東日本大震災から10年 一歩を踏み出すことで開いた扉

荒川静香のステイ・ポジティブ 国内 社会

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宮城県で育ち、「東北は心の故郷」と話すプロフィギュアスケーターの荒川静香さん。

彼女が、東日本大震災で甚大な被害を受けた農家を訪ねることは、至極、自然な行動だった。

あれから10年。折々に継続して訪問した農家は26軒に及ぶ。その中から、JAを通じて、3軒の農家とオンラインで旧交を温めた。産地復興へ向け、地域を先導する各農家の逞しく、頼りがいのある取り組みの軌跡を振り返ってみた。

 荒川静香さんは、震災が発生した2011年の4月、被災地を訪ね、仙台東部道路から沿岸部を見渡した時、その光景に「言葉を失いました」と回想する。それから半年余。荒川さんが宮城県仙台市若林区六郷三本塚地区を訪ねると、レタスが青々と生(な)っている畑があった。瓦礫やヘドロは撤去されていたとはいえ、依然、津波の爪痕が残る大地に、グリーンの瑞々しい色は眩しく映り、「ここから復興が始まる」という希望を感じたという。

 畑の主は遠藤喜一さん。JA仙台から「農の匠」に認定された栽培技術を持つ遠藤さんは、「3・11」当日、車で家に帰る途中、辛くも難を逃れた。自宅では家族が2階で肩を寄せ合い、津波が去るのを待っていた。「できることから一歩ずつ」と決めた遠藤さんは、5月上旬に、長男の耕太さんと共に行動を開始。9月には自分の畑でのレタス栽培の再開に漕ぎ着けた。

「お久しぶりです」と画面越しに呼びかける荒川さんに、耕太さんが「あの畑には、今、ハウスが建っています」と笑顔で応える。昨年3月までの2年間、JA仙台青年部の委員長を務めた耕太さん。「みんなの模範になるように、力を抜かずにしっかりと日々の農作業に取り組んできました」と語る。遠藤さんの圃場(ほじょう)では、今ではレタスのほか、水稲、トマト、キュウリ、ホウレンソウ、雪菜など約40品目もの作物を栽培し、主に仙台市内の直売所やスーパーの直売コーナーに届けている。

 コロナ禍で家庭菜園の熱が高まる中、野菜を運び入れていると“キュウリが生(な)らないんだけど、どうしたらいい?”と、消費者から質問を受けるという。小学6年の長女・美空(みそら)さんの夢は「パン屋さんになって、パパのつくったレタスでサンドイッチを作ること」。これには耕太さんも、「冗談でも嬉しいよね」と目尻を下げる。

「あの瓦礫の中からいち早く一歩を踏み出された勇気には、きっと多くの人が励まされたはず」と話す荒川さんに、耕太さんも「農地と地域を守るため、今後も先頭に立って頑張ってゆく」と気を引き締めていた。

 岩手県沿岸部の陸前高田(りくぜんたかた)市を訪ねたのは、2013年秋。竹駒地区でキュウリを作り続けて半世紀という佐々木孝人(たかと)さんを訪ねた。

 震災で家は半壊、大切な息子さんも失い、離農も覚悟していたが、孫の輝昭さんが「一緒に農業をやろう」と背中を押した。荒川さんが訪ねたのは、一時、会社員勤めをしていた輝昭さんがJAグループの支援などを受けて農業を再開し、かねて交際を温めてきた友紀さんと入籍したばかりの頃。「祖父と孫で育む鎮魂の朝採れキュウリ」の味わいに、荒川さんも「おいしいのは当然!」と太鼓判を押したものだった。

