6・26「世界格闘技の日」 世紀の「猪木vs.アリ戦」で最も恩恵を受けたのは元祖「100円」商品

スポーツ

  • ブックマーク

唯一、猪木vs.アリ戦を賞賛したメディア

 後年、猪木への取材中にアリ戦翌日の新聞の辛辣な書きっぷりに話が及んだ。すると猪木は、筆者としては初めて知る事実を続けた。

「ニューヨーク・タイムズだけが褒めてくれてね……。それだけでもずいぶん救われたもんですよ」

 後日、同紙を確認してみると、確かに猪木vs.アリ戦が2ページに渡り特集されていた(以下、適宜拙訳)。出だしは「ファンにとって全く面白いものではなかった」と手厳しいが、徐々に論調は猪木に好意的に。

《容赦ない猪木のキック》《アリの頑丈な足をも打ち砕き(中略)足を引きずるほど》

 注目は、ルールにより猪木の大部分の攻撃が禁止されていたことに触れていた点だ。米紙なのでアリ側に立ってもおかしくないが、あえてそれを詳述した理由が記事の中盤で明らかになっていく。

 同紙はアリがこの日の控室で、砲丸投げ選手ブライアン・オールドフィールド からの挑戦状を受けていた秘話を公開。ノー・ルールで勝者が800万ドルを総獲りしようという内容だった。記事では、プロレスラーのブルーノ・サンマルチノとの対戦の可能性も浮上しているとした上で、大意としてこう続く。

《しかし今となっては、聴衆は深く考えさせられることとなった。(猪木vs.アリの)対戦ルールは怪我を避けるためのものになっていたのだ》

 アメリカのトップ紙として、金や注目されることを目的にこれからも続くかもしれない安易な挑戦に警鐘を鳴らしたかったのだ。そのために猪木が真摯に闘ったこと、圧倒的に不利なルールの中でもこれだけアリを追い詰めることができたことを明示する必要があった。それは同紙が、この試合を真剣勝負とイチ早く見抜いていた証左に他ならなかった。

 今では総合格闘技の礎となった一戦とされ、試合が行われた日付が「世界格闘技の日」に認定されている猪木vs.アリ戦。実は対戦翌日の帰国時、アリが猪木に残していったものがあった。それは猪木が挑発さながら贈った松葉杖だった。見るとアリの字で、以下の意の英文が書かれていた。

「本当に必要とするところだった。I love Inoki」

 そして翌年の再会時、アリが猪木にこう告げたのは語り草だ。

「あんなに怖い試合はなかった」

 1977年6月、猪木の渡米時のことだった。アリの結婚式に招待されたのだ。やって来た猪木を物陰に隠れて驚かす茶目っ気を見せたアリは、こうも言ったという。

「なあ、あの時のこと、許してくれよ」

「何が?」

「『勝ったらお前のワイフをもらう』なんて言ったことさ。なあ、結婚って、素晴らしいものなんだな……」

 2人の友情は終生続いた。

瑞 佐富郎
プロレス&格闘技ライター。愛知県名古屋市生まれ。フジテレビ「カルトQ~プロレス大会」の優勝を遠因に執筆活動へ。近著に『アントニオ猪木』(新潮新書)、『永遠の闘魂』(スタンダーズ)、『アントニオ猪木全試合パーフェクトデータブック』(宝島社)など。

デイリー新潮編集部

前へ 1 2 3 4 次へ

[4/4ページ]

メールアドレス

利用規約を必ず確認の上、登録ボタンを押してください。