携帯電話に届いた「ありがとう」――被災地で起こった「霊体験」 死者と会いたいと願う遺族たち

国内 社会

  • ブックマーク

Advertisement

 震災をめぐる異色のノンフィクションが話題を呼んでいる。ノンフィクション作家の奥野修司氏が文芸誌「新潮」4月号に発表した、被災地で起こった「霊体験」を取材した記事だ。奥野氏は『ねじれた絆―赤ちゃん取り違え事件の十七年』『ナツコ―沖縄密貿易の女王』など、長期間の緻密な取材で知られる。彼が被災地で出会った遺族たちの声をいくつかご紹介しよう。

妻と次女は火葬後にあらわれた

 宮城県南部で被災したある男性は、妻と二歳に満たない次女を津波で一度に喪った。震災から十日あまりで遺体がみつかり、ようやく火葬ができた夜のこと。「夜中に目がさめると目の前に二人がいたんです。マスクをしてしゃがんだ妻に寄り添うように、娘が僕に手を振っていました」。目を覚ました男性はそれが夢だと気づいたが、目を閉じても二人の映像が見え続け、男性は泣きながら「おいで、おいで」と声をかけたという。その後も亡き妻は夢にあらわれ、今年の正月には、「いまは何もしてあげられないよ」「でも信頼している」「急がないから」「待ってる」と夫に語りかけた――。

遺体からあらわれた青い玉

 気仙沼で老父を喪った女性は父の死を知り、駆けつけた安置所で、数多くの遺体の腹部から「ピンポン玉のような大きさの青い玉」が浮かんでいるのを見た。「一人の遺体に青い玉は一つ」「こんなにたくさんあるんだから、お父さん、寂しくないね」と思ったという――。

携帯電話に届いた「ありがとう」

 陸前高田で働く女性は、震災から数ヶ月後にようやく兄の遺体と対面し、その翌日、市役所で死亡届を書いていた。まさにその時、彼女の携帯電話にメールが届いた。内容は一言だけ、「ありがとう」。送信元は亡き兄の携帯(壊れて使えない状態)だったという。送信日は被災前。なぜこのようなことが――。

突然動き出したおもちゃの車

 石巻で三歳の息子を失った女性は、震災から二年経ち、喪失感が頂点に達していた。そんな頃、仏壇に声をかけた瞬間、息子が大好きだったおもちゃの車が突然動き出した。スイッチの付いた電動式のおもちゃなので、勝手に動くことはありえない。その後も、「もう一回でいいから動かして見せて」と願った瞬間、車はまた動いたという。そのとき、女性の胸に押し寄せたのは、「康ちゃん、ありがとう」「そうだ、私も笑わなきゃだめだ、頑張らなきゃだめだ」という思いだった――。

被災した二割の人が霊を見た

 これらは著者が毎月のように被災地に通い、聞き取った遺族たちの声のほんの一部である。著者が「霊体験」に関心を持ったきっかけは、在宅緩和ケアのパイオニアとして宮城県で二千人以上を看取った岡部健医師(故人)を取材する過程のことだった。医療の現場で自身の患者の約4割が「お迎え」を体験することを知る岡部医師は、著者に「お迎えと同じだよ。きちんと聞き取りをしたほうがいいんだがな」「被災した人の二割が(霊を)見たという話もあるぜ。二割といやあ、大変な数だ」と提案した。当初はためらう筆者だったが、癌で余命まもない岡部医師の言葉に背中を押され、「死者と逢いたいと願う生者の物語」を追う旅に出たのだった。長期の取材を経て、「最愛の人を失ったとき、遺された人の悲しみを癒やすのは、その人にとって『納得できる物語』である」「亡くなったあの人と再会することで、断ち切られた物語は、生者によってあらたな物語として紡ぎ直される」と著者は思うに至る。人間の精神の崇高さを伝えてくれる著者の旅の続報が待たれる。

 奥野修司氏の「死者と生きる――被災地の霊体験」は文芸誌「新潮」4月号に全文掲載されています。

デイリー新潮編集部

2016年3月11日掲載

メールアドレス

利用規約を必ず確認の上、登録ボタンを押してください。