 あれから7年半。画面の向こうには、輝昭さんと友紀さんが、その後誕生した2人のお子さんと一緒に現れ、荒川さんと再会した。ちなみに、今年90歳となる祖父の孝人さんは、ご都合により再会できなかったが、頗るお元気とのこと。「今、一番、力を入れていることは?」という荒川さんの質問に、環境保全型農業に取り組む農業者を認定する「エコファーマー」の一人である輝昭さんは、「土づくり」と即答。「いかに安全安心で新鮮な野菜をお客様に届けるか。それを何より心掛けています」。現在、ハウスは2棟。主力のキュウリ、水稲のほか、トマト、ピーマン、ナス、ネギ、サツマイモなど全部で約20品目を栽培しており、「今は、農業を継続してきてよかったという思いでいっぱいです」と胸を張る。

 AIを使ったハウス内の環境制御技術の導入に意欲的に取り組んでおり、2年前には農業の持続的な発展と地域の活性化を目指し、地元の若手生産者8人で「陸前高田食と農の森」も結成。副会長として奔走中だ。

 荒川さんが言う。「祖父のスタイルを踏襲しながら、新技術も取り入れ、より安全安心な農業を追求する。鎮魂キュウリ、健在ですね」

 一方、東日本大震災に加え、東京電力福島第一原子力発電所事故の影響を蒙った福島県沿岸部への取材は、2012年の冬に実施した。訪ねた先は、南相馬(みなみそうま)市原町(はらまち)区で当時は約100頭の肉牛を飼養していた畜産農家の門馬敞典(もんまたかのり)さん。

 震災後、風評被害などにより、福島県の肉牛の価格は暴落し、一時は相場の半値まで落ち込んだ。前回訪れたのは、その後、福島県が出荷牛の全頭検査体制を敷くことなどで、肉牛の価格が7~8割程度にまで回復した頃だった。今回、「現状はどうでしょう?」と尋ねる荒川さんに、敞典さんと共に牧場を支える次女・美貴さんの夫・昌憲(まさのり)さんがこう答える。「一時、震災前の水準まで価格が戻りかかったのですが、コロナ禍でまた震災前の8割程度に逆戻りです」。そんな苦しい状況でも、敞典さんと昌憲さんは飼養頭数を20頭増やし、現在の飼養頭数は約120頭にのぼる。

 嬉しいこともあった。牧草地で採れる牧草の安全が確認され、再び使用できるようになった上、牛の糞尿から作られる堆肥と、エサとなる稲わらを畜産農家と稲作農家の間で交換する「耕畜連携」が地域で復活したのだ。さらには、2年前、門馬さんが育てた牛が、肉用牛枝肉共励会(一般社団法人全国肉用牛振興基金協会主催)で最高位となる農林水産大臣賞を受賞したのである。柔らかな肉質に濃厚な旨味、そして繊細な霜降り…。「私も、取材時、相馬牛をいただきましたが、口の中に広がった心地よい味わいを今も覚えています」と荒川さん。昌憲さんが、「一頭一頭、その牛にあったプランを立てて、愛情を注いで育てています」と頷く。

 その昌憲さんは、福島県内の若手畜産農家の集まりである「牛友会(ぎゅうゆうかい)」に所属。首都圏などで、福島牛の優れた品質を仲間と共に積極的にアピールしている。「コロナ禍でイベント等が中止になり、販促の機会が減っているがオンラインなどを活用して発信していきたい」と話す。原町区といえば伝統の祭り「相馬野馬追(そうまのまおい)」の開催地。敞典さんは主たる行事の一つ「お行列」で中ノ郷(なかのごう)の侍大将を務めてきた。今後はそれも昌憲さんが引き継いでいく。

 瓦礫の中からいずれもいち早く一歩を踏み出し、復興の扉を開けた農家とそれを支えるJAグループの仲間たち。「互いに協力し合い、見事に復興を成し遂げた人たちしか見えない世界があることを、改めて実感しました」。荒川さんはそう結んだ。

[提供]JAグループ [企画制作]新潮社 [撮影]荒井孝治 [ヘア&メイクアップ]岩本郁美 [スタイリング]後藤仁子 [衣装協力]ELENDEEK Tel.03-6853-0100/アガット フリーダイヤル0800-300-3314