[五輪エンブレム問題]「新委員会」船出の前に片付けたい「インチキ選考」仰天の真実

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 9月28日、五輪組織委は新たなエンブレムを選定するための「委員会」を立ち上げたが、ちょっと待て。その前にやるべきは、旧エンブレムの「インチキ選考」を調査することである。何しろそこには、不正と断ずべき、いくつもの仰天の真実が隠されているのだから。

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佐野研二郎氏が手掛け、パクリ疑惑が原因で白紙撤回された東京五輪のエンブレム

 佐野研二郎氏(43)が手掛けたものが白紙撤回されたのだから、すみやかに新たなエンブレムを選ばなければならないことは言うまでもない。その意味では、9月28日に五輪組織委員会が理事会を開き、プロ野球ソフトバンクの王貞治球団会長(75)らをメンバーとする新たな「エンブレム委員会」が立ち上げられたのは歓迎すべきことである。が、肝心の組織委内部にはどんよりとした空気が漂ったままだという。

「それは、組織委上層部に、今回のエンブレム問題を総括する気が全くないからです。特に、電通から来ている2人の責任が追及されないままになっているのは問題。2人については、一刻も早く組織委員会を去るべきだ、という怒りに近い声が強くあがっています」

 そう明かすのは、五輪組織委関係者である。

「確かに時間もないですから、過去に囚われず未来を見据えて行動することは大切です。が、本来、失敗があれば反省をして、その上で次に進むべきで、そういった過程が抜け落ちてしまっていることに憤りを覚えます。国民は内情を知らないわけですが、このままではまた同じ過ちを繰り返すことになるでしょう」

“電通から来ている2人”とは、組織委のマーケティング局長を務めている槙英俊氏と、組織委のクリエーティブディレクターである高崎卓馬氏のことを指す。

 本誌(「週刊新潮」)は9月17日号に、〈「エンブレム」審査を「佐野研」出来レースにした電通のワル〉というタイトルの記事を掲載したが、そこでお伝えしたのは、旧エンブレム決定の裏で暗躍した高崎氏の姿である。旧エンブレムは8人の審査委員によって選ばれたが、その人選を担当し、自らも審査委員の1人となったのが、高崎氏。応募があった104点の中から選ばれた佐野氏の作品には、高崎氏以外の審査委員に無断で2度の修正が加えられたが、その修正案を審査委員に報告する役目を負っていたのも、高崎氏だった――。以上が記事の要点だが、どうやら「電通のワル」は1人ではなかったようである。それが先に触れたマーケティング局長の槙氏なのだが、高崎、槙両氏がいかなる“ワル”であるかについては後に詳述するとして、まずは旧エンブレムの選考に応募して落選したデザイナーの声を聞いてみよう。

「私は7月24日のエンブレム発表の日に報道であのデザインを見た時、“これはルール違反じゃないか!”と腰を抜かしてしまいました。そのデザインに、明らかに日の丸をイメージしたと思しき赤い円が使用されていたからです」

 赤い円が使用されていたくらいで、なにゆえ腰を抜かすほど驚かなければならないのか。その答えは、コンペに応募したデザイナーだけが見ることのできる〈エンブレムデザイン制作諸条件〉と題する資料の中にある。そこには、次のような一文が含まれているのだ。

〈オリジナリティを持ち国際的に認識されているイメージ(例:各国国旗、国際機関シンボルマーク等)と混同されるようなデザインを含まないでください。(IOCの規定による)〉

 先のデザイナーが言う。

「この規定は、日本の国旗そのものはダメ、日の丸と混同されるようなものもダメ、と読めます。にもかかわらず佐野さんの作品には、明らかに日の丸をイメージしたデザインが含まれていたので驚愕しました」

■「特別待遇」

 つまり、佐野氏の作品は「パクリ」云々以前にIOCの規定に違反したNG作品だったのだ。しかも、

「“日の丸NG”については組織委は把握していましたが、審査委員には周知徹底されていなかったようです」(先の組織委関係者)

 エンブレムの制作諸条件を審査委員が知らされていなかったとは異常事態と言うほかないが、

「裏で絵を描いたのは高崎さんでしょう。彼は日の丸NGを審査委員には隠蔽する一方、佐野さんには“日の丸を使っていい”と言っていた可能性もある。彼の作品にだけ日の丸が入っていれば嫌でも目立ち、選ばれやすくなりますからね。IOCに対しては、“これはただの赤い円であって日の丸ではない”とでも強弁するつもりだったのでしょう」(先のデザイナー)

 この点、五輪組織委の広報部に聞いたところ、

〈佐野氏が大会エンブレムにデザインした「赤い円」は、見た人が「日本国旗と混同する」ようなデザインではないと考えられ、IOCからも「制作諸条件」には反していないと判断されました〉

 との回答を文書で寄せたが、あの赤い円は紛うかたなき日の丸である。何しろ、佐野氏本人がデザイン発表直後の会見でこう述べているのだから。

「日の丸のような赤い円が象徴的に見えるよう、そのほかはシンプルな色使いにすることなどを心がけた」

 これでは「IOC規定違反」を自ら声高らかに宣言しているようなものである、この点に関しては、高崎氏との事前の“打ち合わせ”が不足していたのだろうか。

 高崎氏は佐野氏のデザインが選ばれるよう、最初から誘導していたのではないか――。先のデザイナーはそんな疑念を抱いているが、事実、募集の段階から佐野氏は「特別待遇」だった。

「9月28日に組織委が行った会見でも少し触れていましたが、組織委は佐野さんを含む8人のデザイナーに事前にコンペヘの“参加要請文書”を送っていた。つまり、佐野さんはコンペに招待されていたわけです。文書を送る8人の人選を行ったのは、電通から来ている槙氏と高崎氏です」(先の組織委関係者)

