勝手な見立てで「軍部」「官僚」のみを悪者にするNHK (有馬哲夫早稲田大学教授・特別寄稿)

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 前回、筆者は「証言と映像でつづる原爆投下・全記録」(8月6日放送)が、アメリカのプロパガンダ、すなわち「多くの米兵の命を救うためには原爆投下も仕方がなかった」という言い分を広めるのに一役買ったのではないか、と指摘した。

 歴史的事実として、アメリカは原爆を投下しなくても、つまり多くの広島、長崎市民を殺戮しなくても、終戦に導くことができたことは前回ご説明した通りである。

 この番組には、ほかにも問題がある。今回はその点を指摘したい。

 罪深いのは、勝手につくった「シナリオ」にあわせて歴史的事実を歪め、日本人たちの証言も歪めていることだ。まず、番組は、(1)原爆によって広島・長崎が言語を絶する被害を受けたのは「軍部」のせいだとしている。これは占領軍がウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム(WGIP)という心理戦において、広めたプロパガンダそのものであることは前回ご説明した。

 番組ではさらに、(2)日本の官僚も、原爆開発の情報を得ていながら、アメリカを非難するだけだった、だから彼らにも責任がある、という見立てを紹介している。

 (1)が歴史的事実に反することはすでにご説明したが、さらに補足しておこう。

 当時アメリカ側には原爆をどこに使用するかの選択肢として三つを考えていた。

 (a)無人島 (b)軍事目標 (c)都市

 また投下にあたっては、

 (A)警告ののち投下 (B)無警告で投下

 という二つの選択肢があった。

 これらの選択肢をどう組み合わせるかについて、アメリカは、政策決定のための暫定委員会という場で議論をしていた。

 科学者たちは(a)を主張した。自分たちが作ったものを大量殺戮に使って欲しくないからだ。

 アメリカ陸軍制服組のトップであるジョージ・マーシャルは(b)、それも爆撃で廃墟になった軍事施設と(A)の組み合わせを勧告した。

 しかし、大統領の代理人として委員会に出ていたジェームズ・バーンズ(この当時は一私人)は(c)と(B)、つまり「警告なしで都市部に落とす」という大量殺戮兵器としての使い方を選んだ。大統領の権限は強い。そのためこれがアメリカの方針となってしまう。

 この残酷な決定は海軍代表も、のちに無警告投下の同意を撤回すると通告している。それほど、アメリカ側でも問題となった決定だったのだ。

 つまり広島・長崎の空前絶後の惨劇の責任は、(c)と(B)を選択したトルーマン大統領にあり、その選択に影響を与えるいかなる力も持たなかった日本側にはない。

 なお、戦後やってきた戦略爆撃調査団の報告によれば、コンクリート製建物や防空壕は勿論のこと、木造家屋であっても、屋内にとどまった人々の死傷率はきわめて低かったことがわかっている。つまり、ハーグ陸戦法規を守って、警告し、退避の時間を十分とっていたならば、原爆の人的被害はきわめて低く抑えることができたのだ。それだけにトルーマンの罪は重い。

軍部も和平を模索していた

 さて、番組では「国体護持にこだわって戦争を止めようとしなかった」として原爆投下を招いた張本人として真っ先に「軍部」をあげている。

 しかし、これもあまりに粗雑な説明だろう。番組スタッフの思い込みとは違って、海軍は米内光政海軍大臣をはじめとして早期和平に熱心で、実際、スイスで終戦工作をさせていた。少なくとも海軍関係者の名誉のためにも、この「軍部」から海軍を除かなければならない。

 さらに重要なのは、「国体護持にこだわった」のは「軍部」よりも昭和天皇だったということだ。

 天皇の重臣たちはみな、この方針を支持し、これを実現するために努力していた。したがって、「軍部」が「国体護持」にこだわり、「官僚」はそうでなかったというのは、番組スタッフが勝手につくった「シナリオ」だ。

 番組で次に原爆投下の責任者として扱っているのは、官僚である。しかし(2)の「官僚も原爆開発の情報を得ていながら、アメリカを非難するだけだった」という見立ても勝手な「シナリオ」である。

 そのシナリオの根拠として番組が引用しているのは、迫水久常(当時の内閣書記官長)の以下の証言だった。

「われわれはアメリカから投下前には警告があると考えていました。アメリカが現実にあんな無慈悲な兵器を使用するとは思いませんでした」

 しかしこれは「官僚が原爆開発の情報を得ていた」証拠としては弱すぎる。「原爆ほどの破壊力のある兵器を使うのだから、事前警告があるべきだった」という当たり前の感想を戦後述べたということに過ぎない。事前警告は、米国の軍部までもが主張していたのはすでに述べた通りである。

原爆と御聖断の関係

 番組はさらに欺瞞行為を続ける。「原爆投下によって日本は無条件降伏に追い込まれた」という見立てを強化するために、事実を偽っていることだ。

 広島への投下は8月6日だが、8月10日の、おそらく朝までは、日本側の誰も広島に投下されたものが原爆だとはっきり知らなかった。これが事実である。

 番組でも紹介していたように、理化学研究所の仁科芳雄は、陸軍によって調査のために8月8日に広島に派遣された。しかし、彼が「これは原爆である」と結論を出したのは8月10日だった。これはすぐに陸軍上層部に伝えられたが、東京の上層部が受け取ったのは常識的に考えて、明け方以降だろう。

