「京アニ事件」から2年 なぜ青葉真司の凶行は止められなかったのか 福祉、芸術、文化が果たす役割は

磯部涼 令和元年のテロリズム 国内 社会 2021年7月17日掲載

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青葉が過ごしたさいたま市の更生保護施設

 令和元年7月18日に起きた京都アニメーション放火殺傷事件。犯人の青葉真司は、下着泥棒やコンビニ強盗などで逮捕された過去を持つが、凶行を彼の人生のどこかのタイミングで食い止める術はなかったのか。令和元年に起こった象徴的な事件を追うノンフィクション『令和元年のテロリズム』(新潮社)を刊行したライターの磯部涼氏によるルポ。連載第9回。

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 平成28年の年明け、3年数カ月に及ぶ刑期を終えて出所した青葉真司は、さいたま市浦和区K町にある更生保護施設〈S寮〉に入居した。それから半年間、社会復帰の準備をした上で同年7月に借りたのが、前述の京都へ向かうその日まで住んでいた同市見沼区O町のアパートというわけだ。そこで彼は隣人の証言にもあった通り、騒音トラブルなどから見て再び失調していったと考えられる。そして出所3年半後に日本犯罪史上最悪とも言われる放火殺傷事件を起こす。母親にも見放され孤立無援だった青葉と、最後に面と向かって関わったのが〈S寮〉だったということになる。

 更生保護施設は保護観察所から委託される形で出所者を受け入れる民間の寮である。さいたま保護観察所を訪ねたところ、〈S寮〉を担当する保護観察官が「我々には国家公務員法による守秘義務が強く課せられていますので、青葉真司容疑者が同寮に入っていたかどうかを含め、個人のことについては何もお教えできません」と断った上で取材に応えてくれた。「更生保護施設は全国に103箇所あって、入所対象者は身元引受人がいない方、つまり“帰るところがない人”ということになります。入所にあたっては場所の希望を出せるので、やはり服役後に馴染みのある土地に帰ってきたいというのが人間の習性でしょうし、〈S寮〉に関してももともと埼玉県にいた方が入ってくるケースが多いです」。青葉はまさに“帰るところがない人”だった。逮捕時の住居である雇用促進住宅からは既に契約を切られていたし、これまで見てきた通り家族は解体してしまっていた。常総市には更生保護施設はないため、同じく土地勘のあるさいたま市のそれを選んだということだろう。

 更生保護施設への入所後、利用者は同施設で暮らしながら外に出て働く。滞在費は自立後に返済する決まりになっているが、実情としては再犯をしない約束で免除しているため、給与を全て自立のための貯蓄に回すことができる。そのような保護を受けられる期間は最長で半年。ただし、「皆さん早く自立したいと考えるので、3カ月で大体50万円くらい貯めて出て行くのが一般的」だという。「それくらいあれば敷金礼金と最初の家賃は支払え、ある程度身の回りのものも買えますから」。一方、青葉は半年の期間満了まで入所していた。これは彼の自立準備が順調ではなかったことを意味するのか。

社会復帰する準備は整っていたのか

 保護観察官は言葉を選びながら言う。「更生保護施設は入所希望者に対して充分な数が存在するとは言えません。〈S寮〉も定員は20名で、希望しても入れないことはままある。そのため入所にあたっては面接で更生の意欲、本人のやる気を見て判断します。更に入所後は、本人の今後の生活設計のあり方や、寮内生活でフラストレーションを溜めていないかなどを確認する面談を施設職員が行う。保護観察官も定期的に出向いて、できるだけ状況を把握しようと努めています。仮に施設側が受け入れ続けられないと判断したケースでは、刑務官が『このままだと帰るところがないぞ』と本人に指導をして考えさせますし、別の土地の施設に受け入れをお願いすることもあります」。そのように入所~滞在の条件として社会復帰の意欲を重視する以上、青葉も当時はしっかりやり直そうと考えていたと見るべきだろう。

 しかし現実に事件は起きてしまった。また、前述したように彼は明らかに失調していた。近年、青葉は無職で生活保護を受けていたという話もある。気になるのは退所時、青葉が社会復帰をする準備は本当に整っていたかどうかだ。もしくは退所後も更生保護施設利用者へのサポートは行われるのか。「何をもって自立と見なすかについては、観念的な話にならざるを得ないことは事実です。彼らが施設を出て自分で拠点を築き、生活の形ができるまでは保護するというルールでやっていますが、そのあとのフォローアップについても課題はあります。例えば高齢の方には老人ホームを紹介するという支援を行うこともありますし、障害を持った方には障害者福祉につなげるようなサポートをします。ただ、我々は司法の一翼を担う機関で、受刑者という存在は刑務所に入るという人権制約を受けている。それが満期で終わったあと、更に本人が“保護してください”という意思がはっきりある場合にのみ更生保護法人での保護が成り立ちますので、こちらでできる宿泊所の供与を終えたら、そこで終わりということになってしまいます」。

〈S寮〉はさいたま保護観察所の裏手にある留置場の横にひっそりと建っていた。施設長はやはり「私の口からは何も言えないんです」と何度も繰り返しながら丁寧に対応してくれた。「基本的にはここを基盤として仕事に就いてもらって、お金を貯めて部屋を借りて出るという流れでやっていますが、今は俗に言う“生きづらさを抱えた人”が多くなっているものですから、退所後の生活に関して福祉とのやり取りが多くなっていることも確かです」。青葉は保護観察官が更生保護施設の入所者の対象として挙げた“帰るところがない人”であると共に、“生きづらさを抱えた人”だっただろう。確かに現状では青葉のような人々を救う取り組みは充分ではないが、それを糾弾する声は最後の砦さえも壊してしまいかねない。「こういう施設は地域からすれば“迷惑施設”ですよね。怖いとか危なそうとか言われたりもする。だから運営するのも大変です。必要性は多分にありますけれども、なかなか地域住民のご理解を得られない。それもあってここは住宅地から少し離れているでしょう。公の建物が並んでいる横で、住民の目に届きづらい場所にある。平たく言えば隔離された場所です。ここを出たひとが大きな事件を起こして、もしこの場所の責任だということになったら、閉鎖になってしまうかもしれません」。

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