「プロデューサーから“お風呂入った?”とかセクハラが」「降板理由は…」 今だから話せる「Gメン75」ウラ話 藤田三保子×倉田保昭
出演をつぶされかけたことも
倉田 プロデューサーは男性メンバー同士の食事も嫌ったから、撮影現場以外ではまったく交流しなかった。
藤田 でも、パリのロケで、一度だけ藤木悠さんの部屋に集まって飲んだよね。
倉田 あった! 藤木さんがでっかいトリスの瓶を用意してくれた。下戸のプロデューサーには声をかけなくてね。
藤田 翌日、プロデューサーはジェラシーですごく不機嫌になっていた。
倉田 藤木部屋で飲んだメンバーをチェックしていたね。香港では夏木さんに頼まれて食事にアテンドしたら、プロデューサーにきつく当たられた。Gメンは息苦しかったし、アクション映画に戻りたくて、僕は降りた。丹波さんは「考え直せ」と言ってくれたけれど、決意は固かった。
藤田 降板はプロデューサーにも直接言ったの?
倉田 「Gメンを辞めるのは、俺が理由ではないんだよな?」と確認されて「それもあります」と正直に答えたよ。それで「Gメン対香港カラテ軍団 PART2」のエンディングで、草野刑事は香港の街に消えていく。
藤田 殉職した役を演じた俳優はその後人気が出るという他局の刑事ドラマの先例があったでしょ。降板の際は、他の番組で活躍しないようにと、私の役もそうだけど、殉職させずに転属や去ることになったのよね。
倉田 その後4年くらい、TBS、東映はもとより、テレビ朝日まで使ってもらえなくてね。厳しかった。東宝系の時代劇の出演がGメンのプロデューサーの横やりでつぶされかけたこともあったんだ。
藤田 えー!
倉田 あのときは「僕がいったいなにをしたというんですか!」とGメンのプロデューサーに抗議に行って、強引に出演したけれどね。仕事がほぼないから自宅の屋上で日光浴をしていたら、撮影で来日したジャッキー・チェンとサモ・ハン・キンポーに新宿のヒルトン東京に呼び出されて。香港では彼らの大ブレイク前から親しくしていたから。干された事情を打ち明けると、その場で映画を3本契約してくれた。うれしくて、涙があふれたよ。
スタッフは素晴らしかった
藤田 きついことは多かったけれど、私はGメンで得たものもあったかな。
倉田 Gメンは忘れたいことも多いけれど、スタッフは素晴らしかったでしょ。
藤田 カメラの下村和夫さんは、私の顔の片側だけに照明を当てて、陰影で個性を際立たせてくれた。
倉田 下村さんはすごく優秀なカメラマンだったね。照明も音声も見事だった。
藤田 ワイヤレスがない時代にコンパクトな有線のマイクを服に隠して同時録音をしたり、街中では望遠でゲリラ的な撮影をしたり。
倉田 物語も良かったと思うよ。はかなくて。
藤田 いつもハッピーエンドではなかったね。
倉田 主要な人物ですら、ほとんど死んでしまう。
藤田 人生はハッピーばかりではないという現実を映像にしたことが「Gメン’75」の魅力でしたよね。
(構成・神舘和典)
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