「会談拒否」騒動も予定調和? 翁長沖縄県知事の思惑を読み解く 篠原章(評論家)

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 昨年末来、翁長雄志沖縄県知事が、安倍首相や菅官房長官に面会を求めるも拒否されたというニュースが報じられている。この「面会拒否騒動」をどう読むべきか。著書『沖縄の不都合な真実』(共著者・大久保潤)が発売直後から沖縄県内の書店でベストセラーとなっている篠原章氏が寄稿してくれた。以下は、篠原氏による「面会拒否騒動の読み方」である。

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■会談の目的は何だったのか?

 昨年11月に当選した翁長知事は、12月下旬と1月初旬の二回にわたって上京し、安倍首相や菅官房長官との会談を要望したが、いずれも実現しなかった。マスコミ報道では「安倍政権の嫌がらせだ」「沖縄軽視・沖縄差別だ」という批判的な記事が目立つ。翁長知事が政府に対して、県民の移設反対という声を届け、辺野古埋立工事の「強行」に抗議しようとしているのに、政府の側はその機会もつくらせない。とんでもない話だ、というわけだ。

「理解されているようで全然理解されていない」と思うのは、翁長知事が要望した会談の目的である。表向きの目的は「就任の挨拶」だが、時期的にいって最大の目的はずばり平成27年度沖縄振興予算の折衝だ。1月初めの段階での概算要求額は3794億円。平成26年度予算は3501億円。政府当局は、当初「満額回答」に前向きだったが、その後、26年度予算の1割減という方針が伝えられた。県当局のある関係者は「沖縄にとって振興予算の減額は屈辱だ」と怒っていたが、翁長知事にとって最大の仕事は、この「屈辱的」な減額をやめさせること、あわよくば増額させることだった。一部で伝えられるように「辺野古移設反対の意思表明が目的だった」ということなど、まずありえないと筆者は見ている。

 沖縄振興予算は、戦後27年間にわたり米軍統治下にあった沖縄県に対して、インフラや諸制度の整備の遅れを取り戻すために、他府県より手厚く政府補助金を配分するための仕組みとして昭和47年にスタートした。今日まで約11兆円の振興資金が投じられている。インフラも制度もとっくに本土並みの水準を達成しているが、それがまだ続いているのは、事実上、沖縄の基地負担に配慮してのことである。

 大田昌秀知事時代(1990~98年在任)以降、毎年予算編成の時期になると、基地反対運動が高揚して「政府vs.沖縄」という構図が先鋭化する傾向があり、政府がその懐柔のために振興予算の増額で対応することも珍しくなかった。革新の側の反対運動と保守の側の振興予算の要求は、まるで表裏一体であるかのように進められ、政府から満足できる回答額を引き出すと、次の予算編成の時期まで反対運動が鎮静化するという傾向がはっきり読み取れる時期もあった。

■一人二役を務める知事

 ところが、今回は少々勝手が違った。沖縄における「保革」の構図に変化が生じたのである。昨年11月の知事選挙で、辺野古移設を事実上認めた保守本流の仲井眞弘多前知事が敗れた。同じく保守本流の翁長前那覇市長が、「辺野古移設反対」を掲げることによって革新勢力を糾合し、大差で当選を果たしたからである。従来は政府に対して「基地反対」という圧力をかけるのは革新の役割、その圧力を背景に政府から振興資金を引き出すのは保守の役割という「分業関係」があったが、先の知事選でこの関係が破綻し、翁長知事は、辺野古移設反対を主張しながら、政府に振興資金を要求するという一人二役を演じなければならなくなったのである。

 翁長知事によるこの「一人二役」が、今回の「騒動」を解く鍵だ。

 知事と首相などとの会談が実現しなかった、という事態を額面通り受けとれば、辺野古移設反対を唱える知事に対する「嫌がらせ」ととれなくはない。安倍首相や菅官房長官にしてみれば、もともと自民党員だった知事は裏切り者である。自分たちが一生懸命テコ入れした仲井眞氏が敗れたのだから、知事の当選を祝福したくはないという気持ちがあったかもしれない。

 だが、当の翁長知事の表情は、会談を拒否された後も意外なほどサバサバしていた。怒りや不快感も示さなかったが、意気消沈もしていないように見えた。沖縄紙は、知事を悲劇の主人公のように書きたてたが、知事はあくまでも冷静に振る舞った。

 そもそも知事が、事前に首相のアポも取らず「就任の挨拶」に行くことなどありうるのだろうか。アポが取れなければ普通は上京しない。が、翁長知事はアポなしでも上京した。恥をかきにいったのも同然である。それも二回にわたって恥をかいている。ということは、恥をかいてまで上京することに意味があったということだ。翁長知事の思惑がどこにあろうが、これは政治的パフォーマンスだと受け取られても仕方がないだろう。

■会談拒否は予定調和

 その後の経緯を見ると、翁長知事のパフォーマンスの意味が明らかになってくる。

 翁長知事の二回目の上京から1週間ほど経った1月14日、27年度の沖縄振興予算が閣議決定された。蓋を開けてみれば本年度比161億減(4.7%減)の3340億円。当初予想された1割減は避けることができた。知事が「会談拒否」によって恥をかかされたおかげで、安倍政権の知事に対する実質的な「ペナルティ」は思いの外軽くなったのである。

