島倉千代子「13億円借金」整理に剛腕を振るったカリスマ占い師

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 昭和の大歌手、島倉千代子さんが亡くなったのは10年前、2013年の11月8日である。

 奇しくもこの8年後の同じ日には、彼女の人生に大きな影響を与えた女性も亡くなっている。一時はカリスマ的人気を誇った人気占い師の細木数子さんだ。

 19歳の時には「東京だヨおっ母さん」でミリオン歌手となった島倉さんと、元は銀座のクラブママだった細木さんとの運命はどのように交差したのか。そこには島倉さんが抱えた巨額の借金の存在があった。

 島倉さんの実弟で、一時期は所属事務所の社長でもあった島倉征夫さんが語った貴重なテキストをご紹介しよう。

(週刊新潮 2016年2月25日号掲載記事をもとに再構成しました)

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阪神のスター選手と結婚

 島倉千代子さんほどのスターが、なにゆえ多額の借金を頻繁に抱え込んだのか。その謎を解くには、彼女の性格を知る必要がある。

「千代子は8人きょうだいの6番目。1954年に芸能界に入ったときは16歳でしたから、世間知らずで駆け引きを知らない。真っ白すぎて、好きになった人に簡単に染まってしまう」

 そう語る征夫さんによれば、最初の借金をこしらえたのは、阪神の強打者だった藤本勝巳との結婚がきっかけだったという。

「藤本さんの前には国鉄の町田行彦選手や、西鉄の稲尾和久投手とも付き合っていました。藤本さんと結婚したのは63年12月。私は千代子のマネージャーでしたが、彼女は父の喪が明けていないのに年内に結婚すると言って聞かず、家族と揉めたんです。それでも母は持参金として1000万円を渡しましたが、預金はすぐ解約され、藤本さんの背広屋などへの借金返済に充てられた。姑らのいじめにも遭い、1週間かそこらで愛は冷めたようです」

4000万円を出資

 だが、すぐには離婚できなかった。藤本は67年に引退し、大阪の道頓堀にクラブを開店したが、その開業資金4000万円はお千代さんが工面したという。

「彼女の大ファンの銀行頭取が“このお金で縁を切りなさい”と、4000万円を貸してくれたのです。それでも藤本さんは離婚届に判を押さずストーカー行為を繰り返した。最後は“もう4000万円くれ”という要求を受け入れて決着し、再び頭取に用立ててもらいました。この8000万円が彼女の初借金でした」

 離婚協議に疲れた彼女が頼ったのは、眼科医の男性だった。

13億円に膨らんだ借金

「62年、ファンが投げた紙テープの芯が目に当たって、失明危機と言われたときに治療した人物で、74年には千代子と恋仲になっていた。彼は新しいプロダクションを作って、私にクビを宣告したんですが、芸能界に関してはド素人。コマ劇場などの公演の売上げはスジが悪い連中にかすめ取られ、新曲のレコードを宣伝用に大量に購入するなどし、3億円の借金を作った。しかも千代子の実印を押して裏金融から借りていた。結局、借金は13億円にまで膨らんでしまったんです」

 その後、男性は蒸発。その頃、島倉千代子は政治ブローカーの安部正明宅に居候していた。
 
「安部邸で小金井一家の堀尾昌志総長が麻雀をしていたとき、コマ劇場で千代子が債権者に囲まれていると伝えられた。安部さんが、新宿を縄張りにしている堀尾さんに“誰にも面会させるな”と指示を出すと、堀尾さんは“カタギじゃない俺が行くとコマ劇場に迷惑がかかるからウチのにやらせよう”と。“ウチの”とは彼の内縁の妻の細木でした」

 ここで細木さんとの接点が生まれたのだ。このとき、征夫さんもコマ劇場に向かうと、

「楽屋のソファーに門番のような女性がドカッと座っていて、“お千代のとこに弟いたのかい。あんたが来ても何の役にも立ちやしない”と言われてしまった」

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