娘が語る「故・赤塚不二夫」2億円を使い込んだ経理担当者を「仲間」だとかばう人情家

エンタメ 文芸・マンガ

  • ブックマーク

Advertisement

「天才というものは源泉の感情だ。そこまで掘り当てた人が天才だ――」文豪・三島由紀夫の言葉通りなら、故・赤塚不二夫は紛れもなく源泉に辿り着いた1人である。『天才バカボン』『おそ松くん』など多くのヒット作を世に送り出した不世出の漫画家は、私生活もギャグに溢れていた。このほど、一人娘がおバカなパパの思い出を語った。

 ***

「夫が父みたいな人だったら? うーん、やはり無理ですかねえ。親子なら良いけど、夫にはねえ……」

 と、笑うのは赤塚不二夫の娘・りえ子さん(51)だ。

「2008年の夏、私は憔悴し切っていました。7月30日に母の登茂子が、3日後の8月2日に父が亡くなったからです。しばらく両親のお骨の前で放心状態でしたが、ふと近くにあった父の本を手にしたんです」

 そこには、1970年代に赤塚が描いた読み切り漫画、「鉄腕アトムなのだ!!」が掲載されていたという。

「気がつくともう、あまりのバカバカしさにお腹の底から声をあげて笑っていました。その瞬間、私は“ああ、パパはこれをしたかったんだな”って気づいたんです。笑うって凄く気持ちが良い。両親の死は私の人生で最も悲しい出来事でしたが、父がくれた笑いによって、私は一時、深い悲しみから解放されたのです」

 バカボンのパパの「これでいいのだ!」、イヤミの「シェー!」……。常識にとらわれないオリジナリティに富んだギャグが生まれた背景には、赤塚が過ごした苛烈な少年時代があるという。

「満州生まれの父は、戦中戦後に病気で2人の妹を相次いで亡くし、自身も親戚の家に預けられました。貧しく厳しい生活の中、父は笑うことでエネルギーを得られたのでしょう。漫画家になって、常に人々を笑わせようとしたのはそのせいだと思います」

 赤塚はどこまでも自由に、そして愛情たっぷりに漫画を描き続けたという。

「だからこそ、読者は自由に作品を楽しめる。ナンセンス漫画としても、哲学的にも読むことができるんです。バカボンのパパの話を政治的なメッセージと受け止める人もいるでしょう」

■これでいいのだ!

 赤塚の信条の一つには、“金は人と楽しむためにある”というものがあった。

「そのせいか、父は本当にお金に無頓着でした。宝くじの1等賞金が1000万円だった74年に、経理担当者が事務所のお金を使い込むなど2億円の使途不明金が発覚したんです。ところが父は“仲間なんだから良いじゃないか”と許そうとした。その後、彼は逮捕され、私たちは裁判を起こしました。結局、戻ってきたのは600万円だけでしたが、父は“俺が稼いで取り戻す!”と、もの凄い勢いで仕事を始めて、数年ほどで取り返してしまいました」

 それから12年後、赤塚は2度目の結婚をしている。

「84年頃、父はアルコール依存症に苦しんでいたのですが、その父を支えてくれた鈴木眞知子さんがお相手でした。彼女と私の母も親しくなり、2人に再婚を勧めたのも私の母。そのため母は2人の婚姻届の証人欄に署名をし、父の求めに応じて記者会見にも同席したんです。前妻が新妻の隣にいるんですから、報道陣はビックリしていました」

 どこまでも人を信じ、サービス精神に富んだ赤塚は、晩年に“最後に辻褄が合ってりゃ、何をやっても良いんだよ”と話したという。

「バカボンのパパの“これでいいのだ!”というセリフの真意だったかもしれません。あるがままの自分を肯定するということですね」

 それこそが、天才ギャグ漫画家・赤塚不二夫の生き方だったのである。

「ワイド特集 淑女たちの疾風怒濤」より

週刊新潮 2016年5月5・12日ゴールデンウイーク特大号掲載

メールアドレス

利用規約を必ず確認の上、登録ボタンを押してください。