 約1年前の2013年12月25日、安倍首相は前任の仲井眞知事に対して「平成33年度まで毎年3000億円台の沖縄振興予算を確保する」と約束しているのだから、3000億円台の振興予算は当初から保証されていた。つまり、政府の側が減額するとしても限界はあった。が、安倍政権にとっての翁長知事の「罪状」からすれば、161億円減というペナルティは異例の「軽さ」だったといっていい。例年少なくとも数百億に上る不用額や翌年度繰越額が発生する振興予算だから、それを考えれば減額の打撃は実質的にゼロに等しい。いってみれば、翁長知事は恥をかくことと引き換えに実をとることができたのである。

 辺野古移設反対運動の旗振り役としての翁長知事はたしかに恥をかかされたが、同時に県内外の支援者からは激励と同情を集めることができた。他方、振興予算の折衝役としての翁長知事は、予算削減の極小化という成果を挙げることができた。

 この結果を見ると、会談拒否は予定調和だったとしか思えないのだ。「移設反対」の体面を保ちながら振興資金を確保する方法は、これ以外になかったのではないか。会談を拒否されることが、翁長知事の「一人二役」にとっては不可欠な演出だったということだ。そうだとすれば、これは一人芝居などではない。相手役たる政府関係者が承知していなければできない芝居だろう。政府にとっても、翁長知事に恥をかかせることで体面を保ちながら、振興予算に手をつけないことで沖縄に一定の安心感を与えることができる。「会談拒否」は、両者が納得した上での「アメとムチ」だった可能性がきわめて高い。

■翁長知事の「二枚舌」

 翁長知事一流の演出はまだある。知事は、振興予算が閣議決定された1月14日に首相官邸を訪れ、杉田和博官房副長官に対して「辺野古移設に反対する意向を伝えた」と沖縄紙は報道している。ところが、全国紙(2月7日付産経新聞)によれば、「辺野古移設反対」という意向は伝えていないという。それによれば、知事が官房副長官に伝えたのは「普天間基地の5年以内の運用停止」と「同基地の県外移設」だけである。これが真相だとすれば、知事は「二枚舌」のそしりを免れない。

 その後いったん沖縄に戻った翁長知事は、16日に再び上京して内閣府で山口俊一沖縄担当相と会談、2015年度沖縄振興予算案の決定に謝意を伝えたというが、この席では辺野古移設問題にいっさい触れなかったという。仮に「辺野古移設反対を官房副長官に伝えた」という沖縄紙の報道が正しいとしても、辺野古移設問題について「反対」の意思を伝えた相手は事務方の副長官、振興予算について「謝意」を表明した相手は大臣。知事にとってどちらが優先事項か歴然としている。

 翁長知事が、辺野古移設問題について今後どのように対応するか注目されているが、以上のような経緯を見るかぎり、県民や国民の信頼に足る対応ができるかどうか、はなはだ疑問である。翁長知事は、辺野古埋立を承認した仲井眞前知事を「県民の信頼を裏切った」と激しく非難して当選したが、翁長知事の言動も問われてしかるべきだろう。

 沖縄県は、目下第三者委員会を設置して、仲井眞前知事の下した辺野古埋立承認の決定について、翁長知事が取り消しまたは撤回できるような瑕疵があったかどうかを検証させている。同委員会の結論が「瑕疵があった」となれば、翁長知事が承認を撤回・取り消しする可能性も無しとはしないが、その場合はほぼ確実に国から訴訟を起こされ、十中八九、国が勝訴するだろう。同委員会が「瑕疵はなかった」と結論すれば、翁長知事は「断腸の思いだが、埋立を止める手立てがない」といいだすだろう。

 いずれにせよ、辺野古埋立はこのまま継続される。政府はすっかり悪者扱いされるが、それさえ覚悟すれば、辺野古移設の作業は粛々と進む。翁長知事は、今後も沖縄県内では「辺野古移設反対」を声高に唱えるだろうが、政府は知事の本気度をもはや見極めている。よほどのことがないかぎり、知事が決定的な阻止行動に訴える局面は生じないと見てよいだろう。

 辺野古移設が着々と進む一方で、今後も基地反対運動と振興資金獲得運動は絶妙のバランスで同時進行され、知事による顔の使い分けも、予算が確保できれば知事が政府に謝意を述べに出かける習慣も、そのまま継続されるだろう。基地反対と基地受け入れを両立させてきた沖縄の政治的社会的構造は、これからもまったく変わらないだろう。問題は、翁長知事が一人二役を務めることに疲れて果ててしまった場合、あるいは知事の代役が見つからない場合などに生ずるが、それはまだ何年も先のことである。

 こうした茶番劇を終わらせるための処方箋もあるが、それについては小著『沖縄の不都合な真実』をぜひご高覧いただきたい。

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篠原章(シノハラ・アキラ)
1956(昭和31)年生まれ。大学教員を経て評論家。経済学博士(成城大学)。共編著に『ハイサイ沖縄読本』『沖縄ナンクル読本』等。

デイリー新潮編集部

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