「このまま楽にしてあげたい……」犯罪とは無縁だった普通の人たちが介護殺人を犯すまで

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取材にあたった毎日新聞社デスクが気付いた加害者の共通点とは――。(※写真はイメージ)

「介護殺人が各地で起きていますよね。実際の事件を追いかけて、在宅介護の問題を考える企画はできませんか」――シリーズ企画を考えていた毎日新聞大阪社会部取材班の一人から、デスクに提案があった。「行ける」と判断したデスクは、一つだけ条件を出した。「介護殺人の加害者を取材すること」。彼らの告白には多くの人が耳を傾けるだろうし、介護社会の難題を乗り越えるヒントが含まれているに違いない……。

 しかし、家族による在宅での介護苦、とはいえ殺人事件で有罪を受けた人物が取材に応じるのか、そもそも多くは事件現場となった自宅にそのまま住み続けているのか。迷いと不安のまま始まった取材を踏まえ、約半年にわたって掲載されたシリーズ連載は大きな話題を呼んだ。同シリーズは11月に追加取材を交え単行本『介護殺人 追いつめられた家族の告白』(新潮社)として出版される。多くの事例の取材にあたった毎日新聞社デスクが気付いた加害者の共通点とは――。

■介護の果てに……

 取材班はまず、2010~2014年の5年間に首都圏と近畿で起きた介護殺人のうち、裁判記録を確認できたり、関係者にあたることができたりした44件をリストアップした。例えば次のような事件だ。

●2010年、認知症と脳梗塞の後遺症で寝たきりの母親(80)を次男(52)が首を絞めて殺害した(東京)。
 母親は認知症発症後、2002年に脳梗塞を患い、寝たきりになる。胃ろうによる食事補給、痰の吸引、床ずれを防ぐための寝返りなどの世話を続けるため、次男は仕事を辞めて介護に専念した。しかし、母親の症状が悪化するとともに、次男は限界を感じ始めた。看護師に相談して母親をショートステイで施設に預けることにした。しかし、その前日に事件は起きた。マッサージをしている時の母親の気持ちよさそうな顔を見て、次男は「このまま楽にしてあげたい」と、首に手をかけた。

●2012年、認知症の妻(71)を夫(75)が首を絞めて殺害(兵庫)。
 2009年ごろから妻に認知症の症状が現れる。2011年に認知症と診断されると、「お母ちゃんを守るのはわししかおらん」と夫は在宅介護を開始。しかし、妻の症状は進行して昼夜が逆転し、夜間に大声で騒いだ。妻をなだめるため、夫は約2カ月間、毎晩のように妻を車に乗せて街を走り回った。そしてある夜、夫を認識できない妻から罵声をあびせられ、夫はタオルで首を絞めた。「もう、これで終わりにしよう」。自らも睡眠薬を飲んで自殺を図った。

●2014年、交通事故で寝たきりになった母親(63)を11年間介護した娘(46)が刺殺(大阪)。
 2001年に交通事故に遭い、母は意思疎通も困難な寝たきりになる。退院後、娘は仕事を辞めて自宅介護を続け、午前4時に起きて胃ろうの食事補給、痰の吸引などの介護をし、夜間も床ずれができないようにほぼ1時間ごとに起きて寝返りを打たせる生活を11年間続けた。やがて自分も不調を感じて将来を悲観し、自宅にあった包丁で母親を殺害。自身も腹部を数回刺すが死にきれなかった。裁判では事件当時、うつ病を発症していたことが認められた。

■加害者に共通する「不眠」

 こうした介護殺人はなぜ全国各地で次々と起きるのだろうか。いくつもの事件の背景には共通する事情が潜んでいるのではないだろうか。取材班はリストアップした事件の記録や関係者への取材を重ねて分析作業を進めた。
「判決などの裁判記録を集め、弁護人や捜査関係者への取材メモ、現場や当事者の周辺の聞き込み取材の結果などを含めて、取材班のメンバーで議論を重ねて分析を進めました。しかし、集まった資料は膨大な量に上り、分析は難航しました」
 こう語るのは取材班デスクだった前田幹夫氏(現・毎日新聞岡山支局長)。

「ある日の深夜、会社で裁判記録などを読み返していました。すると、いくつかの事件の資料に共通して出てくる言葉に気付いたのです。それは、加害者の『不眠』です。翌日から手分けして、『不眠』という要素がないか44件の資料をめくり続けました。すると、半数近い20件の加害者が介護によって『不眠』に陥っていたことが裁判記録などからわかったのです」

 さらに、この20件のうち9件の加害者は精神鑑定などで事件当時、うつ状態や適応障害だったと判断されていたという。
「介護殺人の背景には、介護による不眠が大きく影響しているのではないか。私たちの分析結果について、専門家に照会したところ、複数の精神科医が『深刻な不眠が続くと、うつ病などにかかりやすい。介護殺人の引き金になっている可能性は高い』と補足してくれました」
こうした分析結果は企画報道の最初の記事として、2015年12月7日付の毎日新聞朝刊で大きく報道された。

 家族の命に手をかけてしまうほどの精神状態に陥る可能性がある「不眠」。そこまでの凄絶な介護生活を続ける彼らを救う制度や仕組みは整っていないのだろうか。介護殺人の詳しい分析結果、そして介護者の支援を巡る現状も含めて本書で詳しくレポートしている。

 取材班に介護経験者はいないという。
「実際にこのテーマに取り組むまで、私たち取材班のメンバーは家族を介護するということについて具体的な想像をしたことがありませんでした。でも、今回の取材を通して『介護生活は突然やってくるものだ』ということが痛いほどわかりました。その時になって、初めて重い現実に向き合うことになるのです。本書に登場する介護殺人の加害者も同じでした。自分が介護に明け暮れる生活を送るなどとは、もともとは誰も思い描いていなかったのです。そして、犯罪とは無縁だった普通の人たちが介護という尊い行為を懸命に続けたことで、いつの間にか追いつめられて、一番大切な家族の命を奪ってしまう。そんな悲劇が今も繰り返されているのです」

 新聞記者とはいえ、そうした人たちに当時を思い起こしてもらい、つらい心情を語ってもらうことがきつい作業だったことは想像に難くない。前田氏は「だからこそ、私たちの企画報道、それをまとめた本書『介護殺人 追いつめられた家族の告白』が在宅介護をめぐる悲劇、そして介護者支援の重要性に、より関心が集まるきっかけになればと願っています」としめくくる。

デイリー新潮編集部

2016年11月24日掲載

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