 その「ご招待デザイナー」の顔ぶれについては、

「8人のうち、若手の部類に入るデザイナーは佐野さんともう1人だけ。残り6人は実力も実績も折り紙つきなので不審ではないですが、佐野さんともう1人の若手については違和感がありますね。しかも、その2人は業界内で高崎さんと親しいと言われている。人選に恣意的なものを感じます」(デザイン業界関係者)

 エンブレムの審査は2日に亘って行われ、1日目は104点の応募作品をまず37作品に。そこからさらに14作品まで絞り込んだ。そして2日目、最終的に佐野氏の作品を当選作とし、それ以外に2つの入選作を選んだのだが、

「選考の過程で、高崎さんの後輩の電通社員は“招待した人は少なくとも37作品の段階までは残すべき”と言っていた」

 と、先の組織委関係者。

「その発言に対しては“アンフェアだ”として反対する意見も相次ぎ、1日目の選考で残った14作品のうち、ご招待デザイナーの作品は5つ。そのうちの1つが佐野さんの作品で、最終的に当選作となったわけですが、入選作2つもご招待デザイナーのものでした」

 組織委が佐野氏に送った「参加要請文書」には、

〈このお手紙は9月12日(金)の公募開始より前にお届けしております。(中略)従いまして12日(金)の発表前まではご内密にお願いいたします〉

 と記されており、審査委員代表の永井一正氏と高崎氏の直筆の署名が入っている。で、この「ご内密に」との思わせぶりな文言の入った“招待状”を受け取った8人のうちの1人である佐野氏が当選し、2人が入選を果たした。通常のルートで応募したデザイナーにしてみれば、「バカにするな」という話である。

■大量の展開例

 では、かくも不透明な選考の過程で、槙氏と高崎氏はどのように暗躍したのか。

「審査が始まる前、高崎氏は審査委員に対して、“展開力を重視するように”という旨の発言をしていました。展開力というのは、そのエンブレムデザインが実際に会場やグッズなどでどのように展開出来るのか、デザインの応用性のことです」(先の組織委関係者)

 コンペに応募して落選したデザイナー(前出)は、

「佐野さんのデザインに決まった後の会見で、選ばれた理由として組織委が展開力と言っているのを聞いて驚きましたよ。何しろ、〈制作諸条件〉の提出物の欄には、大会デザイン展開アイデアは自由提出で良い、と書いてあるのです。自由提出のものがそこまで重視されるとは思わず、私は数例しか出しませんでした」

 と話すが、さるベテランデザイナーはこう語る。

「佐野さんが、コンペの際に大量の展開例を出すのはこの業界では有名。今回のエンブレムの選考前にも、あるデザイナーが“佐野のバカは100枚くらいパネル出してくるんじゃないか”と言っていました」

 実際、佐野氏は50以上の展開例を提出しており、

「その数は他の人を圧倒していました。そして、それが審査結果を大きく左右したのは間違いありません」(先の組織委関係者)

■見事な連携プレー

 不審な点はまだある。

 審査1日目の段階で14作品に絞られたことはすでに触れたが、

「組織委の弁護士などがその14作品の商標や著作権の問題をチェックしたところ、約半数の作品がリスクを抱えていることが分かった。その中に、佐野氏の作品も含まれていました」

 と、先の組織委関係者。

「それを受け、高崎氏はいくつかの作品についてはリスクがあることを審査委員に伝えたのに、佐野さんの作品に関しては何の指摘もしなかったのです。その結果、佐野さんの作品は最終審査に残ることが出来た」

 槙氏と高崎氏が見事な連携プレーを見せたのは、その最終審査においてである。

「最終審査に残った4作品のうち、1つは早々に消え、事実上、3作品の中から当選作を選ぶことになりました。その議論には2時間程度を要しましたが、高崎氏は、“他の作品に比べて祝祭感がある”などと言って終始一貫して佐野氏の作品を推していました」(同)

 一方、重鎮クラスの審査委員からは、結果的に2位や3位になった作品を推す声があがっていた。それゆえ議論が長引いたのだが、そんな場の雰囲気を変えるため、高崎氏は奇手を放つ。

「実に絶妙のタイミングで、高崎氏は審査に同席していた槙氏に意見を求めたのです。マーケティング局長の立場からみてどう思うか、と。水を向けられた槙氏は審査委員でもないのに佐野氏の作品を評価し、“これは企業ロゴと並べたりというような使い方が容易で、商品に応用しやすい”といった旨の発言をした。それもあって、議論は佐野案当選に向かって収束していったのです」(同)

 佐野氏の「原案」を修正することにこだわったのも、槙、高崎両氏だったが、エンブレムが発表された後には、両氏と佐野氏の「癒着」を感じざるを得ない、次のような出来事もあったという。

「エンブレムの著作権は組織委が持つので、ポスターや名刺などに自由にロゴを使うことが出来る。しかも、組織委にはお抱えのデザイナーがおり、その方に頼めば自前でポスターのデザインは出来てしまう。ところが、槙氏はそういったポスターなどについても、“佐野さんを通せ”と言う。佐野さんにポスターのデザインを頼むと、デザイン料を支払わなければならなくなるにもかかわらず、です」(同)

 これが「黒いエンブレム騒動」の一部始終である。

 スポーツジャーナリストの谷口源太郎氏の話。

「今回のエンブレム問題で、槙氏と高崎氏が責任を問われなければならないことは言うまでもありませんが、それより、組織委の会長である森元首相が率先して責任をとらない限り、組織の体質は変わらない」

 老骨に鞭打って頑張って欲しいと考えている国民は皆無だから、安心して「退場」されたし。

週刊新潮 2015年10月8日号掲載

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