仏教は「家の宗教」から「個の宗教」へ向かう――戸松義晴(全日本仏教会理事長)【佐藤優の頂上対決】

ビジネス 週刊新潮 2021年1月28日号掲載

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宗教と社会活動

佐藤 戸松さんは浄土宗のお寺の出身ですが、ハーバード大学大学院神学校で学ばれています。どうして留学しようと思ったのですか。

戸松 まず一つは、1970年代にカンボジアのタイ国境近くの難民キャンプを訪ねて、ショックを受けたからです。当時、ポル・ポト政権の粛清から逃げた難民たちがいましたからね。タイもカンボジアも仏教国です。これは放っておけない、と当時の仏教界の団塊の世代の方たちが、スタディ・ツアーのようなものを企画し、それに参加しました。

佐藤 クメール・ルージュの暴挙を見てきたのですね。

戸松 非常にショックを受けました。私は浄土宗ですから、亡くなった人は極楽浄土に行って、仏様になったご先祖さまに再会すると教えられてきました。だから私たちは死んでも心配しなくていいのだと純粋に思っていた。それが仏教を勉強し始めると、中観(ちゅうがん)や唯識(ゆいしき)、真如(しんにょ)といった非常に難しい概念がいろいろ出てきます。では極楽とはいったい何なのか。そう考えるようになった頃の体験でしたから、極楽浄土を仏教学の中で突き詰めたいと思いました。

佐藤 それは興味深いですね。

戸松 それともう一つ、キリスト教はどうしてこんなに社会活動が盛んなのかを知りたかったのです。日本でも教育と医療において、キリスト教が果たしてきた役割は非常に大きい。一方、仏教も智慧と慈悲が根幹にありますが、社会的な実践には繋がっていない。それはなぜなのか。ちょうどその頃、ベトナムの大乗仏教僧侶のティク・ナット・ハンが「エンゲージド・ブッディズム」(社会参加型仏教)を提唱していたのですが、こうした動きを仏教の中できちんと位置づけたかったのです。

佐藤 プロテスタント神学者で宗教社会学者のハーヴィ・コックス教授が活躍していた頃でしょう。

戸松 はい。「ジーザス・アンド・モラル・ライフ」という有名な授業があって、テレビ中継が入るんですよ。真っ暗なところから50人くらいがアカペラで登場して授業が始まる。他にも旧ソ連のゴルバチョフ大統領を呼んで共産主義の中の宗教をどう考えるかとか、南アフリカのマンデラ大統領の弟子を招いてキリスト教の視点から人種差別をどう考えるかなどを、ディベートでやりました。

佐藤 ハーバードの神学校は、キリスト教の神学部というより、宗教学部ですからね。しかもユマニスム(人文主義)の影響が非常に強い。

戸松 現地で、ハーバードの神学校で勉強していると言うと、7、8割の人が嫌な顔をしましたね。「あそこで学ぶと神を信じなくなるから気をつけろ」と言われます。

佐藤 外国で学ぶと、日本の宗教は異質に見えるでしょう。

戸松 「公益財団法人日本宗教連盟」という団体がありますね。これは私どもの全日本仏教会、教派神道連合会、日本キリスト教連合会、神社本庁、新日本宗教団体連合会という五つの違う宗教団体で構成されています。定款では「世界平和の確立に貢献」と謳われていますが、これなどは日本特有のあり方です。アメリカでもその他の国でも、キリスト教とイスラム教、仏教などが一緒になって公的な組織を作ることはありません。

佐藤 考えられないでしょうね。

戸松 また文化庁の宗教年鑑の各宗教信者数を合わせると、日本の人口の倍近くになる。

佐藤 それでもだいぶ減りました。

戸松 ええ。2億を超えていたのが、いま1億8100万人くらいです。

佐藤 一人でいくつもの宗教を掛け持ちしている人がいる。他方、大多数の日本人は無宗教と考えている。

戸松 そういう見方もできますが、私は、日本人は一つの強い信仰を持つことができないのだと思います。

佐藤 すると、日本のキリスト教改革・長老派(カルヴァン派)系の人たちや、新宗教の、例えば創価学会の人たちは特別な存在になりますね。

戸松 そうかもしれません。明治以降、キリスト教が社会事業で大きな貢献をしてきましたが、キリスト教人口は増えませんでした。日本人はたぶん江戸時代のキリシタンのように、命を賭してでも信仰を守るということが合わないのだと思います。

