と、了介氏は語る。

「相手が“大昭和の斉藤さんって、サイトウリョウエイさんと関係あるんですか?”と聞くので、“孫です”と答えたら、彼が“ええー!!”と驚いて、“大学院の授業で出てきました”って。日本のバブル時代にこんなことがあったって、授業で教わるそうです」

 かように様々な形で後世まで語り継がれることになる出来事が起こったのは90年5月のこと。斉藤氏はまず、ニューヨークのクリスティーズのオークションでゴッホの「医師ガシェの肖像」を8250万ドル(約125億4000万円=当時)で落札。2日後には、サザビーズのオークションでルノワールの「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」を7810万ドル(約118億7100万円=同)で入手したのである。

■出身地に美術館を

 87年には安田火災がゴッホの「ひまわり」を58億円で購入して話題を呼んだが、斉藤氏の場合は個人での買い物で、しかも2点で244億円という途方もない金額。さらに翌年には、

「死んだら2枚の絵とともに焼いて欲しい」

 と発言、英仏を中心に批判の渦が巻き起こったのだ。

 了介氏が語る。

「祖父のあの発言は、絵が好きだという気持ちを表現しようとして軽口を言っただけだったのですが、誤解されて広がってしまった。絵を燃やすつもりは全くなかったと思いますし、祖父は本当に絵を愛していた。祖父と親交のあった平山郁夫先生も当時、“斉藤了英さんは絵の好きな方で、あの発言は全く真意ではない”と言ってくれたそうです」

 斉藤氏は平山氏の芸術活動を親身になってバックアップしていたといい、

「祖父の秘書のようなことをしていた方からこんな話を聞いたことがあります。“君のおじいちゃんには、平山先生が求めているからって、香港までラピスラズリを買いに行かされたことがあるよ”と。ラピスラズリとは、青の塗料のことです。こうした話からも分かる通り、祖父は財テクで名画を買い漁っていたわけではないのです」

 そう話す了介氏によると、斉藤氏はかの世界的画家、シャガールに直接会ったこともあるという。

「80年代のことだと思いますが、祖父と画廊オーナーと私の父でシャガールに会いにフランスの自宅まで行っているのです。その時、シャガールが祖父を見て、“あなたは私のお父さんと同じ目をしている”と言ったそうです。同じ瞳の色、という意味なのでしょうが、そう言われて、祖父はとても感動したといいます」

 当時、斉藤氏はシャガールの絵を相当数所有していた。そのことを知ったシャガール本人は、

「自分の作品はいろんな所に売られて散逸していると思っていたのに、かなりの数を祖父が集めていたということに感動し、祖父に“私の大好きな作品をそんなに集めてくれていたのか。ありがとう”と言ったそうです。それを聞いて、祖父は号泣、シャガールも号泣。横で見ていた私の父親がうろたえる、という状況だったと聞いています」(同)

 シャガール、ゴッホ、ルノワール……。斉藤氏はただ絵が好きだからという理由だけで世界的名画を買い集めていたわけではない、と了介氏は言う。

「祖父は、自分の出身地である静岡県富士市に美術館を作りたかったのです。あの2枚の絵を金看板にして、シャガールなども含めて一大美術館を作りたいという夢を持っていた。しかし、祖父はその夢を果たせぬまま、96年に他界し、その後、所有していた絵もほとんどが売却されてしまったと思います」

 もし「斉藤美術館」が実際に出来ていたら、後世の彼の評価は全く違うものになっていたかもしれない。

「特別ワイド 迷宮60年の最終判決」より

週刊新潮 2016年3月10日号掲載

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