 一方で、天皇が「国体護持」のみを条件としてポツダム宣言の受諾を決意するのは8月10日未明の午前2時である。つまり、広島に投下されたものが原爆だとわかる前にすでにポツダム宣言の受諾、いわゆる「御聖断」は下されていたことになる。

 言い換えれば、日本は原爆によって降伏に追い込まれたのではないということだ。

 ここまでのポイントをまとめると、こうなる。

 (1)アメリカは日本を降伏させるにあたって、原爆投下以外のより犠牲が少ない選択肢を持っていたが、トルーマン大統領がそれを排除した。

 (2)原爆投下はポツダム宣言受諾の昭和天皇の決断に影響を与えていない(ただし、8月10日以降その決断に重臣や軍人を従わせる過程では効果があった)。

 当時の侍従武官長も「陛下は科学者であらせられるから、原子爆弾の威力を熟知しておられたでしょう。併し8月8日、9日頃までには未だ広島の情報は十分わかりませんでした。したがって陛下にそれほど大きな影響を与えるまでには至っていなかったと思います」と証言をしている。事実、御聖断が下された御前会議でも、原爆についてどう対処するかといった議論はまったくなされていない。

 原爆についてより詳しい情報を得ていた可能性のある8月12日ですら、天皇は皇室会議で、「国体護持ができなければ、戦争を継続するか」と朝香宮に聞かれて、「勿論だ」と答えている。つまり、国体護持ができなければ、原爆だとわかっていても、戦争を続けるつもりだったことになる。

「あれだけの被害を受けたのであれば、それが原爆であれ何であれ、判断に影響を与えないはずはない」と思う方がいるかもしれない。しかし、それこそが「原爆投下によって終戦が導かれた」という刷り込みの産物であることを疑ったほうがいい。8月6日以前の時点で、すでにアメリカは日本本土に度々空襲を実行しており、膨大な犠牲者を出している。東京大空襲だけでも10万人以上が殺されているのだ。

 したがって、たとえ広島で大きな被害を受けたとしても、そのことが判断に決定的な影響を与えるとは限らない。これは人命を何よりも尊重し、なおかつ原爆という存在をよく知る人からは信じられないかもしれないが、天皇以下、当時の人たちの思考とそれとは別であることには注意が必要だろう。

 元カリフォルニア大学サンタバーバラ校教授の長谷川毅なども「日本を降伏に追い込んだのは、原爆投下ではない」と主張し、アメリカの学会でも支持を得ている。しかも、長谷川はそのことを書いた『暗闘』(中央公論新社、2006年)の出版以来、アメリカの歴史ドキュメンタリー番組やニュース番組に頻繁に登場するようになっている。YouTubeでもその活躍ぶりが確認できる。

 ただし、長谷川の場合は、天皇に終戦を決断させたのは、ソ連の参戦だとしている。私の立場は、『「スイス諜報網」の日米終戦工作』(新潮選書、2015年)でも明らかにしたように、スイスで終戦工作を行っていた日本人からもたらされた「ポツダム宣言を受諾しても国体は護持できる」というインテリジェンスこそ御聖断を招いたというものだ。

 さて、この番組は、仁科報告には触れているのに、なぜ仁科の結論が御聖断に間に合わなかったという事実を隠しているのだろうか。

 それは「原爆投下によって日本は無条件降伏に追い込まれた」という見立てに都合が悪かったからだろう。この見立ては言うまでもなく、アメリカに都合が良いものだ。原爆投下が戦争終結を早めたということになるからだ。

 それにしてもひどいのは、この番組の「天皇の側近や官僚たちのインタヴューのなかには原爆で失われた命への言及はありませんでした」という締めくくりのナレーションだ。こんなアンフェアな扱いはない。

 彼らはそのような質問を向けられなかったので、原爆犠牲者に言及しなかっただけだ。「あなたは原爆の犠牲者に関してどう思いますか」と質問したなら、涙を流して「力が足りず誠に申し訳なかったと思います」と言ったかもしれない。彼らの遺族や関係者はNHKに厳重に抗議すべきだ。

 しかし、なんといってもこの番組が罪深いのは「日本は無条件降伏した」「原爆投下がそこへ追い込んだ」と偽り、そのために日本側の「条件付降伏」のための努力を一切無視していることだ。

 事実として日本は無条件降伏などしていない。ところがこれもまた日本のメディアはほぼ伝えようとしない。これについては次回に譲ることとする。

有馬哲夫(ありま・てつお) 1953(昭和28)年生まれ。早稲田大学社会科学総合学術院教授(公文書研究)。早稲田大学第一文学部卒業。東北大学大学院文学研究科博士課程単位取得。2016年オックスフォード大学客員教授。著書に『日本人はなぜ自虐的になったのか』『原爆 私たちは何も知らなかった』など。

デイリー新潮編集部

2020年9月11日掲載

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