1年を迎えた川崎20人殺傷事件 犯人が20年引きこもり続けた街を歩く

磯部涼 令和元年のテロリズム 連載 磯部涼 令和元年のテロリズム 2020年5月28日掲載

  • ブックマーク

 令和元年5月28日に起きた川崎殺傷事件。引きこもりを続けていた51歳の男がスクールバスを待つ小学生らに襲いかかり、2人が死亡、18人が怪我を負った悲惨な事件から1年が経った。改元の直後に起きたこの事件は犯人が直後に自殺したため動機の解明が進まず、さまざまな憶測を呼んだ。2015年に起きた川崎中1殺害事件を端緒に工場地帯や歓楽街、ベッドタウンが混交する川崎の現状を抉った『ルポ川崎』の著者・磯部涼が象徴的な事件の背景に迫る連載の第1回をお届けする。
※取材は令和元年8月に行われた

 ***

 茹だるような熱帯夜に、和太鼓の音が響き始める。幹線道路が二股に分かれていく間の三角地帯に造られた、わずかな遊具が並んでいるだけの児童公園。今日はそのがらんとした広場に紅白に彩ったやぐらが建てられ、近所の人々が浴衣姿で集まってきた。たった2時間だけの盆踊りだが、提灯の明かりに照らされた踊りの輪は熱気に溢れていて、一見すると殺風景なこの街にもちゃんとコミュニティが存在することが分かる。

 あるいは、参加者は例年と心持ちが違ったのかもしれない。途中でマイクを握った町内会の代表は、暑いので水分をしっかり取るよう注意を促したあと、こう続けた。「今年から子供たちと“ヤングマン”を踊ることにしました。皆さんも是非、一緒に踊って下さい」。

「YOUNG MAN (Y.M.C.A.)」は平成30年、脳梗塞の闘病の末に急性心不全で亡くなった歌手・西城秀樹の、言わずと知れたヒット曲だ。アメリカのディスコ・グループ=ヴィレッジ・ピープルのオリジナルがゲイ文化の暗喩になっているのに対して、西城のカヴァー版は「ゆううつなど 吹き飛ばして 君も元気出せよ」と力強く歌い上げる率直な青春賛歌。

 近年、音頭として使われることも珍しくないようだが、そんな若者に捧げられたこの曲がこの場所で、さらに盆踊りという本来は死者の供養のために行われる祭事でかかることに意味を見出さずにはいられないだろう。子供たちがやぐらに上り、両手で勢いよく“Y”“M”“C”“A”というアルファベットを象りながら踊っている公園の、道路を挟んだちょうど向かいの歩道。そこで約2カ月前、スクールバスを待つ列に男が包丁で襲いかかった、通称=川崎殺傷事件が起こったのだから。

 横断歩道を渡り、事件が起こった場所で目を閉じて手を合わせる。こちらの歩道は人通りも少なく、背後の祭りの喧騒はまるで彼岸から聞こえてくるかのようだ。事件現場はブルーシートが張られた建設現場の前だったが、今や真新しいアパートが建ち、山となっていた献花を回収したことを告げる注意書きだけが2カ月前の悲劇の記憶を留めている。「この“令和”には、人々が美しく心を寄せ合う中で文化が生まれ育つという意味が込められております」(*1)。

 川崎市多摩区登戸新町で起こった同殺傷事件は、内閣総理大臣・安倍晋三がそう説明した新元号に改められて間もなく発生した凶悪事件というだけでなく、「8050問題」を始めとする、前元号=平成の間、先送りにされてきた問題を露呈させたこともあって、新たな時代の課題の象徴として盛んに議論された。

 しかし犯人が自死したため早々と迷宮入りし、また世間では日々起こる陰惨な事件によって印象が薄れつつあるのかもしれない。それでもこうして歩道に背を向けて目を閉じると、背後からいきなり刺された被害者の恐怖がありありと感じられるのだ。果たして、真相を究明するという形での供養がなされる日はくるのだろうか。

*1 平成31年4月1日、内閣総理大臣記者会見より

次ページ:阿鼻叫喚の現場

前へ 1 2 3 4 5 次へ

[1/5ページ]