ハーバード大「慰安婦」論文を批判する韓国系教授のロジックは強引ではないか(後編)

国際 韓国・北朝鮮

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 有馬哲夫・早稲田大学教授によるラムザイヤー論文を巡る論争の分析、前回に引き続き、ソク・ジヨン教授の批判(エッセイ)を取り上げる。以下、有馬氏の特別寄稿である。

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ソク教授の偏向

 ハーバード大学のマーク・ラムザイヤー教授の「慰安婦」に関する論文への批判をこれまで見て来た。前回から検証しているのは、ラムザイヤー教授の同僚で、韓国系のソク・ジヨン教授が、『ザ・ニューヨーカー』に寄稿した「慰安婦の真実を求めて」(Seeking the True Story of the Comfort Women)というエッセイである。このエッセイでの主張や論理は、他の批判者たちに大きな影響を与えている。

 前回も述べた通り、このエッセイは、以下の3つの要素から構成されている。

(1)ラムザイヤー教授が書いたコラムと論文に対する彼女自身の批評。このコラムとは、2021年1月12日にJAPAN Forwardに掲載された「慰安婦の真実を取り戻す」のことである。また、論文というのは、ほぼ同時に電子版で発表された「太平洋戦争における性契約」のことである。

(2)ラムザイヤー教授の著作物(必ずしも前述のコラムと論文ではなく、著作物全般)に対するソク教授以外の研究者のコメント。

(3)ラムザイヤー教授の著作物とは直接的に関係しない日米韓政府の動き、および慰安婦問題に対するアメリカの世論。

(1)が全体に占める分量がとても少ないことと、主張や論理に強引さが見られることは前回の記事で指摘した通りである。

 今回は(2)以下について見ていくこととしよう。

(2)に登場する主なラムザイヤー批判者は、ハーバード大学のアンドルー・ゴードン教授(歴史学)、カーター・エッカート教授(東アジア言語文化学部)、オーストラリア国立大学のテッサ・モリス・スズキ教授(歴史学)、コネチカット大学のアレクシス・ダデン教授(歴史学)などである。スペースの関係で全員は取り上げられない。

 この顔ぶれを見ると、ラムザイヤー教授の論文に中立的な批評をすることを望めない人ばかりだということがわかる。

 これまで「20万人慰安婦強制連行説」「慰安婦性奴隷説」(人によっては「慰安婦虐殺説」)をとる著書や論文を書いている学者たちなのだ。

 エッカート教授は朝鮮史ユン・セヨン(講座の名称)教授でどうしても親韓的になる。ゴードン教授は、アメリカの歴史教科書で慰安婦についての間違った記述に対して、日本の外務省が削除を求めた際に、反対声明を出している。

 この教科書には「日本軍は14~20歳の女性を、20万人も強制的に徴用し、軍属させ、『慰安所』と呼ぶ軍の売春宿で働かせた」と書かれている。また、日本軍が「その活動を隠ぺいするため、多数の慰安婦を虐殺した」とも記されていたという。

 これらはいずれも証拠がないというのが日本政府の公式見解であり、また学者の中でもこうした説を取らない人は多い。元中央大学教授吉見義明氏ですら、実態の認定を改めて、日本軍が強制連行したという「狭義の強制連行」を主張することはやめて、女性の意に反して働かされることがあったという「広義の強制連行」が問題なのだ、という主張に変わっている。

 テッサ・モリス教授は、戦後の在日朝鮮人の帰還事業は、彼らを邪魔者にした日本政府による陰謀だったという説を唱えている。

 アレクシス・ダデン教授は、古森義久麗澤大学特別教授の言葉を借りると「慰安婦問題に関して日本側から事実に立脚する主張が出て、自分たちの主張が否定されそうになると、米欧の多数の関係者の署名を集めて日本側の主張を攻撃するという手法をこれまでに何回もとってきた」学者だ。

 彼らがラムザイヤー論文を虚心坦懐に読むのは難しいだろう。

 もちろん学問の世界で、批判的な意見があるのは当然である。しかし、第三者の論文について述べるにあたって、自身の都合の良い意見だけを並べるのはフェアな姿勢だろうか。

 チェリーピッキング、すなわち都合のいいものだけ持ってくるというテクニックではないかと筆者は感じた。

ソク教授の問題点

 また、ソク教授の次の文章は問題がある。

「ラムザイヤー氏の論文の中の脚注を(ゴードン教授とエッカート教授が)調べていく過程で、同論文では戦時中の慰安所と朝鮮人慰安婦との間に交わされたとする契約書の原文はおろか、その内容を詳しく記した二次資料や第三者による契約条件に関する言及さえ引用されていないということが判明した。

 引用されている資料の中で、唯一契約内容に関する具体的な情報を含んでいそうな文献を両氏が調べてみると、そこには1938年に作成された日本人女性を「酌婦」として雇う際の契約書の見本が掲載されていた(「酌婦」という職業は性労働を伴うものであると理解されていた)。」

 しかし、筆者が「ハーバード大学歴史学部教授アンドルー・ゴードンと東アジア言語文化学部カーター・エッカートによる声明」(”Statement by Andrew Gordon, Professor, Department of History Carter Eckert, Professor, Department of East Asian Languages and Civilizations, Harvard University”2021年2月17日発表)をチェックしてみたところ、少なくともこの声明の中には、「その内容を詳しく記した二次資料や第三者による契約条件に関する言及さえ引用されていないということが判明した」という文言はない。