佐藤 私もそういう極端な信仰は好きじゃないですね。

「個の宗教」へ

戸松 私はこうした日本独特の風土から、アマゾンに「お坊さん便」が出品されてくるのだと思っています。

佐藤 葬式の値段を表示して、クリックすればお坊さんがやってくる。でも、いまはなくなりましたね。

戸松 ええ。全日本仏教会から葬儀業者に対して申し入れたのは、特に他に比べて影響が大きいアマゾンから取り下げてほしい、ということでした。業者のサイトでは僧侶手配サービスとして値段を表示して今でも続けています。アマゾンではお坊さんが見つからない時、「品切れ」と出ていたんですよ。あれは嫌でしたね。

佐藤 業者側が取り下げたのですね。

戸松 そうです。もっともそれ以前から、他の業者や一部の寺でもインターネットで葬儀や法事の定価表を出していましたし、神社では昔から玉串料とか祈祷料の金額の目安がついていました。これは物質主義で市場経済の中心であるアメリカでもありえないことでしょう。

佐藤 牧師や神父の説教に値段をつけることはないですね。対価という形でお金が生じてしまったら、それはもう宗教行為ではないですよ。ただ日本では、金額の明示に違和感がない。

戸松 日本では、宗教が非常に日常的なものだという感覚がある気がします。

佐藤 こうした種々の問題を抱えて、今後、仏教はどうなっていきますか。

戸松 仏教は「家の宗教」から「個の宗教」に移っていくと思います。本来、信仰は一人ひとりが持つものです。寺としては、たとえその人1代限りであっても、その関係性を大事にしていかなくてはならない。そこで人々の生と死にどれだけ寄り添えるかが問われてくると思います。そしてその中でお寺を支えていただくというか、ともに運営していくという意識にならないと寺は存続できない。

佐藤 そうなると、僧侶の力量が試されることになりますね。

戸松 私は若い僧侶たちに、ユヴァル・ノア・ハラリの『サピエンス全史』や『ホモ・デウス』を読むよう勧めています。彼は宗教をはっきりフィクションだと言い切っていますから。

佐藤 神話や伝説、神々や宗教など、虚構がホモ・サピエンスを突き動かしてきた原動力だとしています。

戸松 さらに人類のこれからの姿も予見しています。AIや生命科学が人々の生活の中に入り込み、その恩恵も受ける一方、役に立たない無用者階級も現れると言います。では、その中で宗教はどんな意味を持つのか。これからの時代背景がわからなければ、社会的役割を担えません。だから僧侶の資格を取る際にAIや先端科学を学ぶとか、一度社会に出てから資格を取るとか、そんなこともあった方がいいと思います。

佐藤 中世ヨーロッパではキリスト教神学を修めるのに、教養課程で9年、専門課程で15年、計24年掛かりました。私も40代半ばになってようやく神学的な発想ができるようになった。ですから学生には、そうなるまで勉強が続けられる仕事に就きなさいとは言っています。

戸松 宗教法人が公益法人たるゆえんが国会で語られたことがあります。平成7年(1995)の第134回国会です。宗教法人の定義は、宗教法人法第2条にあり「宗教の教義をひろめ、儀式行事を行い、及び信者を教化育成すること」です。答弁では、そうした宗教法人があることで、国民の皆さんの心が安らぎ、それが社会を安定させる。そして文化も向上する、だから公益性があると言っているんですね。

佐藤 所管する文化庁の答弁ですか。

戸松 はい。ですから公益性があるかどうかは国民が決めることになる。もし人が亡くなった時に、葬儀もせずお坊さんも呼ばなくていいとなれば、公益性がないと判断されてもおかしくありません。葬儀も法事も、これまで社会的意味があるから続いてきた。でもそれが時代に合わなくなれば、変わらざるをえません。おそらく寺の将来は、形式的な檀家制度や法要といった部分よりも、仏教の文化的な側面の方が中心になっていくのではないかと思います。仏教信者ではない人たちが拝観料を払って、その寺で何かを感じたり、そこにまた来たいと思ったりする。そこで仏教の精神に触れていくわけです。そうした歴史と伝統は一朝一夕には真似できません。仏教はこれまでも社会の新しい文化を取り入れながら新しい社会的役割を模索してきました。AIや先端科学が発展すればするほど、一人ひとりの思いを受け入れ、悩みや苦しみに寄り添うお寺が社会的意義を見出していける可能性を秘めていると考えています。

戸松義晴(とまつよしはる)  全日本仏教会理事長
1953年東京生まれ。浄土宗心光院住職の長男。慶應義塾大学文学部卒。大正大学大学院博士課程仏教学科浄土学コース修了。ハーバード大学大学院神学校に留学し91年神学修士取得。2010~12年、18~20年全日本仏教会事務総長、20年6月より現職。他に浄土宗総合研究所主任研究員、国際医療福祉大学特任教授も務める。

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