「プロデューサーから“お風呂入った?”とかセクハラが」「降板理由は…」 今だから話せる「Gメン75」ウラ話 藤田三保子×倉田保昭
劇場映画レベルの技術で撮影
――Gメンでは、沖縄編、パリ編、香港編が話題になりました。
倉田 まず沖縄編では「東京-沖縄 縦断捜査網」「暑い南の島 沖縄の幽霊」「沖縄に響く痛恨の銃声」を3話連続で、日本に返還されたばかりの沖縄で撮影した。
藤田 沖縄の少女が米兵に乱暴される話でした。
倉田 3話目のラストで、三保子ちゃんが少女たちの敵を取る。砂浜を何度も走っていたよね。
藤田 暑いし、クタクタでした。走るシーンはスニーカーに履き替えて、膝から下は映らないように撮ってもらった。あれっ、あのとき、倉田さんは?
倉田 沖縄には行っていないんだ。三保子ちゃんがメインの回のとき、僕は香港へ出稼ぎに行って、向こうの作品の撮影をしていた。
藤田 そっか。私も倉田さんや岡本富士太さんがメインの回は束の間の休息でした。
倉田 沖縄編は、息子を殺されて失望したおばあちゃん役、原泉さんが鎌で自分の喉を掻き切って自殺しているシーンが強烈だった。
藤田 日本人の少女を乱暴したアメリカ兵が基地に逃げ込んだ後の私のカットは、横からも基地のフェンスの中からもキャッチライト(瞳を輝かせるための照明やレフ板)が入っていてびっくりした。Gメンはテレビドラマでありながら、深作欣二監督や佐藤純彌監督などレジェンドが参加して、劇場映画レベルの技術で撮影していた。
倉田 沖縄編は、アイドル俳優とは違う男性的な魅力もある三保子ちゃんのよさが引き出されていたね。
ロケ弁はフランスパンとゆで卵
藤田 その後のフランスのロケは最初、夏木陽介さんと三人で行ったでしょ。
倉田 3億円強奪事件の関係者がパリへ逃げた設定。「パリ警視庁の五百円紙幣」「冬のパリの殺し屋」「パリ-紺碧海岸(コートダジュール) 縦断捜査」も3週連続だった。
藤田 あのロケ、旅行会社のすごく安いツアーで行ったんだよね。座席はもちろんエコノミー。現地では観光用大型バスで移動して、ロケ弁はフランスパンとゆで卵とオレンジだけ。
倉田 いわゆるフランス料理は一度も食べなかった。
藤田 あのシリーズ、評判は良かったんでしょ。
倉田 追い詰められていく恋人同士役の西田健さんと范文雀さんがはかなくてね。海外旅行はまだ高額で、日本人はなかなか行かれなかったから、視聴者の憧れもあったかもしれない。
藤田 あれ以来、プロデューサーが海外ロケをやりたがった。
倉田 国内とはまったく違う映像が撮れるからね。
藤田 倉田さんが主役の香港編のときは、私はすでに降板していました。
倉田 元ゴールデン・ハーフの森マリアさんにメンバーチェンジしていた。
藤田 香港ロケは倉田さんの発案だったの?
倉田 いや、プロデューサーからの提案だった。「ぜひやりましょう。僕が全部責任持ちます!」って即答した。プロデューサーは治安を心配したけれど、絶対にやりたかった。
最初の香港編「香港カラテ対Gメン」とそのパートIIは、2週間のロケで2本撮り。役者、キャスティング、殺陣(たて)、ロケーションの確保、通訳や食事の手配まで全部僕がやった。映画「燃えよドラゴン」でブルース・リーと共演した、友人のヤン・スエも起用した。あの筋肉のかたまりみたいな人間を生で見て、Gメンチームは仰天していたよ。番組がスタートして3年、香港編でやっと僕の本領が発揮できた。それまではずっと居心地が悪かったんだ。
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