 ソク教授は、この声明とは別に2人の教授とやり取りをして、このようなことが「判明した」と聞かされたのだろうか。そうでなければ、2人の教授の名を騙ったことになる。

 また、以前の記事で書いたように、ラムザイヤーは「その内容を詳しく記した二次資料や第三者による契約条件に関する言及」をこれでもかと言わんばかりに註にあげている。それはラムザイヤー論文を読めば気付かずにはいられない。

 ソク教授のエッセイだけを読むと「ラムザイヤー論文は、資料や証拠なしに書いている」と思うだろう。それならばとんでもないが、実際にはそんなことはない。この点は嘘をついていると言われても仕方がないのではないだろうか。

 さらに問題なのは、「引用されている資料の中で、唯一契約内容に関する具体的な情報を含んでいそうな文献を両氏が調べてみると、そこには1938年に作成された日本人女性を「酌婦」として雇う際の契約書の見本が掲載されていた(「酌婦」という職業は性労働を伴うものであると理解されていた)」という部分である。

 ここにも嘘がある。

 これも以前の記事で明らかにしたように、「酌婦」は売春婦の婉曲表現で、文脈によって公娼、私娼、慰安婦のいずれにもなる。ゴードン教授とエッカート教授は、そのような基本的知識が不足しているため、文字通りの酌婦(bar maid)ととった。

 だから、彼らは、「ラムザイヤー教授は慰安婦といいながら、その実、酌婦の契約内容を一次資料で示している」と主張した。

 しかし実際には、資料の中の「酌婦」は、「私娼」(あとで「慰安婦」になった可能性がある)を指している。つまり、間違っているのは、基本的知識のないゴードン教授とエッカート教授のほうなのだ。

 ソク教授のほうは、「(「酌婦」という職業は性労働を伴うものであると理解されていた)」と書いているのだから、2人の同僚の間違いに気付いている。だが、引用を読んでもわかるように、この間違いを利用して、読者を「ラムザイヤー教授は慰安婦ではなく酌婦の契約内容を見せて騙していると」ミスリードしている。

 本当のことを知っていながら、彼らの間違いを利用して読者をミスリードしている。これは嘘だし、彼女を信頼する『ザ・ニューヨーカー』の読者への裏切りだ。

 ソク教授はかなりの行数を割いてテッサ・モリス教授が、「法経済学国際学術誌(International Review of Law and Economics)」の編集部に宛てた批判文(morris_suzuki_letter.pdf (chwe.net))を紹介しているが、実は彼女が触れなかった部分には、ラムザイヤー論文にとって建設的な批判もある。

 テッサ・モリス教授はオーストラリア国立大学の教授なので、インドネシア(戦争当時はオランダ領東インド)、マレーシア、フィリピンなど極東以外のアジアの国々のことも重視している。そして、ラムザイヤー論文は、これらの国々で日本軍の慰安婦になった女性たちを対象から外していると批判している。

 たしかに、アメリカ軍の報告書を読むと、現地の売春所を日本軍の慰安所として使ったり、現地女性(大部分は売春婦と考えられる)を慰安婦として採用したりした例が見受けられる。この点で、テッサ・モリス教授はラムザイヤー論文にとっても重要な視点を示唆しているといえる。

 問題は、日本軍の慰安所運営規則などには、日本人、朝鮮人、中国人の契約については書いてあるが、現地女性のそれは記述がないことだ。とくに、料金や年季や貯金がどうなっていたのかわからない。

 だから、ラムザイヤー教授は、都合が悪いので無視したのではなく、資料がないので研究対象にできなかったのだ。

 資料が十分そろうなら、慰安婦の法経済学モデルの現地女性バージョンを明らかにしようとするだろう。そのためには当時日本が占領したアジアの国々の当時の性産業を詳しく調査する必要があるので、できるとしても長い時間がかかるだろう。

 また、テッサ・モリス教授は、日本人、朝鮮人、中国人以外の性被害者が現地女性を中心として6万人もいたと主張しているのだか、この数はレイプ被害者と慰安婦とを合わせた数と思われるが、公文書からは証明できない。

 そもそも数を多く見せて印象操作をしようというのはいかがなものか。少し実態を調べて、現地女性慰安婦の数と契約の実態をつかんでから、批判し、あるいはラムザイヤー教授と共同研究したほうが建設的なのではないか。

 このようにテッサ・モリス教授は、心を開いて話し会うなら、ラムザイヤー教授と協力しあって、これまであまり注目されなかった現地女性の慰安婦の実態解明を進めることができる。

 それなのに、ソク教授は、「女性の人権」といいながら、朝鮮人慰安婦の「女性の人権」にしか興味を示さない。朝鮮人女性だけが「被害者」だという先入観で慰安婦制度を見ている。だから、テッサ・モリス教授の批判が持っている建設的な面を見ようとしない。

 慰安婦が被害者だというなら、朝鮮人慰安婦以外の、様々なアジアの国の慰安婦の「女性の人権」にも関心をもち、温かい目をむけるべきではないか。それにラダイハンのこともあるのではないか。

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