がんに打ち克った「清水国明」の後半生

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「退院後、心底やりたいこと」を決めて、がんとのたたかいを乗り切ったのが、タレントの清水国明さん(64)だ。その中身を聞くと、

「その1が鈴鹿サーキットを借り切ってバイクで走る。その2が、ボートを借りて琵琶湖で釣りをする。その3が森本毅郎さん、笑福亭笑瓶さんとゴルフをする。で、最後が妻とセックスする、です。どれも何月何日何時、どこでやるかまで具体的に決めました。ゴルフ場、ホテルなど予約が必要なものも全部自分がとったのです」

タレントの清水国明さん

 その場所の匂い、触れたときの感覚など、細かいところまで想像するのだとして、次のように続ける。

「だからね、妻とのエッチを思い浮かべてひとりで……。ホンマね、それができたら、力が湧いてくるんです。死にたくないというより、生きるゾという気持ちかな」

 ところで、がんが見つかったのは09年、58歳のときのこと。知人がクリニックをオープンするというので、受診したところ、胆管と膵管が合流する十二指腸乳頭部にポリープが発見されたのだ。内視鏡で切除した組織を調べると、悪性だった。

「驚きましたよ。でもね、ラッキーとも思った」

 まず、それまで検診など受けてこなかったのに偶然受けて見つかったこと。また、手術すれば5年生存率が50%はあるということ。

「もう一つは、僕が全面的にお任せしますと言うと、担当の三澤健之先生(東京慈恵会医科大附属病院)が、“いやいや、それでは困る。患者さんに治すぞ、生きるぞという気力がないと、いくら手術が成功しても治らない”と言うんです。なるほどと。こんなにいい先生に出会えたこともラッキー。セカンドオピニオンも聞かず、手術をお願いしました」

 7時間の手術を無事終え、退院後、前記の目標はすべて実行した。ゴルフはうまい具合に力が抜けたからか、ハーフで39という好成績。森本毅郎さんが「仮病だろ。傷口って言っても特殊メイクだろっ」と悔しがるほどだった。

 その後も、釣り、登山、描画、高齢者とのゴルフコンペなど、悠々自適な日々を送っていたが、ふと疑問が頭をよぎった。

〈ラッキーで命拾いしたのに、もっとやるべきことがあるんじゃないか〉

 そんなとき、東日本大震災がおこった。

「これだと思いました。ここで働くために俺は生かされたんだって」

 大型バス2台で支援物資を被災地に運搬。さらに自身が山梨県河口湖で運営するアウトドアパークに、被災地の子どもを泊まらせるボランティア活動を始めた。遊ぶ場所が少ない避難所と違って、彼らの表情が生き生きし始める。各方面から支援を受けつつ、のべ約6000泊分の人を受け入れた。

 それを聞いた主治医の三澤氏は、こう喜んだ。

「1人の芸能人を助けたことで多くの人が助かった。医者冥利に尽きる」

 さらに昨年は、瀬戸内海の無人島に「ありが島」というキャンプ場をオープンし、子どもたちが安心して海のアウトドアができる場を作った。清水さんは振り返る。

「がんがきっかけで生き方が変わりましたね。自分の命を何かの役に立てたいと考えるようになったから」

「特別読物 がんに打ち克った5人の著名人の後半生」より

清水国明
1950年福井県生まれ。フォーク・デュオ「あのねのね」でデビュー。目下、『噂の!東京マガジン』などのテレビや執筆などで幅広く活躍中。

西所正道(にしどころ・まさみち) 1961年奈良県生まれ。著書に『そのツラさは、病気です』、近著に、がんを契機に地獄絵に着手した画家を描いた『絵描き 中島潔 地獄絵一〇〇〇日』がある。

週刊新潮 2015年10月15日神無月増大号掲載

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