野村克也氏が「あの世に行く前に、誤解が解けて良かった」と思った出来事とは

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〈プロ野球選手になって一旗あげたいと思ったのは、中学3年生の頃だったかな。大変な貧乏だったから、大学を出て教授になったところで金持ちになれるわけじゃないと思って……というのは言い訳で、単純に、頭が良くなかったんだよ。勉強が嫌いだった〉

 2月11日に急逝した野村克也さん(享年84)が、最新刊『野村克也の「人を動かす言葉」』(新潮社)の中で明かしているのは、自らの大学進学を諦めて野村氏を高校へ進学させた実兄と、サッチーこと妻の沙知代さんとの知られざるエピソードである。母子家庭で貧しかったが、野村氏より3歳上の兄は、秀才肌。成績はオールAで、学年でも1、2番を争うほどだったという(以下〈〉内引用は同書から)。

 野村氏が中学3年の時、家で食卓を囲んでいると、母親にこう言われたという。「克ちゃん、中学出たら、働いてくれんか……」。高校進学は金がかかる。家庭の事情を考えると仕方がない……野村氏がこう思った時、意外なところから声が上がったという。「克ちゃんのこと、高校にやってくれんか?」。

〈高校3年で、大学進学を見据えていた兄貴だった。「これからのご時世、高校くらい出ておかないと、絶対に不利になる」。兄貴は頭も考え方も、やっぱり実直だったよ。そして言った。「俺が大学に行くのは諦めるから……」。兄貴はそのまま、本当に大学行きを諦めて、就職してしまった。私の学費も出してくれたんじゃないかな。少なくとも、母親を助けたのは間違いない。本当なら私が働いて家計を支えるはずだったんだから〉

 結果、野村氏は高校に進学、野球を続け、1954年に南海ホークスにテスト生として入団。3年目から正捕手の座をつかみ、スター選手への道を歩みだすことになる。その後、野村氏は最初の妻と別居生活に入り、沙知代さんと知り合う。いわゆるダブル不倫。野村氏は南海の選手兼任監督を解任されることになる。その最中、野村氏のもとに兄から手紙が届いた。

兄と沙知代さんが会うことは一度もなかったが…

〈おまえは妻も子供もいるのに不倫に走り、その上、結婚を考えていると聞いた。そんな自分勝手な行動で妻と子供を捨てるなど言語道断。お金を払って別れることはできないのか〉

 野村氏は誤解を解こうとすぐに電話をしたが「非常識なお前とは話すことはない」と、すぐに電話を切られた。沙知代さんは2017年暮れに亡くなった。兄と沙知代さんが会うことは一度もなかったという。

 2018年、テレビ番組の企画で野村氏は兄と地元の京丹後市で再会する。兄は杖をついていたが「(杖で)床が汚れちゃうな」と言いながら、ホテルの部屋に現れたという。野村氏は改めて「俺が前の女房を捨てたと思っているんだろう? だけどそれは違うんだよ」と説明したという。

〈神妙に聞いていた兄貴は言ったよ。「結婚を反対したこと、非常に申し訳ないと思っている」。そして、こうも言い足してくれた。私が選手や監督として活躍するのを見て、「(サッチーとの)結婚に反対した自分は、間違っていたんじゃないかと、ずっと思っていた」と。兄貴らしい、生一本な謝罪だったな。私があの世に行く前に、誤解が解けて良かった。サッチーの遺影にも報告したよ。クソマジメな謝罪も貰ったという一言も心で添えてね〉

 今頃は天国で再会しているであろう野村氏と沙知代さん。同書では最後に、沙知代さんへ向けた一文が添えられている。

〈いま、私の胸には、バッジがついている。監督通算1500勝の記念バッジ。お前がこの記録のためのパーティーを開いてくれて、その際、贈ってくれたものだ。どんな仕事の時も、指輪とバッジだけは、忘れぬようにしてるで〉

デイリー新潮編集部

2020年3月14日掲載

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